コラム: 痛みの話
痛いと感じるから、
大事に至る前になんとか
手を打つことだって出来る。
痛いと感じるから、
治療しなきゃいけない
ということに気が付ける。
でも、もし、痛みを感じなかったら?
どこまでも傷付いて、
止めどなく流れる血にも気付かなくて
気づいた時にはもう遅い
なんてことになります。
物理的痛覚・精神的痛覚
色々あるとは思いますが、
いずれにせよ“痛みを感じる”という感覚を
受けることで命の危険を回避しようとする
人間の防衛本能ですよね。
“自分を守る器官”なら
正確に機能すべきだし、
正常に作動しなきゃいけないはずです。
でも哀しいかな、“痛覚”って器官は
一番狂いやすいという
脆さを併せ持つ器官なのではないかと
考えます。
端的に言うと麻痺しやすい。
“痛い”って感じたら
怖くなるじゃないですか?
でも“怖い”って思う余地すら
与えられなくなった時、
“怖い”を感じない様に
“痛い”を消すのかもしれません。
そうこうしているうちに
麻痺しちゃうのかもしれませんね。
“恐怖”という感情を司ると考えるなら
物理的な痛みよりも
精神的な痛みの方が、
その傾向は顕著だと思います。
“だいじょばない”のに
“大丈夫”って言っちゃうのも
“だいじょばない”を見る“怖さ”故に
“大丈夫”と見ないフリをして
“平気”でいようとしてしまう
のかもしれません。
“痛い”って素直に感じるのって
難しいですよね。
“痛ない”って言いたくなりますし。
でも原点を考えれば
“痛い”って感じなきゃいけない。
葛藤ですね。
ほんの僅か少しでも、
チクリというか弱い“痛み”でも
大丈夫?って気にかけてあげないとな
というのが
長年自分自身への痛覚が鈍感なワタシの
自分自身への課題だったりします。
皆様の“痛覚”は如何ですか?
もし鈍感痛覚な方がいらっしゃいましたら
多少鋭くするリハビリを
一緒に頑張りましょう。
今日も一日お疲れ様でした!
明日また、お会いしましょう。
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