自己紹介+α(前半) | (旧)医学生あんぽんたん。

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脳脊髄液減少症の医学生です。

 

治療で改善はしましたが、なかなか本調子ではありません。

 

すべての症状が脳脊髄液のトラブルによるものか定かではありませんが、頭痛と吐き気、目の眩しさ、首から腰にかけての痛み、全身倦怠感、動悸や冷や汗、集中力の低下や頭の回転の悪さを感じています。

 

 

ちょっと気持ち悪い自画像を描いてみました。

 

残念ながら明るい表情は描けません。

なんとか半分は生きてるという感じを表現してみました。

 

 

悪く言えば半殺し、生き地獄といったところでしょうか。

 

 

僕がどうしてこんなことになったかなんて、そんなに興味を持ってくれるほど現代社会は暇じゃないと思っていますが、

とにかく奇特な経験をしたことは確かです。

 

発症してからもうすぐ4年、ずっと寝つきの悪い日々を過ごして来ました。

悩むのをいくらやめようとしても、わだかまりは勝手に頭の中を疼き回っているのです。

正直なところ、自問自答を繰り返すばかりで、他のことがなかなか手につきません。

 

自分の中での整理という意味合いも含めて、一体何が起こったのか、なるべく他人にも伝わる形で改めて言葉にしておこうと思い至りました。

 

 

自分が何者なのか知ってもらうには、ありきたりな自己紹介では足りないと思っていて、

まず病気についてと、僕の身に何が起こったのか、そしてこんなことを真剣に考えている変な人ですってところをまとめてようやく伝わるか伝わらないかという感じだと思っています。

 

特に、社会の捉え方については賛否両論あると思っていて、もしかしたら強く批判される可能性もあるかなぁとも思っているのですが、

そこは人それぞれ、色んな考え方があって良いしみんな違ってみんな良いのかなあという感じなので(僕は)。異なった考え方を持つ人のことを攻撃しようなんて全く思っていません。

 

他人からどう思われるかは置いておいて、今の僕と僕が生きる今の日本に対して、正直に向き合ってみようという勝手な試みなので、お前は何様のつもりだ?と思われる点も所々あるかとは思いますが、どうかご容赦ください。

 

それでは病気のことと起こった出来事、そこから見える社会の景色とこれからのことについて、以下の項目のQ&A方式でまとめていこうと思います。


【前半】

Q1.脳脊髄液減少症とは?

Q2.発症のきっかけは?その後の経過は?

Q3.充分な安静がとれなかった要因は?

Q4.誰の責任なのか?

Q5.病気になって変わったことは?

【後半】

Q6.今の日本について思うことは?

Q7.そもそも仕事とは何か?

Q8.生活保護についてどう思うか?

Q9.ベーシックインカムの導入で日本はどう変わるか?

Q10.超少子高齢化社会に求められるものは?

Q11.理想の未来は?

 

まとめたつもりではあるけれど、多分すごく長くなります。

後半部分は僕なりに、日本の未来や国民の生活・何気ない毎日が幸福になって欲しいと思って書いた文面ですが、

まぁこれは仕方のないことですが、立場によって様々な考え方があるようで、必ずしも僕の本意が伝わるとも限らないと判断し、誤解や偏見を回避するため、現在はアメンバー限定公開とさせていただいています。

 


 

Q1.脳脊髄液減少症とは?

A1.豆腐(脳みそ)のパック(髄膜)に穴があくなどして水(脳脊髄液)が減る病気です。

 

脳と脊髄を浮かべ、老廃物を流し、外的刺激から守っている脳脊髄液が減ってしまうと様々な症状を引き起こします。

起立性頭痛、吐き気、嘔吐、めまい、羞明、耳鳴り、耳閉塞感、全身倦怠感、集中力低下、

重症例では運動麻痺、感覚麻痺や脳神経障害、高次脳機能障害、痙攣などが起こり得ます。

原因としては交通事故(かつてのむち打ち症)やスポーツ、転倒、医療行為、くしゃみなどがあると言われています。

2016年4月に治療法が保険適用になったばかりで医療従事者でも疾患知識に差があるので、もしかしたら診断されていない例が多いのかもしれません。決して稀な病気ではないと僕は思っています。

体を横にすると重力のかかるベクトルが変わって楽になりますが、単なるなまけと誤解されがちです。見た目はいたって普通です。

周囲の理解が得られない、お金がない、休むべき時に休めないなど社会的な問題が、よりいっそう患者を苦しめます。


臓器の障害で死に至ることはほぼ無いかもしれませんが、症状の程度や家庭環境、労働環境、経済的な問題によっては、自ら命を絶つ危険性のある疾患です。

 

詳しくはこちらを参考にして下さい。

脳脊髄液減少症患者・家族支援協会

CSF JAPAN脳脊髄液減少症

脳脊髄液減少症の非典型例及び小児例の診断・治療開拓に関する研究


 

Q2.発症のきっかけは?その後の経過は?


