族も携帯持ってます
ウガリ
タンザニアのお金
最後の目的地ザンジバルを終え、高速フェリーでダルエスに戻った。ちゃんと事前予約しているのに予約したフェリーはいっぱいだから別のフェリーの乗ってくれ、あと10分で来るから。と言われ、あと10分で来るということは1時間後になるだろうと予想できたので15分位抗議したところでその船は出航してしまった。うう~ダルエスで待ち合わせしているのに~!まあここはアフリカだから仕方ないか。インド列車は24時間も遅れたからそれよりましだわ。そんなときアラブの富豪と思われる男性達が君は中国人だろう?そして湾岸アラブ恒例の夜のお誘い。MP3聞いて聞こえないフリ。が、しつこく肩を叩いてくる。中東旅で湾岸アラブの人間がアジア人女性を売春婦扱いするのを嫌ってほど思い知らされてきた。アフリカでもまたか~。もう嫌だ、疲れる。いつもなら中国人と言われても何も反応しない私だが、今回ばかりは「私は日本人!初対面の女性に対してどこの国の女性でもそんなこと言うのは失礼ですよ!」と睨みつけてやった。女は従順だと思い込んでいるアラブの富豪は驚いて何度も振り返りながら去っていった。中東ではこんなこと日常茶飯だったが、それでもアフリカに比べると全然旅しやすかった。正直アフリカを女1人で旅するというのはとてもしんどい。自分が来ておいて言うのもなんだけど、男の人と一緒に旅するほうがいいと思います。第一に女1人だと危険だし、精神的・肉体的にも辛いことが多すぎる。本当に一時も休まるときなんてない。ようやく1時間遅れで乗ったフェリーから船酔いしつつ降りると数十人のtaxi客引きが一目散に腕をつかんでこようとする。数メートル前から「Don't touch!!」とありったけの声で連呼し、引っ張られるのを防ぎながら走り抜ける。それでも数名はしつこくついてきて、シカトし続けると「Fuck!!」とか言われたりする。そんなときは悲しい気分になるけど「ハクナマタタ~!」と気にしないのが一番だ。タンザニア1の最高級ホテル『キリマンジャロ』でアフリカで会った旅人と待ち合わせしてた私はフェリーの遅延のせいで遅刻していたので一目散に歩いた。暑いし荷物は重いし今日の宿も決まっていない。そのうちに暗くなってしまい、しかもたどり着いたのはホテルの裏口でそこからは入れないという。表門まで歩いていくのは危険だから護衛をつけるから待ってくれと言われた。待てども来ないので「私はもう行く!」と言ってずんずん歩いて表門に向かった。結構恐い。。ナイロビでは夜買物袋を振り回して走ったけど、今回は「うぉりゃ~!!」と奇声をあげながらバックパック振り回して歩いた。オリンピックの室伏選手をイメージして。かなりの危険人物である。さすがにこれは重くて走れず、ヨタヨタしてしまったが。自分がこんなに力持ちなんて思わなかった。なんか疲れとイライラでパワーが異常発生してるようだ。誰も寄り付こうとせず無事に表門に着いた。すると日本人がレストランで待ってるよと言われ、ホテル内のレストランに向かった。最高級ホテルに民族衣装を着てバックパックを背負い、汗だくになって髪を振り乱しているアジア人女。なんて恥ずかしい。第一こんな格好でこの敷居をまたいでいいのかという雰囲気。マナー違反ではないか?レストランに行くとアフリカで知り合った日本人(勿論こんなレストランに来るくらいだからパッカーではない。スーツケーサーである。)と友人の台湾人2人が「良かった~心配してたよ~」と大歓迎してくれた。その日本人には何度も待ちぼうけをくらわせてしまっていたが(勿論悪気はない。たまたまハプニングで)、「何でも好きなもの食べなよ~!」と言ってくれ、高級寿司を始め日本食、中華、タイ料理、インドネシア料理などありとあらゆるアジアン料理をお腹いっぱいご馳走になった。お、おいしすぎる!疲れた体に染み渡る~!前回の中東旅でも最後のドバイで日本人駐在員に毎日ご馳走になったし、旅の最後はいつもラッキーだ。台湾人の方はいろんな本を出版している人みたいでたくさんの人生アドバイスをしてくれた。「自分がたくさん失敗してきたから若い君にそのことを少しでもわかって欲しい。そうすれば失敗することが少なくなるかもしれない。焦りすぎてはいけない。100やりたいことがあったら10に絞ってそれに集中しなさい。私は10カ国周る中でやりたいことを叶えるのは1つだけでいいいと思っているんだ。今60カ国周ったから望みが叶ったのは6個。死ぬまでに100カ国周りたいからあと40カ国、4個の望みを叶えたいんだ。あまり欲張りすぎると大事なものを見失うからね。だから焦点をきちんと定めなさい。」自分に何が大事なのか。何をやりたいのか。50歳でかなりの波乱万丈な人生を送ってきただけあって説得力がある。確かに私は1回の旅でやりたいこと、見たいものを欲張りすぎる。だからこんなに疲れてしまう。ハード過ぎて今後旅に嫌気が差してしまうかもしれないし。すごく為になる話しばかりだった。次の日の早朝バスでナイロビへ戻る予定だったので寝たら起きれないと思って朝までダルエスにあるカジノを数件ハシゴしまくりずっとゲームする人たちを眺めていた。アフリカにもこんなリッチな世界があるのか~。最後にいい経験したかも。早朝1人ナイロビへと向かった。が、途中の町までしかチケットが取れず、そこからまたチケットを取ったりしてかなり大変だった。ナイロビにようやく着いたのはダルエスを出て18時間後の深夜だった。深夜の恐ろしいダウンタウンをタクシーで走り抜ける。ボロい車体はドアがパカパカと開きスリル満点なドライブだ。さあ後は日本に戻るだけだ。エチオピアへ戻り、タイへで旅の疲れを癒し、日本へと帰ろう!



