片輪者一代 置石事件

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この当時の箕面小学校は小学校自体が学校崩壊学級崩壊をするほどまでは荒れてはいませんでしたが、置石事件や小学生同士の姦淫事件などがあり、その度に校長が引責辞任という形で退職していきました。箕面小学校にいた期間はたったの2年と1学期間でしたが、その間に校長が数回交替しました。
中でもセンセーショナルだったのが、置石事件で死亡事故を起こしてしまったり、置石事件で電車が脱線し、学校の擁壁に電車がもたれかかってしまうなどかなり甚大な事件を起こしていました。

ところがこれらの事件を起こしているのが二桁未満の生徒、つまり、3~4年生以下の生徒ばかりがこの手の悪戯をするために見ず知らずの大人に親子そろって叱られるだけでどこかに身柄を拘束されたり、監禁されたり、懲罰を食らって使役に従ったりということもありません。

反省の体を装って、嘘泣きの一つでもすれば許されてしまうのです。
実際置石事件で老婆を殺した同学年は自慢げに話していました。
私も大概歪んでいましたが、箕面小の生徒による置石事件は私以上に闇を抱えた生徒たちの娯楽になっていました。
自分がしでかしたことで人が死に、けが人が沢山でても、何も反省をしておらずより大きな事故を起こさんと企てるほどに闇は深かったですね。洞元の「次は擁壁だけじゃなく学校自体にぶつけてやろうかな」という一言にもそれが集約されています。
流石に一度目の犯行はお咎め程度で済みますが、置石を常習しているような子供に対してはヒトケタの年齢の子供でも一時的に預かって身柄の拘束じみたような事をしていました。だから暫く学校を休んでいましたね。あれは精神病院に強制入院させていたのか養護施設に強制収容していたのかどっちなんでしょう。拘置所や少年院ではないと思うんですよね。私も相当な悪童でしたが、収容施設といっても夏休みに黄檗宗のお寺の修行施設に放り込まれた程度なので、素行の悪い少年少女が行政施設に放り込まれるのとはまた訳がちがいます。

 

ところで置石事件をやらかす連中の家庭が崩壊していたから、それがために歪んだ方向に向かったのかといえばそうでもありません。
親は常識人で全うであっても、子供がその歪んだ環境に足を踏み入れてしまったり、歪んだ環境にどっぷりと染まってしまうことで真っ当な親から生まれた子供でも環境次第では歪んでしまうということが往々にしてありました。実際に私が歪んだのも周りの環境が非常に大きかったですね。そして大体置石事件をやらかしていた奴の家は生活に困窮しているような家の奴ではなく、中流家庭の家の連中が多かったです。
決して貧乏ではなく、与えられるべきものはちゃんと与えられて、そこそこの生活をしているそういう連中でした。だから学校側も対処に非常に苦労していたと思います。親の経済問題、親の精神問題などが原因であれば、親と引き離すなりなんなり手が打てるのですが、親に問題がないんです。過干渉しすぎて子供がパンクしてそうなったというわけでもありません。親が子供と適当に付き合って無関心だからそうなったわけでもないんです。
チョットした環境によって狂いおかしくなる、子供とは実に不安定で扱いにくい生物だなというのが置石事件を横目で見ていての感想でした。

私自身は置石事件を一度もしたいとも思わなかったし、する気も置きませんでした。
クラスの中でも悪い子供としての評判だけは非常に高かった私にはいつも置石グループからの誘いの声はかかっていました。最初は敵を作りたくないからやんわり断っていたのですが、しつこく仲間に引き入れようとしてくるので、だんだん厳しく断るようになり、私が学校に通報するなどした結果、完全に絶縁状態になりました。

 

別に当時流行っていたやくざ映画に触発されたわけじゃないのですが、悪党なりの悪のポリシーというのが自分にはあって、迷惑をかけるのは教師と学校とまあクラスメイトだけであって、それ以外の人にはなるべく迷惑をかけないように配慮して動くようにしていました。だからクラスメイトでどうしても気に入らない存在などが登場した場合でもなるべくその本人だけを徹底して潰すために時間をかけ、その親や兄弟には恨みが無いために、親や兄弟への負担を最小限にするため、集中的な攻撃を加えるようにしていたのです。拉致ッた子の親が自分の子供が返ってこなくて心配するのは解っていましたが、そこは心を鬼にして一定期間身柄を抑えて家に帰さないようにし、その間に徹底的に痛めつけて私に反抗する意思を喪失させるように工夫を凝らしていました。

