誰かを好きになった時
たくさんの矛盾が心の中で蠢く。
そもそもこんなに辛い思いをするなら、
この人に出会いたくなかった
神様は残酷だ。
こんなに一人の誰を愛したのは
この人が初めてだった
という感覚のどこかに
”幸せを望んでもいいのかもしれない”
愛しさと悲しさ、
温かさとヘイト。
なんでこんなに傷付ける言葉の羅列を
受け止め続けなきゃいけないんだ
なんでこんなにしんどい現実ばかりを
突きつけられ続けなきゃいけないんだ
”幸せになりたい”
でも
誰でもいい訳じゃない
”この人と幸せになりたい”
幸せの在処が
辛苦の在処と共存する矛盾。
好きだけど嫌い
嫌いだけどあなたじゃなきゃダメ
愛憎の境界線
依存なのだろうか
情なのだろうか
純愛なのだろうか
それすらもう分からないほど、
これ程悩み苦しむくらいなら
他を見たっていいじゃないか。
頭のどこかで一人の自分が囁く。
それはそうだ。
結局私はどうしたいんだろうか。
「結婚がしたい」
それなら結婚できそうな人を
見繕ってみたら話は早いんだろう。
「恋愛がしたい」
それなら手当たり次第色んな人を
見てみたら何かしらの
ときめきはあるんじゃないか。
「寂しさを埋めたい」
それなら誰でもいいから
孤独な夜を埋めてくれる人に
寄りかかってみたらいいんじゃないか。
そんなこと分かってる。
分かった上で
抗いたい自分が存在するのだ。
真に望む幸せが
苦悩と困難を孕んだ茨の道だとしても
それをロマンチックと形容する。
”この人じゃなきゃ意味がない”
それが本音であり本心なのだ。
自己矛盾が絡まる。
好きと嫌いが交錯して
雁字搦めになる。
なんでこんな辛い恋をしているんだろう。
死にたくなる夜を
あと幾つ越えれば、
安堵の涙を流せるのだろうか。
少しは自分を肯定できるのかもしれない。
愛してもいいと思えるのかもしれない。
貴方にさえ愛してもらえるのならば。
嫌いな自分を肯定して、
これからを生きていこうと
思えるのかもしれない。
忘れられる訳ないこの日を
いつの日かブーケで飾れたら。
夢見心地で今日くらい
眠らせてくれたっていいじゃない。