生物は全て遺伝子に支配されている。
その遺伝子の1つに利己的遺伝子と呼ばれるものがある。
これは、自らの遺伝子を残そうとする、またそのために様々な活動をする根拠となる遺伝子である。
その遺伝子により、本能的に精神的、肉体的に成長し、衰え息絶えるまでに様々な知識を習得し、より安全、確実に子孫を残すよう活動をするのは生存している以上必然であり、それは使命とも言えるであろう。
体外受精に関しては、その行為自体に問題があるとは、私は思わない。
問題があるとすれば、人間は高度な知識、知恵を持つがゆえに、その利己的遺伝子の存在を解明し、また、遺伝子を絶やさぬよう、より高度な行動をとるようになり、自然の摂理の領域に踏み込んだことにあると考える。
日常の様々な出来事に喜怒哀楽し、様々な事象を分析し、より良い手段を見つけ、さらにより良い手段を見いだすための努力を繰り返す、そうして進化を遂げてきた。
その一環として、妊娠のメカニズムを解明し、そこから妊娠できない原因を突き止め、それを解決する方法を見いだした。
ただそれだけの事である。
一見、人工的に生命を産み出す神への冒涜のようであるが、あくまで、高度な知識を持つ生物による、高度な遺伝子存続のための一行動でしかない、つまり、他の生物に比し高度な知識、技術を持つがゆえの必然の行動である。
また、その知識の高度さゆえその是非についても考えることができる。
生命とは神秘的な存在である、と理解している一方で、その生命をより長く継続させるため、また人間という種族を絶やさないために、神秘の領域に踏み込み、解明しようと日々努力が行われている。
つまりこの問題は、肯定派、否定派ともに矛盾をかかえており、どちらが正しいとは言えない。
双方とも、人間として理に叶った行動であり、是非は問えないであろう。
体外受精という技術に至ったことも人間として必然であり、また倫理的に問題があるのではないか、と検証することができるのもまた、人間として必然なのではないだろうか。
生命操作と揶揄する者も少なからず存在するであろうが、これは我々が人間である以上遅かれ早かれたどり着く進化であったと考えるべきではないか。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉があるが、何かを思い、考え、行動し、結果を検証し、さらに思い、考える。
その結果生まれた技術であるため、私は体外受精は何ら問題はないと考えるのである。

996文字でまとめてみました。
知識不足のため駄文ですみません…
あくまで私の主観です。