奴隷像
奴隷の牢屋
大聖堂
結婚式
ザンジバルではかつてアラブの奴隷商人が、東アフリカ全域より捕らえられたアフリカ人をザンジバルに運び、この場所に奴隷市場を造った。市場は16時に開かれ、男の奴隷は土の上に、女の奴隷は離れたところに立たされた。

そんな悲しい歴史を、自由と平和と発展の歴史に塗り替えるべく、建てられたのが大聖堂。

この大聖堂には今でも奴隷達の像が残ってその悲しい歴史を物語っている。実際奴隷が暮らしていた地下室は薄暗く、狭く、皆鎖でつながれていたという。

市場での奴隷と買い手の数は600人を超えるほどだった。アフリカ全体でも奴隷船で毎年数十万人ものアフリカ人が運ばれたが、新大陸まで生きてたどり着いた人は1500万人、途中で亡くなった人はその5倍と言われている。

私が大聖堂を見学した日はちょうど結婚式が開かれていた。アフリカの結婚式を見るのはこれで2回目。1回目はエチオピアの族の結婚式。あれはすごかった。儀式で男が女をムチで打ったり、牛の上を飛び越えたり、かなりアクロバティックなかんじでした。ザンジバルで見た結婚式はノーマルなアフリカンスタイル。基本式には誰でも参加可能、観光客でも大歓迎、皆でお祝いしましょうという雰囲気。500人はいたと思う。面白いのが日本では式の間参列者は拍手くらいしかしないけど、こちらでは人々が歓声を思いっきり出す。歓声といっても奇声としか思えないほどの叫び声!「ウキャ~!」と非常に動物的で見ごたえ充分でしたベル

一方、からゆきさんとは日本から諸外国に売春のために売られていった婦人の別称。ザンジバルにいたからゆきさんは、最盛期には十数人を超え、うい40年前までここで生活していた。彼女達はとても友好的で、ザンジバルの人々に愛されていたという。

興味のある方→「ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)」白石顕二 著、現代教養文庫 社会思想社


ビーチボーイ
やっぱ海でしょ
ザンジバルの焼き鳥
ジャンボゲストハウス
フェリー
ストーンタウン
アフリカ・スーダンで1月24日ハイジャックが発生したそうで。。恐いですね~、私ももうすぐフライトを利用するので不安です。エチオピア航空は前回同様オーバーブッキングが予想されるので今度は3時間前に行こうかな飛行機