A2.痔の手術の際の腰椎クモ膜下麻酔がきっかけです。

1年半後にブラッドパッチ、3年後に厳格な臥床安静を試みています。
 

忘れもしない2年生の終わりの春休み。

ずっと気になっていた排便時の出血をみてもらいに近所の肛門科へ行きました。

まだ手術の必要はないレベルだけど、新学期が始まる前に治療してしまいましょうと言われ、内痔核に対するALTA療法を受けました。

その際、腰の骨の間から針をいれて脳脊髄液を包んでいる膜へ針穴をあけるという腰椎クモ膜下麻酔を施されました。

 

当然ながら脳脊髄液がある空間に穴が開くことになるので、脳脊髄液が周囲の組織に漏れることがあります。

その漏れる量によっては脳脊髄液減少症と同様の症状が起こり得るようです。

痔の手術前には、特に若い女性に多く20人に1人の割合で頭痛が発生することがありますと説明されていました。

 

あとから分かった事ですが、腰椎穿刺後頭痛が発生したとしても、通常は2週間程安静にして輸液を受ければ長引くことはないとされます。

しかし、僕の場合は主に学業のため発症後に充分な安静を取ることが出来ませんでした。

その結果、何年にもわたり症状が遷延してしまいました。

 

発症して1年半後にブラッドパッチを受ける際の画像検索では、椎体に3回針が刺さった痕跡を指摘され、痔の時の腰椎麻酔の手技に問題があるのではないかと説明されました。

 

実は痔の手術のあとから発熱が出現し耐えがたい腰痛があったのですが、どおりで、と納得がいきました。

ただし、肛門科の医師には「2週間を超える範囲については腰椎麻酔との因果関係は考えられない」と言われています。

 

ブラッドパッチ後には硬膜外腔が陽圧になるというバルーン効果によって一時的な回復は実感しました。

注入した血液は速やかに吸収されますが、その後に炎症反応が起こり線維化によって穴が塞がるといわれており、半年間は大事をとるようにと言われました。 

本当は休学したかったのですが、多額の費用がかかるためそれは出来ませんでした。

CBTまでの半年間は、教室に置いていただいたベッドの上で横になった状態で授業を受けていました。

 

その後は主に腰痛があるものの症状が改善傾向にあったため、君なら大丈夫だと担任に言われ、どうにか5年生の病院実習に参加していましたが、思うように勉強できず、進級試験に落ちて留年することとなりました。

 

大学の某教授からは、ブラッドパッチを行った医師の印象が昔から悪かったようで、「あいつはきちんと患者を診るような人間じゃないオレは知っているんだ。まだ治ってないだろ。お前は騙されたんだ。」と言われました。

 

何が正しくて誰を信じたら良いのか定かではありませんが、とにかく僕の身体は悲鳴を上げているのは確かで、病気によるものだけと断定することは出来ませんが、ついに学業に大きく影響を来してしまったのです。

 

そして家族には金銭的に多大な迷惑が。

 

また、その某教授から紹介された病院にて3週間の厳格な安静臥床と24時間の輸液を試みたところ、入院前に比べ症状が落ち着き、再び5年生の実習を行うこととなりました。でもやはり元の調子ではないようで...

 

現在はなんとか病院実習が終わり、年明けの進級試験に向けて勉強しているところです。

 

そしてなんと、最初の発端である痔は治っていないのですが、もはや特に困っていないので諦めました。

 

 

 

 

Q3.充分な安静がとれなかった要因は?


