「欅」 | ーとんとん機音日記ー

ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記

“いつくしむもの”
集落景観と文化について考える。


ーとんとん機音日記ー-欅-01



 わたしは、この「集落景観と文化について考える。」ということにまつわる記事のタイトルを“欅”としました。
 それにはすこし、いきさつがあります。

 それは、このblogに、非浦集落の景観として幾度か登場している欅の木の持ち主さんが、コメントを記してくださったからです。
 この“とんとん機音日記”は、もともとは、染織工房 草間の藍甕の工房日誌的なものとしてスタートさせたのですが、だんだんに、染織の分野の話題に限らず、わたしが興味を持ったり考えたりした様々なことを率直に記すblogになってしまいましたけれど、そういう、とりとめもないblogでも、面白いと思ってくださる方がいらっしゃるのはありがたいことですし、驚いたのは、この地域や、この集落出身の方が、故郷の様子を観るために、わたしblogを使ってくださっていると言うことを知った時でした。

 コメントを記してくださいました、ハンドル名“ひうらっこ”さまも、その中のお一人です。



ーとんとん機音日記ー-欅-02
【集落にあった、うつくしい樹形のケヤキ。】



“ひうらっこ”さまが仰っていらっしゃいます、あの欅の木は、わたしも、大好きです。

 他所に出かけていて、うちの家の前に車を止めたときに、最初に目に入ってくるのが、あの欅の木です。あの木の姿が見えると、「帰ってきたな。」とホッとした気持ちになります。
それに、古いコンクリート製の橋とケヤキと、身禄さんの産湯の辺りの川の風景は、わたしの好きな“ひうら集落の景観”でした。

 “ひうら集落は、「ひうら」の名が示すとおり、日(太陽の方向・南)の反対側にある山の斜面で南面して陽光に恵まれた土地です。
多分、川上の谷にある集落のうちでは、一番日当たりがいいところだと思います。
 
 しかしながら、「集落の記憶-橋-(津市美杉町川上)」と云う記事にも書きましたが、“ひうら集落は橋を渡らないとどこにも行けない集落ですので、災害時の退避路を確保するという目的で、老朽化していた古いコンクリート製の橋を架け替えることになりましたが、集落の景観というところでは、やっぱり、古い橋の方が絵になっていると思いますけれど、災害の可能性の事を考えると、集落住民の十年越しの悲願であった、この工事そのものは、致し方ないことだと思いますが・・・。
 
 けれども、ひうらっこ”さまが仰りたい事は、それにしても、もうすこし配慮のある事ができなかったのか。?・・・ということだと思います。
 多分、行政さんの担当部署は、災害対策とか、道路機能の維持とか、自分のところが所轄するそういうところだけしか見ていないし、受注された業者さんも、コストとか納期とか、そういうところだけしか見ていなかったのでしょう。

 でも、よく考えてみれば、・・・
この地域で、森林セラピーロードとか、グリーンツーリズムとかを事業展開なさっているのも行政さんなのに、そのような要素を汲み取ったような工事の内容でないところは、訝しいことだと思います。

集落の自然環境や景観や文化を資源として活用するのは積極的で意欲的だが、『集落の自然環境や景観や文化そのものや維持には、余り興味がないように思う。』・・・誰が見てもわかる巨樹なら、集客効果と云う価値があるが、樹形がきれいとかの価値は、直接的に集客に結びつかないから、あまり興味がないのかな。?

WEB資料1・・・森林セラピー
http://www.fo-society.jp/quarter/chubu/tu.html
WEB資料2・・・森林セラピー
http://www.tsukanko.jp/midokoro/

【架橋工事の工事車両が、うつくしい樹形のケヤキの枝を折ってしまった。】
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【折られた数箇所は、癒合剤の塗布処理が行なわれて、
一応の腐らないような処置がされているけれど・・・。】
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 例えば、今、天然記念物などになっている樹齢数百年とか云われる巨樹は・・・なぜ、今まで切られず残されたのでしょうか。?
 今は、巨樹でも、幼木の時もあったでしょうし、若木の時もあったでしょう。
建築用材に適さない木でも、薪にするにはちょうどいい頃もあったでしょう。
 なのに、「なぜ、それは、切られずに残されたのでしょうか。?」


 もし、誰のものでもない木なら、誰が勝手に切ってもいい木だから、薪とか、他の利用のために、巨樹にまで成長する途中で切られてしまったことでしょう。
 あるいは、所有する人が、土地活用に邪魔だとか、何の生産性もないとか、また逆に売れる買い手が見つかったとか、そういう理由で切ってしまっても良い訳なのですが、「なぜ、そうしなかったのか。?」というところだと思うのです。