都会であるダルエスで航空券やバスの手配などを済ませ、いざ最後の目的地であるザンジバル島へフェリーで向かった。スピードフェリーで2時間揺られ、かなり船酔いしながらザンジバルに着いた。国でもないのにこの島では税関審査があり、パスポートを見た係員は私をすぐに別室へ連れて行った。「何でトランジットビザしか取得していないんだ?ザンジバルに入るには観光ビザが必要なんだよ。」と言われた。ケニアからの入国のときマラウイに抜けると言ってトランジットビザで入った私は30ドルしか払ってなかった。他の国に抜けるためのルートならトランジットでも2週間滞在していいことになっているのだが、ザンジバルなんて観光以外に来る場所じゃないので観光ビザが必要になる。おとなしく追加で20ドルを払い、入島。人気の宿「ジャンボゲストハウス」へ。ザンジバルは宿泊料が他の地域よりも高く、満室も多いのでダルエスから予約をしていた。スタッフも皆親切だし、バリのリゾートみたいな部屋ですっごく癒された。久々にお湯シャワー浴びたし。(ザンジバルは暑すぎるので水シャワーで充分なのだが。。)

ザンジバルはアフリカというよりもアラブそのものです!中東を前回旅していたのでとても懐かしかったし心が落ちついた。食事もアフリカ料理より断然口に合うし、もう快適☆

ストーンタウンと呼ばれる町を歩くと迷路のような細い路地が続き、独特のアラブな雰囲気。町の至るところにモスクがある。

海に行ってみると確かに噂通り青く綺麗だったが、今まで綺麗な海を見すぎているので想像以上の綺麗さではなかった。誰も泳いでいる人はいないし。

ダルエスに比べるとみんな親切で優しい人が多く、子供もすごくフレンドリー!みんな「ジャンボ~!」と声をかけてくれる。アフリカに疲れきっているとき、最後の目的地がこのザンジバルで良かった!今回は時間がなかったのでまたいつかゆっくりと訪れてみたいです晴れ



アフリカの子供はピュアだダウン
タンザニアの少女
タンザニア・アルーシャの子供
小学生たち、元気いっぱいダウン
タンザニアの小学生
キリマンジャロ山ダウン
キリマンジャロ山!
長距離バスダウン
長距離バス「アカンバ」
46カ国目~!ダウン
タンザニア入国
アフリカの太陽が大きく見えるというのは本当だった!でも何でやろ?ダウン
アフリカの太陽は大きく見える
ナイロビから1人タンザニアに16時間バスで国境越えをした。移動途中バスからキリマンジャロの山を拝むことができた。頂上には雪が積もっていてすごく綺麗でした。登頂には1週間から10日位かかるらしく費用も1人10万円位かかるという。実際登った人にケニアで会ったがもう2度と登りたくないと言っていた。かなりハードだったらしい。

タンザニアの首都ダルエスサラームには夜に着く予定だったが、ものすごい不安なことがあった。

それはタクシー強盗!かなり頻発してるらしく日本人パッカーもかなりの被害にあってるらしい。

絶対にタクシーに乗るもんか!と思ったが夜徒歩で1人で宿探しをするほうが危ない。こうなったらバスの中の現地人の中で一番人の良さそうな人を探して宿まで一緒についてきてもらうほかない。とりあえず人の良さそうな男性を発見!

バスの中でもすごく親切にしてくれた人で、1人でタクシーに乗るのが不安だと話した。その人はすぐに友人に電話してくれて友人の車でYWCAへ向かった。満室で泊れず、YMCAへ、、また満室で泊れず他の宿へ、、あまりにも満室続きなのでかなり不安になってきた。もう諦めて僕の家に今日は泊れと言い出した。これはかなり怪しいぞ。そもそも外人がレセプション行くと値段が高くなるから車で待っててくれ、値段交渉してくるから。と言って私と一緒に行かないというのが怪しかった。こんな6件も満室なんてありえない。満室というのは自分の家に泊らせるための嘘かもしれない。ボディタッチもやたら多いし。。7件目の宿はさすがに自分もレセプションに行ってみた。するとやっぱり普通に部屋が空いていた汗

ああ~やっと宿が決まってひと安心。。その男性とその友人にお礼を言って別れようとするといきなり態度が急変してここまでしたんだからお金を払えと言い出した。さっきまで紳士的だったのに。。途中賄賂欲しさの警官に何度も検問に遭い賄賂をかなり払ったんだと言ってきた。20ドル位要求してきたから「そんなお金ないよ~!」と言って5ドルだけお金を渡し、宿に駆け込んだ。とりあえずダルエスサラームはナイロビよりも危険という人もいるくらいなのでなんとか宿に着けて良かった。エチオピアで一緒に行動していたパッカーはカメラをダルエスで盗られたらしいし。ドンジャラ、ドンジャラ。。「歩く電化製品パッカー」と異名を持つ私もある程度の貴重品はナイロビに置いてきました。最後の最後で盗難はゴメンですから走る人