A3.運が悪かったことと、医学生という立場への過剰適応だと思っています。
 

人間と動物の大きな違いは、外的刺激と反応の間に選択の余地があることです。

 

もしかしたら運が悪かっただけなのかもしれませんが、外的刺激がどうあろうと、確固たる意志を持っていれば、自分の身を守ることは出来たのかもしれません。

 

大きな反省点としては、初期の臥床安静が不十分だったことが挙げられます。

 

痔の手術から数時間後には起き上がって食事を取るなどしておりましたが、今思えば危険な行為だったと思います。

ただし、その時点では麻酔薬が脳へ回らないように枕を高めにすることを指示されていて、そのことばかりに気がいっていました。

また医学部2年生の知識では腰椎穿刺後頭痛について知るよしもなく、頭を高くし過ぎてもいけないということは残念ながらわかりませんでした。

 

また翌日、起き上がって勉強していたところ発熱と腰痛が出現したのですが、鼻水も出ているということで風邪と診断され葛根湯を処方されました。

今思えば腰痛は耐えがたいものでしたが、ベッドに長く寝ていたら誰だって腰が痛くなると医師に言われればそうだと納得してしまいがちです。

顕著な頭痛には気がつきませんでしたが、もしかしたら腰痛にばかり気がいって頭が痛いことに気がつかなかったのかもしれないと今は思っています。

 

葛根湯による発汗作用で熱が下がり、退院となりましたが、そのとき家族は用事があり、重たいスーツケースを自分で持って階段を降るなどしなければなりませんでした。

 

退院したからには何もかも大丈夫だと思い、通常通り起き上がって活動していましたが、3度の激しい嘔吐や目眩に見舞われました。

ただし痔の先生は部活動のOBでもあり、難癖をつけるようで感情的に肛門科に連絡するという選択は思い躊躇われてしまいました。

 

安静にしていたところ治まったため、気が弱っているだけと思うことにして、その翌日には引っ越しがあり重たい荷物を何度も運んでしまいました。移動中に車内で堪えきれない吐き気に何度も嘔吐し、不審に思った両親が肛門科へ連絡し、そこでやっと腰椎穿刺後頭痛について知るところとなったのです。

 

術前に説明されていた頭痛が、まさか脳脊髄液の減少によるものだったとは思いもよりませんでした。

事前に重たいものを持ってはいけないとか、頭を上げて過ごしてはいけないとか、脱水はよくないとか、注意された覚えもありません。

 

病状について説明され理解するも、自分としては学業のことしか頭にありませんでした。

春休みがすぐに終わり学校が始まることを肛門科の医師へ伝えると、点滴と安静で様子をみつつ頑張りなさい、ということになりました。

 

ここでも安心できる状態になるまで入院させて欲しいと伝えるべきだった自分に過失があるのかもしれませんが、長期間の入院は医療費がかかり国にも家族にも迷惑がかかるとの思いもあり、また、まさか長期間にわたって苦しむことになるとは予想もできず、ただただ学校に行かなければという気持ちしかありませんでした。

 

そして大学の先生にこのことを伝えると無理はしなくていいと言われるけれども、「1度でも実習を休む者は医師になる資格が無い」という指導をクラス全体にするため、どうしてもこちらを鵜呑みにして学校は休んではならないと思い込んでいました。

 

家族に金銭的な迷惑をかけたくなかったのと、多額の税金が投入されているために将来医療を提供するという形で社会に還元しなければならないという想いも強く、あの状況では自分としては事実上、休んだ場合の退学などが怖く、無理をするしかありませんでした。

 

そして、具合悪いのがどうした、自分は頑張るしかないのだと決め付け、念のためのビニール袋をポケットに用意しつつ、嘔吐しても口の外には出さずに飲み込みながら、講義と実習に参加するという狂った選択をすることになりました。

 

 

 

Q4.誰の責任なのか?

 

誰のせいでもありません。強いて言うなれば自分です。

 

 自分としては学業の面で周囲に遅れをとるのが嫌で、術後すぐにでも起き上がって勉強したかったですし、腰椎穿刺後頭痛が判明した後も、できるだけ学校に行きたいと言ってしまいました。

大学を休むことの損失、休学や退学への恐怖、医師という進路を諦めたくないということしか頭にありませんでした。

 

発症してしばらくは精神的にまいっていたこともあり口論する元気もありませんでした。

苦痛を伴う電話連絡にも不慣れで、肛門科の医師や大学の先生への状況説明や周囲への相談が望ましい形で為されなかったことは自分に落ち度があると思っています。

 