 結局、巨樹がいままで、なぜ切られずに残されたかのか。?を考えれば、所有している個人や小さな集団(集落共同体や信仰集団など)が、その木に価値を見出し、所有している側が残したいと思ったから・・・なのでしょう。
「だれものでもなかったから残ったのではなくて、だれかに所有されて、その誰かが負担を抱えても残したかったという想いを貫いたから残った。」・・・という、あたり前の理由なのですが、そういう個人や小さな集団の力によって、受け継がれ、守られてきたのが、今に言う、美しい集落景観であったり、街並みであったり、巨木であったりするのではないでしょうか。
 つまり、これらは、個人や小さな集団が、自分や自分たちの美意識によって、主体的に行動したから、残されたのだと思うのです。

 最近は、“農山漁村における体験型観光”とかいうことで、山農漁村の集落景観や文化は、「そのグリーンツーリズムを用いた地域活性化プロジェクト(国主導の地域活性化施策)のための『資源』として位置づけられていて、また、多分にもれず、三重県でも、国のマスタープランに則って、そういう方向性の地域活性化が行なわれているので、この地域にも、それに沿った活動をなさっている団体があると思いますが、・・・

 しかし、前述のように、「個人や小さな集団が、自分や自分たちの美意識によって、主体的に行動した」というところには、「自分たちが、自分たちのために決めた価値観」があり、「価値評価をするのは、個人や小さな集団の、自分や自分たちです。」

ーとんとん機音日記ー-欅-06
【樹形のうつくしかった欅の木の周辺の現状。】


 同じ、「山農漁村の集落景観や文化を守ること」ではあっても、 わたしは、その土地に暮らす「個人や小さな集団の、自分や自分たちが決めた価値観」によってそれをすることと、国主導の地域活性化施策に示された価値観によって、山農漁村の集落景観や文化の価値に気付き、それをするのでは、大きな違いがあると思っていますし、他からの価値観に徒に同調する流れで山農漁村の集落景観や文化の価値が決められるのなら、将来ある時から、国が方向転換してしまったら、・・・あるいは、マスメディアなど都市からの価値観の視点が変わり、あまりその価値が省みられなくなったら、「また、再び、価値のないもの」に還ってしまう」と思うから、その違いは大きいと考えるのです。

 ひうら集落も、最近、暖かい日がつづくようになり、冬から春・夏への準備をかねて、家の掃除と整理をしていたら、進士五十八氏(元東京農業大学学長)の「農の時代」という十年ほど前に出版された本が出てきました。
 何気なくページを捲っていると、なにしろ十年前の本なので、今の時代性とのズレは否めないものの、あらためて読んでも、多くの興味深い処が記されています。


『農民は、劣等感に潰された。脱農を日本の発展と思わせた戦後日本の社会が農民を追いやり、その活力を奪ってしまったんですよ。その結果、先祖伝来の家や屋敷、祭礼や年中行事などすべての事柄を古いもの、いらないものと思うようになってしまった。』

『昔は、農民組合がありました。それから、今もありますが、120年の歴史をもつ大日本農会という社団法人があります。戦前は大日本農会は篤農家の集まりだった。自立農家ですね。それが農地解放で地域社会でのリーダー性をなくした。それはGHQの狙いだったかも知れない。日本の農村の特徴は、地域ごとに自立する精神とリーダー的存在である中核農家・地主・名主がいたことです。そういう人たちが、この村が駄目になったら自分の責任だとして、地域をリードしてきた。農家はコミュニティーを形成してきた。』


                                 ・・・・・・以上、「農の時代」 進士五十八 より



 グリーンツーリズムを用いた地域活性化プロジェクト(国主導の地域活性化施策)のためのその『資源』として位置づけられた集落景観や文化についてなのですが、・・・

 “グリーンツーリズムを用いた地域活性化”の講習会・・・みたいなものが、この地域でも年に数回行われているようなので、以前、「どんな内容なのかな」と興味をもったので、出かけてみた事があるのですけど、・・・。

 例えば、そこで言われていたことを要約すれば、いわゆるドラマチックな成功例の幾つかを示しながら、「田舎には、そこに住んでいる人が気付かない価値がある。」ということから始まって、「そこに住んでいる人が見飽きて、あたり前だと思って、興味を惹かない物が、案外に都会の側の目から見て、価値のあるモノやコトであったりする。」とかいう展開のものだったのです。
 それは、グリーンツーリズムを用いた地域活性化のための、住民を対象としたワークショップのうちの一端ですけれど、多分、どこでも、同じような内容の事が展開されているのだろうなと思いました。

 そのうえで、「やっぱり、根本的なところから疑問だな」と思ったのは、・・・
こういう、活性化って、そもそも、何を、どう、何の(誰の)ために、どういう目的(どういう達成目標)を目指して行なっているのか。・・・とかの、土台の処についてです。