ルワンダでブルンジ行きを断念した翌早朝、ルワンダの首都キガリからカンパラへ戻り、更にまたすぐバスのチケットを取りナイロビに戻った。計24時間の移動。ルワンダで2日間シャワーを浴びてなかったのでカンパラで1泊してもよかったけど、ウガンダは死ぬほど暑いし、快適なナイロビに一刻も早く戻りたかった。別に誰に会うわけじゃないから数日シャワー浴びれなくても平気だし、日本人の女の子の臭いなんてアフリカンから比べたら無臭の部類に入ると思う。それほど現地人は臭い。もう慣れたけど最初エチオピアにいたときなんてひたすら口だけで呼吸していたくらいだ。

ルワンダからウガンダへの出入国、ウガンダからケニアへの出入国と降りたり乗ったりの繰り返し、またトランジットビザを払わなければならないし、常に割り込もうとする現地人と喧嘩しまくり、うっとおしい闇両替人たちを振り払い、バスの中では痴漢されないように身を守る。常に気を張っているからすっごく疲れる。道が悪いところも多く、バスも整備不良でバウンドしたり傾いたりを繰り返し、乗り心地が良くないし精神的にも安心できない。

基本アフリカのローカルバス移動は現地人以外の人は乗ってない。他の旅行者など乗っていないから、肌の色が1人だけ違うわけでみんな一斉に見てくる。この子はどこの国の人間だろう?なんで肌が白いんだ?なんで髪の毛が縮れてないんだ?など疑問の目で見てくる。しかも女1人で何しに来たんだ?とよく聞かれる。

結構みんなに同じことを聞かれていちいち答えるのは面倒くさい。だから結構バスの中では寝るか、MP3を聞いている。

でも24時間も充電がもつはずもなく、途中で切れてしまう。移動中音楽がないと絶対無理な私の秘策。。それは1人カラオケ!

音楽がないなら自分で歌っちゃえばいいのだ。バスの走行音はうるさくて大声で歌っても全然周りには聞こえないし、どうせ最初から注目浴びてるんだから口をパクパクして周りにどう思われようが別にどうでもいい、何にも気にならない。結構バスの中で歌う現地人は多いし。

ちょっと歌っては疲れて寝て、トイレ休憩、食事休憩があり、時計を見る、まだこんな時間。ナイロビまで長いな~。でもカナダを東から西に一気に移動したときなんて72時間移動だったから全然余裕。あれは混んでたしきつかった。でもアフリカに比べれば道も断然綺麗だし、臭いと清潔面から言えばアフリカのほうがしんどいかな。

夜になると痴漢との格闘が始まる。誰か男の人と一緒なら誰も手を出さないが1人だと状況は一変する。眠り込んだら最後、必ず痴漢してくるやつが現れる。

ナイロビ行きのバスは混んでいなかったから1人2席を使うことができた。これなら安心と思いきや、バスの座席管理者が突然隣に座ってもいいかと聞いてきた。私はいつもの決まり文句で「私の隣は女性限定!」と強く言った。相手は「そんなの誰が決めたんだ!」と怒り出す。だいたい今まで座ってたスタッフ席をわざわざ移動してくるなんておかしい、しかも夜だし席は他にもたくさん空いているんだから、経験上明らかに痴漢目的だと察した。この前もルワンダのミニバスで男に触られたばかりだし、もうたくさんだ。20分彼と喧嘩をしていたところ他の乗客が「お前もういいかげんにしろ、他の席へ座れ!」と怒ってくれてなんとか喧嘩は終結した。その後ずっと気を張って起きていてナイロビに早朝着いたが、まだ気は抜けない。宿にたどり着くまでは。。

外が明るくなるのを待ち、ダウンタウンを早朝歩くのはかなり危険だから信用できそうなタクシーで宿へ直行。ようやく緊張も解け快適なナイロビ生活へと戻ったのです。

ウガンダの走る電話機(なんで走る必要がある?)ダウン


ウガンダの移動式電話
これは元貴乃花関の写真が無断転用されてます、、しかもルワンダのビスケット。。味はマズいダウン
元貴乃花?
コーン売り
ルワンダと日本の関係はいかに?ダウン
こんなポスター発見
バイタクの兄ちゃんたちダウン
バイタク
ルワンダ料理は高カロリーダウン
ルワンダ料理

