片輪者一代 杉教諭

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ようやく自分史に話を戻すことが出来ます。連載が途絶え途絶えになり申し訳ございません。

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小学校3年生の時に転校し、箕面でまともになるどころか余計に悪化して、陰険さと謀略ぶりに益々磨きをかけて、担任教師とその家族を破滅させることに成功した私は4年になったからと言って態度を改める事をするわけもありませんでしたが、4年に担任交替した杉という女性教諭は女性ではありませんでした。非常に淡々とした人間で、感情的な女性ばかりを見てきた私にとっては初めてのタイプでした。

4年になっても悪行の限りを辞める気配のなかった私に対する杉教師の態度は冷酷でした。
給食をたべさせないんです。
口で言って言うことを効かない子にはその口に何も与えなければいいという発想だったのでしょうか。
給食の時間ずっと廊下に立たせておいて給食を与えません。
私も別に一食抜かれたからと言ってそれで腹が減って動けなくなるというわけじゃないので、反抗的な態度を最初のうちはとっていました。

杉教諭の冷淡さを知ったのは給食費を渡した時でした。
実は4月中ほどんど給食を食べておらず、金払うの馬鹿らしいなと思っていたら、食べた分だけキッチリ差し引かれ、食べていない分の日数だけ金を払い戻ししてきたのです。

しかもそこにはこういう理由で給食を召し上げたという理由が和文タイプで細かく打たれて表にされていました。

 

母も私が4年になってからやたらとお菓子を食べるようになったことに違和感を感じていましたから、こんなものが母の手に届いては大変です。

 

握り潰し、金は流石にガメた後の事を考えると危険だったので、払戻金は保管して隠しておきました。

ところが、私が母に払戻金も返さないし、給食を強制欠食させていたことを伝えていないことも杉教諭にとっては織りこみ済みで、母あてに親展で手紙が届き、同じ文面で同じ表になっていた強制欠食報告書を送りつけてきたのです。

 

これでは言い訳の仕様もありません。

私が秋葉の時同様に、教師を敵としてみなし、反抗的態度をとり続けていたことも完全に暴露されてしまいました。
学校から父兄あての手紙も報告書の中に同封されていました。
私は学校からの情報を意図的に操作することで母親を情報弱者にしてコントロール下に置いていましたから、如何に今迄私が母に学校からの連絡物資や情報資料を統制していたかもマルバレしてしまいました。

杉教諭は私という人間を全く信用も信頼もしていないから母にも直接手紙を送付していたのです。

他の生徒に聞いたら、他の生徒の親には直接手紙を送付などしていません。

つまり完全に私だけが全く信用も信頼もされていない、していないということを表明されたようなものでした。

担任になって直ぐの教師にここまで否定され、完全に否定されてしまってはもう如何にかして信用や信頼を勝ち得るということは無理であることはわかりました。信用や信頼を勝ち得るためにはおとなしく、騒動を起こさずに先生の言いなりに従うしかありません。完全屈服するまでは多分この教師は手を緩める気はないでしょう。ある意味、効果的な手を初っ端からぶっこんできました。教師側から先制攻撃を仕掛けてきたのは杉教諭がはじめてでした。そして、こちらがどういう手立てで接しようかと手探り段階の間に先手を打って、私の得意とする裏工作や謀略調略の手段を封じてしまいました。

一方でよく生徒を観察していました。

私が手をこまねいて仕方なく恭順の体を装っておとなしくしていたら、ある生徒が私の痣の事でからかってきました。私はいつものようにこういう相手とは会話をして辞めてくれと頼む気がありませんから、学校でさんざん言いたい放題言わせておいて、相手の行動パターンを掴んだら、いつもの手段で闇討ちを仕掛けて半殺しか殺す一歩手前まで暴力を加えて相手に恐怖でもっていじめを辞めさせるといういつもの手段をとる準備をしていました。するとその準備段階で杉教諭が痣でこいつが私をからかっているのをたまたま目にしてしまったんです。
しかもこいつは学級委員でした。
普通、学級委員と悪名高い人間とがトラブっていたら学級委員に味方するのが当たり前なのですが、杉教諭は彼の学級委員の役職をとり上げ、学級委員が同じクラスの生徒を虐めていたことがわかったので学級委員から除籍し、学級委員選挙を再度行ったのです。
除籍された彼は当然立候補できません。
他の奴が数人立候補し、推薦候補者も数人出て結局推薦候補者のうちの一人が勝ちましたが、初めてまともに裁定してくれたので、私も杉教諭には降参し、4年の間は自分が虐めに遭わない限りは悪いことをほとんどしませんでした。小学校6年間の中で一番安定しおとなしくなった時期と言えるかもしれません。

私だって教師だから全員的という単純な味方をしていたわけでもありません。
江東区時代の幼稚園の担任だった山根幼稚園教諭を見ていました。一生懸命になり過ぎて空振りし続けた彼女は私が足の骨を負って長期療養に入った時も様子を見に来てくれたり、足の骨を折って誰とも話をしない日が続きすぎたためにドモリが悪化してあちこちに診療にかかっていた時にも心配になって様子を見に来てくれました。夕方幼稚園から帰るときに1時間はいなかったかもしれないけど話し相手になって会話の訓練に付き合って呉れた非常にいい面倒見のある先生ではあったのですが、剛直で融通が効かないために、正月の餅つき大会の時に私の手で握ったお餅をみんなが抵抗して嫌がって泣きじゃくるのを無理矢理食わせようとしたり、私とお遊戯の時に手を繋ぐのを嫌がって泣きじゃくる女の子の手を無理矢理私と手を繋がせたりと(確かゴムかなんかで縛り付けていたような記憶も・・・)やり過ぎの正義が玉に瑕でした。また私が挑発すると面白いように挑発乗っかって感情的に追い回すという激情型の教師でした。宗教系の幼稚園だったからなおのことこのあたりの信条への融通性がなかったんだろうと思います。園長自体は融通が利きまくる、まあるい人でしたが・・・・

杉教諭は感情的な山根幼稚園教諭とは違い、非常に冷徹でした。感情的な態度や行動は一切取らないで、常に淡々としていました。
丁度杉教諭が担任して呉れていた同時期にイギリスの総理大臣のサッチャーさんが、鉄の女といわれていましたが、杉教諭はまさにそんな感じでした。顔もよく似ていました。
女としては異常に背が高く、私の母と同じ170㎝超えの女性でした。私の周りは巨人の女の人が多くおり、母が174cmでこれと同等が山根幼稚園教諭、そして杉教諭、それに京都に住んでいる伯父の嫁が180cmとぶっとんでいました。杉教諭を除いた大柄女性はみんな性格が感情的ではあるのですが、気が短いというわけではなくおおらかな性格をしていました。
色んな意味で本当に始めてみるタイプの女性でした。

杉教諭はキッチリ子供をよく見ているし、兎に角隙が無いんです。見た目は明らかに女なのですが、中身は本当に冷徹な金融屋というか全て計算づくでやるようなそんなタイプの人間に感じました。だから私もこの人とは闘っても勝てないと諦めてしまいました。それとキッチリ周りをよく見てキチンと依怙贔屓や見逃しがほとんどなかったからこの人の言う事なら真面目に聞いて素直に従おうと心服したというのもありました。

ようやくまともな教師に合えたのでした。

 

次回は箕面小学校で頻発した置石事件について話をしていきたいと思います。