期待しないって頭では分かってる。
難しいですよね。
感情の落とし所って。
最近ずっと考えてます。
期待したくないって思うのは、
どん底に落ち込みたくないって
予防線を張りたいから。
期待して、夢を見て、ワクワクして
でもその結果が想定しうる多幸感と
大きくかけ離れた絶望だった時、
やり場のない感情を
抱えきれない自分の姿が浮かぶ。
ーだって経験してきたから。
もう嫌って程。
その度に思う。
“学ばないな”って。
“莫迦だな”って。
哀しい哉、どんだけ傷付いても
どんだけ泣いても、
どんだけ諦めた“つもり”になっても、
【幸せ】になりたいって
望んでしまうのが人間らしい。
ただ、幸せになりたい。
街中ですれ違うカップル、
カフェで楽しそうに話すカップル、
一緒に買い物をしているカップル…
みんなそれぞれ人生があって、
いい事ばっかりじゃないんだろう
そうやって負の側面を慮ろうと
試みたところで
“いいなぁ…”という羨望と
“なんで私/僕はあの人と…”
自分の影を見て病む。
どこで間違えてしまったんだろう。
【幸せ】になりたい、
ただそれだけ。
大好きなあの人と手を繋いでデートしたい。
大好きなあの人と
しょーもないじゃれ合いがしたい。
大好きなあの人に抱きしめられて眠れたなら
どんなに幸せだろうか。
大金持ちになりたいだとか、
ハリウッドスターくらい有名になりたいとか
そんな事望んでる訳じゃない。
“みんな”が
ー少なからず幸せそうなカップルたちの様な
人々が
享受している幸せが
日常の一部に溶け込んだ幸せが
ただ、欲しい。
それだけなのに。
自己嫌悪になる。
なんでこんな風になっちゃったのかな。
なんで普通に望んでいる幸せさえ
手に出来ないのだろう。
なんだかもう、消えたくなる。
死にたいって思ったところで、
どうせそんな勇気ないし
そんな勇気ないからこそ
今この感情を抱きしめている。
だからもう、【幸せ】を見なくていい
帳の外にでも身を隠させてくれ。
そんなことをぐるぐる、ぐるぐる、考える。
ぐるぐる、ぐるぐる、繰り返す。
確かに此処に在る
“好き”と“幸せになりたい”
天邪鬼も、分かりにくいも、
口下手も、不器用も、
全部全部知ってる。
だから頑張って言葉の裏を探す。
それでも言葉の表が残酷で辛辣に見える時、
“どんなに望んだって”って凹む。
その言葉の裏なんて、
どうやって探したらいいのだろか。
“分かってあげられる【いつもの】私”に
なれない時、どう繕ったらいいのだろうか。
哀しい、辛い、苦しい、
この感情の行方はどこなのだろうか。
考えてもキリないことくらい
そんなことくらい分かってるのに。
それでも考えてしまう諦めの悪い感情を
どこに葬れば思考を止められるのだろうか。
こうやって考える感情の着地点は
一体どこに在るのだろう。
考えても考えても、考えてしまう。
期待しないって理屈では分かってても
本能が求めてしまうように。
落とし所も折り合いも
最初から存在しなかった。
そう割り切ってしまった方が
よっぽど楽なのかもしれない。
それでも結局考える。
好きだから考えてしまう。
【好き】という動機からは
どうやら逃げられないらしい。
そうやって嘲笑うくらいが
丁度いいのかもしれない。
答えが欲しいのに答えを放棄する。
どうせ矛盾だらけ
なら
全部矛盾してたって大差ない。
そう、思うことにしよう。
そう、言い聞かせてみてみる。
そんな、深夜テンションの大きな独り言。
-----------------------------------------------------------