ルワンダから次はブルンジという小さな国に行こうとしていたが、たまたまルワンダのブタレというブルンジ近くの町でネットカフェに行きブルンジに行ったことのある旅人と情報のやり取りをした。

そのパッカーは年下だけど、今の私の危機管理能力でブルンジには行かないほうがいいとガツンと言ってくれた。

もっと下調べして服装もそれじゃあダメだと。

ブルンジには世界的な美しいタンガ二ーカ湖という湖がある。それを見ながら次の目的地であるタンザニアのダルエスサラームへ列車で向かおうとしたのだ。

旅先でヨーロピアンの旅人にブルンジの感想を聞いたが、特に安全に問題はないようだった。ネットで調べた外務省情報はかなり不安なものだったが、実際行ってよかったという感想を目の当たりにするとそんな不安も薄れてしまう。

アフリカ旅の終盤、最初はブラックアフリカンという人種さえ恐れていた私だったのにたった一人で危険かもしれない国に行こうとしてるなんて自信過剰もいいとこだ。本当は1人じゃ何もできないくせに、旅先で誰かがいつも親切にしてくれてるから旅ができているというのに。。

ルワンダまで来れたのもウガンダのカンパラで会ったビジネスマンが5日間も自営の仕事を休み、しかも日本に帰国する予定だったらしいのにずっと面倒見てくれて、遠くに車まで出してくれて、とてもスムーズに行動できたからだ。

特に頼んでいるわけではないが、私がそれだけ頼りなさそうに見えるということだ。そんな風にいつも親切にしてもらってるからこそ私の旅は安全で素晴らしい経験ができているのだ。

アフリカで会う人みんな口を揃えて忠告してくれた。アフリカなんてハードなとこ旅したいなら男の人と来なさい。もっと汚い格好で来なさい。などなど。

人が行って安全だったから、何もなかったというのは私にも当てはまることでは決してなく、しかも私は若い女性なのだから男の人とは状況も違ってくる。

ヨルダンのクリフホテルのサーメルが言ってたことを思い出した。「何でみんな危険なところに行きたがるんだ、もっと安全な国はたくさんあるじゃないか。」

確かにサーメルの言う通り、危機管理能力もないくせにそんな危険な国なんて行く必要はない。

もっと安全な国を旅すればいい。まだまだ行ってないところはたくさんあるんだから。

忠告してくれた旅人とのメールの後すぐに私は首都キガリへと戻った。そのままブルンジに向かえるようにわざわざミイラのある記念館までバックパック背負って見に来たのにまた先日泊っていた宿に戻った。

一晩寝たら明日の早朝バスでカンパラに行き、その足でナイロビまで戻ろう。

その日夜にキガリに着いた私のバス予約の為の移動、早朝にバスターミナルに向かう道、宿の従業員が女の子1人じゃ危ないからと心配してずっとついてきてくれた。

そうだ、この優しさを当たり前と思っちゃいけない。いつも現地人、旅先で出会う人たちの優しさが私の旅を後押ししてくれてる。

だからこそいろんな国を見てこれたんだ、私の力でやってきたわけじゃない。

自分が日本で心配している立場だとしたらどんなに辛いか100%わかってなかった。

何かあってもすぐに何ができるわけじゃない。ひたすら連絡を待つだけ。

自分の力を過信し、危機感を失くしていた自分を恥じた。

死んだら終わり、残された人達が悲しむだけ。

まだまだやりたいことだらけの人生、判断ミスで危ないところに行って死んだらもったいない。

1994年4月のルワンダで起きた大虐殺を知らない人はいないと思うが、詳しくは内容を知らない人も多いかもしれない。

ギコンゴロの記念館は5万体ものミイラが保管されているが、キガリの記念館には被害者の遺品や写真、モニターや文章で虐殺の歴史を知ることができるようになっている。

ルワンダには多数派のフツ族と少数派のツチ族がいた。

1994年の4月、フツ族のルワンダ大統領の乗った飛行機が何者かに撃墜され、フツ族によるツチ族の大虐殺が始まった。

なんと94年の春から初夏に至る100日間に国民の10人に1人、少なくとも80万人が虐殺された。この死者は、比率からすればホロコーストにおけるユダヤ人の犠牲者のほぼ三倍になり、 広島、長崎の原爆投下以来、最も効率的な大量虐殺だった。

