亡くなった赤ちゃんはどこにいくのだろうか。

本を読んだり、胎内記憶の本を読んだりしたけど、
どれも自分としてはしっくりくることはなかった。

唯一、産後直後にかけてもらった、

「赤ちゃんは、あなたの中でいろんな経験をして、これからあなたと一緒に生きるんだよ」

という言葉はすんなりと信じることができて、
とても助けてもらった。

息子が私の人生を変えるほど大きな経験をさせてくれたのは間違いはない。

だからこの言葉を心から信じることができたのだと思う。


面白いのが、

本当に自分の中で成長しているのかも…

と思った出来事があった。

最近、息子が正産期で生まれることができた場合に、どんな顔になるのか、なぜかはっきりと想像できるようになったのだ。
産後直後は全く想像できなかったのに。

皮膚ができあがって、すべすべのほっぺ、ちっちゃな唇、長いまつげ、しっかりしたまゆげなど、、、
ますますかわいい。

これからも私の中で成長し続けてくれたらいいなと思う。


次の妊娠が始まっても、未だに毎日しくしく泣いている。妊娠しても何にも変わらなくて、この3ヶ月間、毎日泣いてるせいで、目のラインが変わってしまってメイクがしづらい。

未だに息子の病気が悔しくてたまらない。
月命日は特に怖くて毎回緊張してしまう。

悲しみに飲まれてしまいそうなときは、
人は辛い出来事からそう簡単には立ち直れないし、
気持ちを切り替えることできない、
それで正常だということを思い出す。

ゆっくり進路を変えてる最中だから焦らずに。

弱ってる自分を受け入れて、面倒みてあげる。

他人に接するように自分に接する。

これだけでもだいぶ冷静になれる。
少しずつ気持ちのコントロールができるようになったかもしれない。


しんどい時、お花を見るとなんだか救われる気持ちになる。

わざわざ生の花をお供えする理由は、つぼみだったお花が咲いて、枯れていくのを一緒に眺めたいからだ。

花をお供えする理由にはそれぞれの文化が関わっているけど、「生きててほしい、再生してほしい」という願いは、どの文化にもベースとしてありそうな気がする。

お花を供える文化があって良かった。
なんだかすごく救われている。


今回のお花はポップで遊び心があってかわいい。






お空の上で息子にとって辛いことが一切ありませんように。
寂しい思いをしていませんように。
あたたくて心地よい場所で、どうかどうか穏やかに過ごせていますように。