あとは、小さいころ遊具に頭部を激しく強打したことはありますし、中学の頃にがったん椅子の要領で後ろから倒れて腰を強打したことがあるので、必ずしも腰椎穿刺だけが原因と断定することも出来ないのではないかと思っています。

 

 

 肛門科の先生にはもっと早い段階で腰椎穿刺後頭痛について説明して欲しかったですし、いくら学業の事情があるといっても、長期間に渡る健康被害が予見出来たならば注意する義務があったはずです。

 

絶対安静にしてなさいと言って欲しかったです。

 

ただし、僕からの連絡が滞っていたのと驚くほどの回転率で多数の外来・入院・手術をお1人でこなしていたため状況の把握と判断が正しく下せない状態にあったのかもしれません。忙しそうにしていると話しづらいですし、連絡するのも気が引けてしまいます。

 

医者が忙しくしていて良いことなんてひとつもありません。

 


 大学としては優秀な医療の担い手を輩出する責務があるでしょうから、ある程度の厳しい教育は当たり前であり仕方ありません。

むしろ一人の学生の面倒事に、真摯に対応して下さったことに誠に感謝しています。

 

「1度でも実習を休む者は医師になる資格が無い」という指導も、実習はその場で1度限りしか経験できない貴重な機会であることから妥当性があります。

 

ただ贅沢を言うと、実質的な知能・技術よりも出席や態度が重んじられる風潮はいかがなものかと思ってしまいます。

昔と比べ教科書が何倍にも厚くなり高度で膨大な内容を吸収しなければならない今の学生にとって効率良く学習できる環境が望まれます。礼儀や精神的なヒューマニズムも大切だとは思いますが、結果的に患者さんにメリットがあるような教育に進化していくことを願っています。

 

 

 ブラッドパッチの後に大学の法学の先生に相談してみたところ、肛門科医師については、アメリカであれば何らかの法的措置が為される可能性はあるそうですが、ここは日本であり、訴訟というのははっきり言ってケンカであり、将来的にあなたの立場は悪くなるかもしれませんから辞めておいたほうが無難でしょうとのこと。

仮に裁判に勝てたとしても弁護士費用を除けばあまり大したことにはなりませんし、いくらか貰えるかもしれないけれどあとは人生終わりということになるでしょうねと言われました。

 

何も盛っていません。ほんとにこう言われました。

僕のことを思ってあえて言って下さったのかもしれないけれど、日本の司法というのはそういうものなんだそうです。

 

ただ正直、怪我や病気を治そうとして行う医療行為が犯罪に繋がり得るという状況は、将来医者になる身としてはちょっと怖いです。

アメリカのような訴訟社会になって当たり屋みたいな人が増えても大変です。

 

故意に患者を傷付けてでも利益を上げたいと考える医者はさすがにいないと信じたいですし、

肛門科の先生も僕の痔を治したいと思って手術をした気持ちに嘘は無いはずです。

 

 

そこで僕は考えました。

 

 

そして辿り着いたのは、誰のせいでもないのではないかという結論。

 

 

起こってしまったことは巻き戻せません。

もしくはタイムマシンを開発するしかありません。

 

もっと言えば、

 

痔になるような椅子を中心とした西洋風の生活様式への転換なんて起こらなければ良かったとか、

椅子に座って勉強ばかりしていないでもっと遊んでいれば良かったとか、

医療なんて無い時代に生まれれば良かったとか、

脊椎が重力に歯向かうような二足歩行なんて人類の祖先はやめておけば良かったのにとか、

そもそも人間になんて生まれて来なきゃ良かったとか、

それ以前に地球も太陽も宇宙すらも存在しなければ、誰ひとりとして傷付くことはなかったのだろうという話になるのですが、

 

 

どこに責任転嫁しようときりがありません。

 

もうこうなってしまった以上は仕方ありません。

 

失った時間や心に負った傷は元には戻りません。

 

誰かのせいにしたところで気持ちが悪くなるだけで、そんな暇があったら医学を勉強したいです。

 

 

とはいえ最初は正直、被害者意識ばかりでした。

自分が一体何をしたんだろうか、何故こんなに苦しまねばならないのか、と随分と悩みました。

もしかしたら前世の行いがよっぽど悪かったのかもしれないと想像したこともあります。

 

今までずっと、親や学校の先生のいうことを聞いて、特に反抗することもなく生きてきました。

しかし、誰かの言うことを聞いて行動したことがきっかけで不運な目に合った時には、どうしても誰かのせいにしてしまいたくなります。

 

だからこそ、相談はしても最終的には自分の責任で意思決定することによって、後悔することなく他人のせいにすることもなく生きていけるのではないかという考えにたどり着きました。

 

 

 

 

Q5.病気になって変わったことは?


