工房には、資料として集めたものが幾つかある訳ですが、それ等には染織の具体的な技術の痕跡が"モノ"のかたちをとって残されています。
染織と言うと、新しい図案や技法を考えて布に反映させて、作品として表現してゆくことのように思われるでしょうが、
それだけではなく、過去の資料の中から読み取ったことを、どのように今という時代の中で求められるかたちに置き換えてゆくというような作業も含まれるのです。
そのような資料の中でも、最も織り手の"手の軌跡"が色濃く残されているもののひとつに縞帳というものがあります。
縞帳は、織り手が自分で織ったり、織り方を教えてもらったりした布の断片を心覚えの為に使い古しの帳面(大福帳)などに貼付けてもので、今で言うなら、"織りのメモ帳"に相当するものですが、こういうものを見ていると柄の工夫の点だけでなく、他にもいろいろおもしろいことが見えて来ます。
例えばですが、・・・
これは工房の資料のうちの小県郡泉田村 明治四十年というの墨書が有る縞帳資料に含まれていたものですが、資料に記入されていた小県郡泉田村 というのは、現在の長野県上田市小泉(泉田)の辺りで現代では衰退しましたが上田紬の産地で、そこで、多分"白もの"で織られた後に型で染めたものだと思います。
ちょっと顕微鏡撮影の技術が未熟なので見にくいかも知れませんが・・・
次の画像を見て下さい。
画像は上下方向が経糸(タテ糸)、左右方向が緯糸(ヨコ糸)です。
緯糸(ヨコ糸)が、タオルを絞ったようになっています。
つまり、緯糸に強撚糸が使われていて、経糸はほとんど撚りがかけられていませんね。こういう特徴を持つものが"ちりめん"或は"ちぢみ"といわれる布です。
そして、もう少し良く観察すると、経糸緯糸共にずいぶん太さにばらつきが認められます。
この資料なんかは比較的、経糸緯糸で、それぞれ太さが揃っている方ですが、昔のモノはもっと大きな巾でバラツキが認められ、例えば縞ものなんかでは柄構成に、それを巧みに利用しているところがあることが判ります。
機織りで糸の太さが均一になってくるのは、機械化された製糸工場ができて、それが産業として全国に広まってから以降の事で、そういう太さに規格がある製糸工場の糸が一般にも入手できるようになったからだと考えられますが、わたしはこのようなバラツキのある糸を巧く使っている昔の布を見る度に古い民家の梁のことを思い出してしまいます。
何故なら、民家の梁は、曲がりくねった材木をつかって、地方ごとの型(均一性)をきっちりつくり出していますよね。
それに曲がりくねった材木を使っていても、部屋が歪になっている訳でもなく、真直ぐなところは真直ぐに仕上がっています。
わたし達現代人では、曲がりくねって各々が全く違う材料をつかって、家を建てろと言われたらどのようにするでしょうか。?
普通に考えれば、多分、曲がった材木を使うと構造が捩れ現象を起こしてしまい壊れてしまうのではないかと想像してしまいますから、具体的にどのようにしたらいいのか戸惑ってしまいますよね。
画像でも判るように機織りでも、古い民家と同じような事があって、バラバラの太さの糸を使って、均一感のある面を織り出しています。
また、そのようにして織られた平面には、深みのある面の奥行きや、落ち着きさえ感じ取ることができます。
この資料の布に限らず、古い布には一様にそのような魅力があり、それらを観る度に、いつも「そういうのって、なんだろうな。」と思うのです。
この資料の布の場合もそうですが、織り手の側は、面白い歪みをつくろうとして織ったのではなく、"均一性"を求めて織っているハズです。
ただ、この時代は、良く似た太さの糸を使ったとしてもバラツキのある糸しか得られません。だから、そういうバラツキのある素材を使って"均一性"を求めようとすれば、そこに織り手と糸との対話といえばいいのか、格闘といえばいいのか・・・。そういう関係があるように思われてなりません。
そして、いづれにしても、そのような現代の感覚からすると、とても不安定な要素を、技量と経験とによって扱おうと試みる処から、懐かしいような奥行きのある存在感が生み出されているのだとしたら、「なんと面白いことだ。」と感じます。