置石事件を起こしていた連中は完全な愉快犯で、事故が起きるまでのドキドキ感と、事故が起きて自分達だとバレるまでのドキドキ感、バレた後に警察や教師に追い回されて掴まえられるまでのドキドキ感が忘れられなくて何度もやっていました。だから事故が起こるとあいつがやったとみんな言うし、そして本当に名指しされた奴がやっていることが往々にしてありました。勿論名指しされた奴がやってない置石事件もありましたが、名指しされた奴は家が建築関係の仕事をしていたので自宅兼会社である家にコンクリートブロックやレンガなど、置石に手頃な置石道具が山の様にありました。子供で短絡的な行動で置石事件を遊んでいたから家にあるそういった資材を盗んで使っていましたから簡単に足がついて補導されていたのですが、捕まるところまでが楽しみだったという私からしたら理解できない彼らの闇は本当に理解の外の話でした。

同学年で何度も置石事件を起こしては捕まっていた奴がいて、4年生に進級した時にそいつだけが問題児の宝庫である杉クラスに移ってきたのです。問題児の宝庫と言われていたのは私や小善だけじゃなくこの置石野郎事洞元も問題児でした。私や小善は自分から問題行動を進んで侵すようなことはしないであくまでも自分の保身や身内に何かあった時だけ蠢動していた分、まだ杉教諭も扱いやすかったのかもしれません。洞元は、自分から進んで置石事件を起こしていましたし、何度もそれで捕まっていて、それでもまだなお繰り返してやっていたので、杉教諭としても相当に手を焼く相手だっただろうなあとは思います。何回も授業の途中で杉教諭が堰を外すことがありました。その時には決まって洞元がいなかったのです。

他にもこれは別の意味でですが、問題を抱えている生徒がいました。
心臓病の疾患を患っていて学校にそれでも無理して登校していたのです。ところが急変して体を壊すことが多々あったので、母親が呼び出されて毎日彼女の母親が教室の後ろで控えていて、容態がオカシイと母親が察知したり、本人が苦しくなったら手を挙げて、母親が保健室に連れて行ってました。

小善も私も洞元も、一生懸命に学校に通ってくる心臓病を患っていたこのクラスメイトには好意的に接していました。
本人が非常に純情な女の子であり、本当に何にでも一生懸命な子であったために、汚れきった私達3人でも彼女だけは穢すまいという意思が働いていました。また彼女自体が悪童として他のクラスメイト大半から色眼鏡で見られていた私たち3人を決して色眼鏡で見なかったのです。これがやはり一番大きかったんだろうと思います。恋をするという感情はありませんでしたが、女児を信じない私の中では信用に足る少ないクラスメイトの一人だったという点はあっただろうと思います。娘だけでなく彼女の母親も悪名高い私たち3人を決して色眼鏡で見なかったんです。誕生日会をした時でも他にクラスメイトで勉強やスポーツが出来るまともなクラスメイトがいくらでもいるにもかかわらず、必ず私達3人を招待して呉れました。恐れられ、警戒され、恨まれていた私達の孤独のようなものを彼女は知っていて心配してくれていたのかもしれません。結局家族や病院周りの人も病気に対して一緒に戦っては呉れても本当のところは孤独な戦いであったんだろうかとふとおもうことがあります。

今回は置石事件をメインに話をしました。
丁度、この置石事件が箕面小でブームになっていた時に、枚方市で京阪電車が枚方市駅だったと思うのですが、やはり置石が原因のシャレにならない大規模な事故をやらかしていました。ここでは中学生の5人組による犯行だったようです。100人以上の人が怪我にあい、天災ではなく人災であったため、中学生グループの親から雀の涙の賠償金しかとり返せなかったために京阪電車も復旧のために自弁しなければならず線路内に人が立ち入らないように徹底してフェンスで囲うなどの対策をたてたようです。でもいくらフェンスで囲ったって無駄なんです。フェンスをよじ登って入ろうと思えば入れちゃうし、大体置石事件をやらかすクソガキ共は踏切から線路内に入り置石をしています。

つまり、踏切に監視員を常駐させておかないとどうしようもないのです。
箕面小学校の場合は踏切のすぐそばに牧落駅があり、この牧落駅が箕面小学校の側面にありました。
となると、踏切に監視員を配置し、駅のホームにも監視員を配置し、彼らを駅の営業時間中はずっと張り付かせておく必要があったのです。

学校側もボランティアの監視員を踏切周辺に配置するなど当時もそれなりの対応はとっていましたが、ずっと監視員が学校が営業時間中も配置されているわけではないため、隙だらけでした。当時はまだガードマンを雇って駅に配置させるということをしているところは見かけたことがないので、そういう使い方を多分していなかったのでしょう。今では当たり前にガードマンを雇って駅のホームに張り付かせているのをJRだけじゃなく他の鉄道会社出も当たり前に目にします。あの当時そういうガードマンの使い方をしていたらひょっとしたら完全に防ぎきる事は難しくても置石事件の回数を減らすことはできたんじゃないかと思います。今では当たり前に活用している事でも当時は思いつきもしなかったのかもしれません。

 

さて、次回は小学校4年生の時に起きた他クラスでの事件ですが、非常に大きな騒ぎになった事件があります。

鶴丸事件と私は勝手に呼んでいますが、その鶴丸事件時ついて次回話をします。