理想論ってあくまでも理想で
現実的目線からみたら
到底不可能に見えたり、
夢を描けば描くほど、
現実と乖離して
“そんなの出来るわけない”
って言葉が脳内をこだまする。
だけど、現実は残酷で
どう足掻いたって苦しくて
“なんでこんなに上手くいかないんだ”
って嘆き叫びたくなる。
だからこそ夢を見て、
幸せを描きたくなる。
だけどそれをなまじ現実主義な
自分が邪魔をする。
いつまで経ったって、
一歩を踏み出せない
堂々巡りを繰り返す。
そが故に、
都合の悪い現実は
遠く遠く
、永久にも思える時間であるかのように
感じてしまう。
苦しいよね。
つらいよね。
だけどそんな時、
トート・タロットの
永劫は希望の光を
灯してくれるんです。
永劫のカードの最上部には
無限の可能性を示す星の女神であり、
南の神であるヌイトが描かれている。
セレマの宇宙論によると
無限の可能性を司る女神は
北の神、ハディトと結婚した。
ハディトは偏在的な視点であり、
唯一の、哲学的条理にかなった
真実の概念を司る。
南と北。
九星気学における後天定位盤に
置き換えて考えると
九紫火星と一白水星。
すなわち
離(火)と坎(水)。
対極にある二つが混じり合うことを
仄めかすかのような結婚。
だけど、実際
男女というのも
陽と陰で
そう考えるとある種自然なこと。
同性間のパートナーシップであったとしても
どちらかが陽の役割を
どちらかが陰の役割を
担っているのだと思います。
セレマというのは
トート・タロットおよび
『トートの書』
『法の書』
の著者である
アレイスター・クロウリーが
創設した概念である。
“セレマ(Thelema)は
自分の「真の意志」を中心に
従うという考え方を提示する。
「汝、意志することを行え」
これがセレマの教義における
合言葉なのです。
「真の意志」とはなんでしょうか。
ヌイトが司る“無限の可能性”
と
ハディトが司る“真実の概念”
乱暴であることを承知の上で
分かりやすく置き換えるなら、
まさに理想と現実。
相反する概念が
融合した時に矛盾を孕むことは
至極当然であるものの、
その矛盾すらも踏まえたものが
「真の意志」なのかもしれません。
だとするなれば、
にっちもさっちも行かない現実に対して
こうなったらいいのにな、と描く理想こそが
「真の意志」なのかもしれません。
で、あるなれば、
矛盾上等。理性上等。
追いかけたい。
諦めたくない。
それこそが
“無限の可能性を具現化させる”
ということを
【永劫】が指し示してくれる。
そんな気がしませんか?
“いい加減、現実見なよ”
聞き飽きた定型文。
知らんがな。
蹴散らせてやれ。
そんな後押しを
女神ヌイトがしてくれているなら、
やってやろうじゃないの、って
ちょっとだけ気合いが入る。
両手で頬を一発。
今日も、やってやる。
「好き」を貫いてやる。
お先真っ暗、なんて言うけれど、
案外それって
次の場面へ移行するための
暗転でしかないのかもしれません。
次の場面は如何様にもなる。
如何様にも出来る。
だから、大丈夫。
ヌイトは微笑む。
“気合い入ってんね、やっちゃいな”
