コラム: 結局何が哀しいのか。
ワタシの好きな曲の歌詞に、
こんな一節があります。
“何が悲しいんだろう?
泣けなくなった事かな。”
生きてたらいっぱいありますよね。
哀しいこと。
辛いこと。
苦しいこと。
ワタシのこれまでの人生も
そんな感情ばっかりでした(笑)
でも泣けてた時って
まだ楽だった気がします。
つらい、苦しい、助けて欲しい。
そんな感情を涙や嗚咽で
自分の外に吐き出せた時は
まだ多少なりとも楽になれた気がします。
でもそうじゃなかった時。
感情が消える感覚って
言うんですかね。
泣けないんです。
泣きたいくらいつらいはずなのに、
泣きたいくらい苦しいはずなのに。
それなのに、やけに静かに、
感情が凪いでしまうんです。
今思えばある種の防衛本能なのかもしれない
と思います。
“哀しい”、“つらい”、“苦しい”
そう自覚してしまったらきっと
立ち直れないくらい
ショックを受けるだろうから、
ショックだって認識する前に
感情が感知することをやめるのかなって。
吐くという行動を物理的に捉えた時、
一度飲み込んでしまってからじゃないと
吐くという動作が出来ませんよね。
それと同じで
感情が、その感情を認識するという
“飲み込む動作”をしてからでないと
涙も嗚咽も出てこないのでは
ないでしょうか?
そう考えると、
そもそも感情を感知させない様にしている
時点で飲み込めない。
だから泣きたいはずなのに泣けない、
そんな現象が起こるのかもしれません。
それだけ“泣けない事”
って色んな意味で“哀しいこと”
なんだと大人になった今になって
感じます。
だからかもしれません。
ワタシがその部分の歌詞が好きなのは。
初めてこの曲を聴いた中学生の時、
やけに腑に落ちたんです。
その時形容出来なかった哀しさの
答えを得られた様な感覚でした。
泣けるなら泣いた方がいい。
泣けるなら泣きたいもん。
未だに“自分自身の感情”となると
泣くのが下手くそになる自分への
メッセージの意も込めて、
そう思います。
今日も一日お疲れ様でした。
また明日、お会いしましょう。
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