 そして、その違和感は、・・・グリーンツーリズムやエコツーリズムやアグリツーリズムというところにからんで、“おもてなしの心”とかいう、いわゆる接客スキルの導入が盛んに言われ始めたことをwebの情報で知った時に、確信的になりました。
 なぜなら、全く逆の方向からいうなら、これは、単なる勝手な集落のテーマパーク化だと感じるからですが・・・。

 だから、このような、いわゆる、日本の型のエコツーリズムやグリーンツーリズムやアグリツーリズム(これらのどこがどう違うのかという気がしますが・・・)というものは、わたしは、あまり、好きじゃないって思います。
 わたしのところも、わたしが携わっている機織や養蚕をテーマにしたギャラりーを運営しているから、機織や養蚕などに、興味や思い出やをもつ方が訪れてくれれば、地域の活性化の一助になるかもしれないなと思って、養蚕の様子や作業を一部公開していますが、・・・。
 しかし、わたしはテーマパークの従業員ではないので、それらしい衣装を着けて、糸取りの様子を演じるなんて事は、ぜったいにやりたくないなと思います。


 日本の型のそれらが、よく言えば参考にした(悪く言えば、アイデアを盗用した)ヨーロッパの場合との違いは、どこにあるのだろうかと思います。



 漠然とですけれど、・・・。
今、わたしなりに考えているのは、「いつくしむもの」ということが、そのことについての答えになりはしないかと想っています。
 例えば、集落の景観とか、自然の営みとか、集落文化の行事とか、もっと具体的には、「ある一本の木」とか。・・・そういう多様な暮らしの要素の全部や、あるいは一部を、ビジター側もいつくしんでいて、勿論、集落に暮らす側もいつくしんでいて、「いつくしむもの」ということで結ばれた個と個の交流が、いわゆる定着したリピーターとして顕われてきたという、まったく自然な展開を、日本の場合では、国が主導してビジネススキルを用いて、“つくりだそう”としているので、そこが違和感となって感じられるのだと思うし、その地域活性化ビジネスゲームに参加していない人にとっては興味がないままか、或いは、実際に迷惑だなと感じる人も生まれてくる。
 「いつくしむもの」は集落に暮らす人にとっての「いつくしむもの」であって、それに共感できる限られた小数のリピーター的ビジターにとっての価値で良いと思うのです。
 不特定多数を対象にしたビジネスに対応する必要もないので、マスにとっての価値と同調する必要もないと思うのです。


 この「いつくしむもの」という処を思いついたときに、ふと思い出したのは、今のように、市町村合併して、村がなくなり、広域の大きな市や町になった時より以前の、「まだ、あちこちに多く村があった時代の事ですが・・・。」

 どこの村から行なわれ始めたのかは覚えていませんが、村の景観や自然や文化をいつくしむ気持ちが起きたような偶然にその村を訪れた人々や、昔その村に住んでいた人や育った人々に対して、「村外村民」として登録してもらうという制度を始めたということを目にした事があります。
 幾つかの村で、同様な試みが行なわれるようになったと記憶していますが、当時はまだ、ふるさと納税なんかもなかったし、ましてや、山農漁村の集落景観や文化を資源としてビジネスを起こそうというような、“お金がらみのこと”とは無縁の、「村をいつくしむ気持ちがある方を募集します。」と云うだけの、たわいのないものでした。

 けれどもね。そこが土台だと思いませんか。?

 そこに、“いつくしむ何者か”があるから、そこに住み続けたり、或いは、そこに移ってきたり、また、忘れがたい想いを抱き続けたりするのでしょう。

 わたしは、集落景観や文化は、観光ビジネスのための資源ではなくて、“いつくしむもの”であると想います。
 もちろん、“いつくしむもの”を通じて、色んな交流が生まれ、自然発生的にビジネスと云うものが芽生える事もあっていいと思いますけれど、・・・
 それは、都会の田舎志向の価値観に照らし合わせた“価値あるもの”を見つけ出して、商品化してゆこう。っていうこととは、根本的なところから異質です。

 前者は、定着したリピーター的ビジター(村外村民)の存在をも含めて、ひとつの共同体として育ってゆく可能性があって、ビジターの価値観や知性も共同体の力として加味されてゆけば、地域の活性化につながると思いますが、後者は、スタイル化された、商品を売るための、単なるビジネスモデルにしか過ぎません。

 前者が良いのか、後者が良いのかというところは、前述の、『活性化って、そもそも、何を、どう、何の(誰の)ために、どういう目的(どういう達成目標)を目指して行なっているのか。』・・・というところを、その地域のうちで暮らすみんなが、どう考えているのかによって、決まってゆくと思います。

 わたしは、もちろん、前者の方が、確実に良いと思いますけれど、
うちの集落や、もうすこし大きな地域全体の意見では、どちらが良いと考えるのでしょうか。?


ーとんとん機音日記ー-欅-05