御陰さまで無事にPre-openの初日を迎えることができましたが、
準備期間中に、急に大阪まで数日出かけなければならない事が起きたりして、
「ほんとに準備が間に合うのかな。?」と不安になった一コマもありましたが、
ギリギリでなんとかなったので、ホッとしています。
いま、「exposition de l'ouverture. 絹のストールと織のアクセサリー展」という、
わたしが、「tisser-du-tissu.」というかたちで展開しているものを中心にしてexpositionを行なっていますが、その後インターミッションをはさんで、新春の1月には全く違った分野の展示を行ないます。
この“山村生活ぎゃらりぃー”という空間の運営には、企画段階から幾つかの性格付けを行なっているので、ちいさなスペースですが企画毎に楽しめるように目論んでいます。
だから、わたしは、その毎に、つくる側の立場と、出展下さる方々の御世話をして空間をコンセプトに添って運営して行く企画側の立場との、そのふたつが入れ替わるので、「たいへんだな。ちゃんとできるかな。」という気持ちがある反面、とても楽しみにしているところがあるのです。
そしてまた、“山村生活ぎゃらりぃー”には「何らかのかたちで地域の活性化に役立ちたい。」という目論見があります。
このことは、具体的に何をどのようにしたらいいのか、自分でもまだ捉えきれていないところもあるので、いまのところ、ぼんやりした像でしかありませんが、実のところ一番切実なことなのだと感じています。
なぜなら、わたしは、この地域に移って来る前に、山一つ越えた谷筋の集落にいたのですが、移って来た頃、その集落には食品と日用雑貨をあつかっているお店が一軒ありました。
わたしも、そういうお店が物珍しかったことも手伝って、大阪から帰ってくるのが遅くなった時や、ちょっとお菓子なんか欲しい時には便利だったので頻繁に買い物に行っていましたが、あるときに「もう(店を)止めることにした」という話が出ました。
理由は、高齢になって来たので、仕入れなどに出かけるのが大変になった。ということでしたが、言外に伝わってくるのは、車で量販店に買いに出かける人がほとんどなので続けてゆくのが面倒になったということだったのです。
実際、買い物に半日時間を取られることにはなりますが、自分で車を運転して買い物に行ける分には「切実に困った」ということではないのですが、「車を運転しないと、病院に行くにも、役所に用があってゆくにも、買い物をするにも、なにをするにも想像を越えた不便さを経験することになります。」
今のわたしの立場では、自分で運転するので、「堪えられないよう不便さ」を味わったことはありません。
二年程前、親しくさせて頂いている御夫婦が高齢になったので運転免許を返されました。
いままで、ちょっとゆっくり目の運転ですが、マイペース速度でトコトコと御夫婦二人で「近くまで来たので寄ってみた」と見えらたのに、そういうこともなくなりました。
たまに、こちらから出かけて寄って見ると、やっぱり不自由なことも多いようです。
「そりゃ、いままでみたいにならないよ。」
とは仰るのですが・・・。
ひとが集まる大規模量販店に吸い取られるように、地域の市場の役割を担っていたお店が消えたあとに起きるのが“限界集落化”です。
わたしは、この集落が好きになって、
ここに染織の工房をつくりました。
ことしから、養蚕を始め、これも続けてゆきたいと思っています。
いまのわたしの年齢では、「限界集落状態」のところにくらしても「そんなにとりたてて不便とは思いません。」でも、今後はどうでしょうか。?
20年後、30年後、衰えてできなくなるまでここで機織りをつづけていたいと思いますが、その時に、この集落が完全に限界集落化してしまっていたら困ります。
だから、そうなる前に、何とかできるものならば、今できることをしておきたいと思うのです。
◉“山村生活ぎゃらりぃー”