記念館には実際虐殺をしている場面の映像や、子供達がどのようにして殺されたのか、将来の夢はなんだったのかなどが書かれている。

医者になりたかった少年は何度も何度も殴られ、意識を取り戻すとまた殴られて殺された。

ガイコツが展示されているコーナーでは頭の骨を見ただけで殺され方が判別できた。ある人は銃で頭を打ちぬかれ、ある人は鈍器で殴られヒビが入っている。

虐殺は神聖な教会の中でも行われたという。

1人では何もできないが、集団で立ち上がったらもうそれを止めることはできなかったのだろう。

人間誰でも天使の心と悪魔の心を持っているのかもしれない。




ルワンダの子供
ムランビー
ルワンダ国旗
ルワンダのキガリからバスで3時間半、ギコンゴロという小さな町からさらにバイタク(バイクタクシー)で15分ほどの場所にルワンダ大虐殺の記念メモリアル「ムランビー」に行ってきた。

人がいる気配がまったくない様子で今日は休館かな~と諦めて帰ろうとすると、ガイドと名乗る一人のルワンダ人が現れた。

どうやらたまに客が来ると駆けつけるみたいだ。

そのガイドは1つ1つミイラの保管されている倉庫を案内してくれた。倉庫が開いた瞬間、ものすごい悪臭が鼻を突いた。

おびただしい数のミイラ、子供のミイラも数多くあった。

そんな倉庫がここには24室もある。

6室見たところで吐きそうになった。

ルワンダを訪れた旅人全員がここは1度訪れてみたほうがいいと口を揃えて言っていた。

人間のしたことを見るべきだと。

2~3年前ポーランドのアウシュビッツに1人で行ったときも衝撃的だったけど、ここは更に生々しすぎた。

あの臭いとミイラの残骸はたぶん一生忘れられない。

穏やかで親切なルワンダ人。つい13年前の出来事とはとても信じがたい。

興味のある人、映画だけでなくこちらも読んでみてください。→「ジェノサイドの丘」

ウガンダからバスで国境越えをし、ルワンダは首都キガリにやってきました。

この国の特徴。

まずビザ代が高い。なんと60ドル。学割なし。(ウガンダは学割有り。)

列に並ばないのはアフリカのお約束?みんな税関で押し合いへし合い、割り込んでくる。

そして極めつけが国境で全てのビニール袋を捨てなければならない。

なぜならみんながビニール袋をポイ捨てするので環境が汚染されるから。という理由です。

それならビニール袋を捨てないように呼びかければいいのでは?と思ってしまう。

でもルワンダ的考えではビニール袋を抹殺してしまえというわけです。

ビニール袋が一切ないとなるとかなり困るんですよね~。国境で全部捨てて衣服やいろんな小物をまとめる入れ物がないと不便。

そこで登場するのが紙袋売りの兄ちゃん達。

紙袋買って~!としつこく言ってくる。もちろん買いませんよ。

ビニール袋全部出すフリして実は大量に持ち込んでますから~あせる

今日はキガリのメモリアルセンターに行ってきました。

あの有名な1994年4月の大虐殺の歴史を知る記念館です。

明日はもっとすごいミイラが大量にある記念館へ行ってみます。

興味のある方は「ホテルルワンダ」「sometimes in april」という映画を見てみてください!



赤道越え
国境をまたぐ少年
地球の北と南
赤道
ビクトリア湖
セセビーチ
ウガンダは赤道にある国、ということで赤道を初めてまたいでみました晴れ

1cm北は北半球、1cm南は南半球って面白いですね!地球は丸いのです。

そんな赤道をウガンダ人少年が颯爽と南半球から北半球へと走り去っていきました。

さてウガンダといえば世界第3位の広さを誇るビクトリア湖。

ご飯を作ってくれた優しい夫婦がウガンダを出るので空港に送りにいったついでに見ることができました。

とにかく広いです、延々と続く巨大な湖ってかんじです。

ウガンダ来て思ったこと。女性のお尻がこれでもかってくらいでかい。

いかにもアフリカンな民族衣装を着てる人が多い。

食事にバナナを使う料理が多い。

英語を話せる人が多い。

貧富の差が激しい。

警官と役人の賄賂請求がすごい。

役人の給料は国民の給料の20倍以上らしいです。

すごいですね。。