*エコー画像が出てきます
今日は出産予定日だった日です。
2月からずっとこの6月9日が来るのが怖くて仕方ありませんでした。
去年の移植後、10月の後半に心拍確認ができて、予定日がほぼ決まり、
来年の6月9日頃は、私は一体どんなふうに暮らしてるのかなとあれこれ想像しました。
結果的には全くの予想外の事しか起きず、あれほど強く望んだ大切な命を自ら諦めるという、辛い決断をする事となりました。
数日前に、注文していたエコーアルバムが届きました。受精卵の分割記録と、2wの移植時のエコーから始まっています。
エコーアルバムを見ながら、改めて夫と息子について話しました。
夫は、火葬以降、息子の事を一度も話しません。寂しいけど、恐らく彼なりに考えている事があるのだろうと、尊重する意味で私も夫とは息子の話題を避けていました。
それでも今回ひとつの節目として、夫が息子の事をどう思っているか改めて知りたくて、質問してみました。
夫は、エコーアルバムを眺めながら長く沈黙して、
「良い思い出かどうかで言ったら、あまり良い思い出ではない。本当に仕方なかったことだから。」
と言いました。
夫はいつも素直な言葉を出してくれます。
私も同じ気持ちです。端的に言うと、確かに良い思い出ではありません。息子を諦めるのは本当に辛かったし、諦めた事に対する申し訳ない気持ちは今もずっとあります。
ただ、私はどうにかうちに来てくれたことに対して、とても感謝しています。息子の心拍が確認できた日は本当に嬉しくて、内診台で涙を流すほどでした。うちにやっときてくれた本当に大切な子だったんです。
だから、私は夫の気持ちに加えて、息子がいた思い出や記録を大切にしたいんです。これは、はたから見たら矛盾していて、「勝手に中絶したくせに、何言っているんだろう」と、おそらく理解されない事だと思います。
それでも、たとえ中絶したとしても、私にとっては大切な子には変わらないし、私の一生の宝物なんです。
これはもう他人に理解されなくて当然のことだし、自分が1人の命を諦めた事に対しては、一生背負っていかねばらないと考えています。今回は間違いなく、人生で最も重く辛い決断でした。
エコーアルバムは、妊娠中に息子と一緒に行った場所や、一緒に食べたものの写真も沢山入れました。写真を見ながら、
「これ美味しかったよね」「あーここね〜」
など夫と振り返っていました。
このブログの記録は、ほとんど中絶までのものになってしまいましたが、楽しい時間も沢山あったのだとエコーアルバムを見ながら実感しました。
コロナ禍だったから遠出はできなかったけど、たくさん一緒に歩けました。
この出産予定日だった日は、私にとって大きな節目で、一息ついたような感覚です。息子も夫も本当に頑張ってくれました。今日もお天気は良くて、やっぱり晴れ男な気がしています。
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昨日は病院から帰ってきて、アッキーナ夫妻のニュースを知りました。とても悲しいです。
不特定多数に報告しなければならないぶん、心への負担が増えてしまっている事と思います。
妊娠報告自体は必ずしもするべきものでは無いと以前から考えてはいますが、
個人的には、今回は、たくさんの人に存在を知ってもらったことは、赤ちゃんと夫妻にとって良い部分もあるように思えます。
死産した子は戸籍がありませんが、いくら戸籍に残らないからといって、亡くした赤ちゃんを無かったことにはできません。でも、公的に存在を証明する文書は、死産届や火葬許可証くらいしかありません。。
そこで、存在を証明するために、誰かに覚えていてもらうことが、とても大切になってきます。
今回はたくさんの人に祝われて、悲しんでもらえて、何よりたくさんの人たちに覚えていてもらえることができたと思います。
私自身も、息子の事を覚えていてくれている人がいることにとても救われています。
今回も、たくさんの人が夫妻の赤ちゃんの事を想っているはずで、これは夫妻の今後のグリーフケアに繋がるはずです。私も夫妻の1人目のお子さんの存在を忘れません。
どうかマスコミはこれ以上追わず、夫妻がゆっくり休めますように。
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*以下は胎内記憶に関するボヤキです
死産した人に向けて、
「この子は〇〇のためにやって来たんだよ」
「忘れものを取りにお空に帰ったんだよ」
「あなたを選んで来てくれたんだよ」
などと声をかけているのをよく目にしますが、
その子が来た意味というのは、他人が勝手に意味付けして良いものではないと思います。
一人の命が亡くなった事に変わりはないのに、赤ちゃんの件になると、どうしてこのようなスピリチュアルな話になるんでしょうか。私はなんだか、茶化されているような気持ちになってしまいます。
こういう言葉がけが広まったのは、おそらく胎内記憶の某氏の影響かと思われますが、このスピリチュアルな言葉のせいで傷付いている人も沢山います。
胎内記憶ではなぜか不妊にも言及される事もありますが、医学的に原因が分かっている男性不妊にすら、お空の云々〜とか全くの的外れな事が書かれていたりして、これは本来の胎内記憶に泥を塗っていると言っても過言ではありません。
助けられた部分は多少あるので、完全に否定はしていませんし、信じる事で気持ちが救われるのなら、本当に信じて良いと思います。
ただ、こういった賛否がわかれるものは、人に掛かる言葉としては不適切ではないのでしょうか。
自分が死産や不妊を経験していなくて、言葉がけに困った場合、無理に言葉をかける必要もないと思います。お大事に、くらいでも心遣いは伝わります。
あまりにも酷いやり取りを見かけたので、ついこんなことを書いてしまいました。ツッコミどころが多すぎて、全部に突っ込めないくらいです。
どうか胎内記憶ビジネスで傷つく人が増えませんように。。。