A5.アイデンティティが揺らぎ、自己の存在意義を失いかけてしまいました。

 

一応は現役で医学部に入学し、最初はクラスでの成績も上位だったはずなのに、発症後から自分も周囲も驚くほど、成績の急降下を記録しています。

もともとは38℃くらい熱があっても休まない真面目な人間だったはずですが、遅刻や欠席ばかりで家でも寝てばかりいる怠け者になってしまいました。

 

昔の僕を知らない方には、おそらくただの怠け者にしか見えていないことでしょう。

 

見た目ではわからないからといって、頭痛い、吐き気がする、腰が痛い、動悸が止まらない等と24時間わざわざ口にだしていたら、とてつもなく反応的で愚痴っぽくて、逆の立場だったら人間性を疑うだろうと思います。

 

「だるさ」ひとつにしても、疲れた眠いとか、かったるいとかそんなレベルではない時があります。

全身に力が入らなくて気を抜けば意識が飛びそうな状態を想像できるでしょうか?

インフルエンザや3日間の徹夜よりしんどかったと言えば伝わるでしょうか。

 

それでも急にそこら辺で横になり出したら、社会的に問題のある行動どころではありません。

なんなんだ一体こいつは?と軽蔑の眼差しを浴びることを覚悟しなければなりません。

 

ただでさえ部活動を辞めざるをえなくて、行きたい飲み会も断って友人付き合いも悪くなり、どんどん人が離れて行って孤独になっていく中、とても発達障害並みの行動を取るには抵抗があります。

 

むしろアイデンテティの揺らぎと自信のなさをカバーするため、より一層外見や立ち居振る舞いには気を遣いたくなってしまうようです。

 

具合い悪いと訴えれば休むことが出来るかもしれませんが、それを繰り返して休んでばかりいたら勉強について行けず自らの首を絞めることになります。

 

どんなに辛くても気力で起き上がっていることが不可能でない限り、無理矢理でも頑張るという選択をすることになるのです。

 

何ともないような顔をして平静を装うのがやっとという状態で無理に頑張り続けていたら、早かれ遅かれ精神が崩壊してもおかしくないと思います。よく発狂しないでやってこれたなと自分でも感心します。

 

 

それでも労働市場の不良品として扱われることになるのは随分と抵抗があるのです。

 

働かなければ自立できない、自由を得られない、そんな世の中だからです。

ただでさえ医学教育には国の税金が使われているのに、それに加えて奨学金と、家族へ迷惑をかけて留年までして、これでもし医師として働けなかったら、一体何のために生きているのだろうかと考えずにはいられません。

 

自分の持つ唯一の資産である肉体に傷がついたことを認めるのには時間がかかりましたし、いや、未だに認めきれていない部分はあるのですが、それでも何かしらの形でこの世界に価値を与えたいと思っています。

 

症状が治まるのなら一日中寝ていたい気持ちも無くはありませんし、実は何度もそんな日を過ごしてしまいました。

でもそんな毎日ばかりでは筋力も落ちて廃用症候群になり、さらに何も出来ない状態に近づいていくでしょう。

 

3週間の厳格な臥床安静もさせられましたが、他人の世話になり何もしないで寝ているなんて生きた心地がしないものです。

身体は動きたいと言っているのにじっとしていなければならないというのは、本当に頭がおかしくなりそうで拷問のようでした。

 

社会に出ず孤独でいるのも虚しいです。自分の存在意義を疑います。

好きでそんなことをする人なんて多分いません。

 

 

ある程度の丁度よい無理は必要だと思っています。

 

 

「人間の目的は、生まれた本人が、本人自身につくったものでなければならない。」と夏目漱石が言っています。

 

 

もうすでに通常の臨床医として使い物になるかどうか怪しいところがありますし、やぶ医者みたいになって患者さんを苦しめた上にお金を巻き上げるくらいなら医者はやりたくありません。

 

少なくとも、病気になる前の能力とモチベーションのまま努力し成長していったはずのパラレルワールドの僕は、残念ながらこの世界には存在しません。

 

昔の僕が今の僕をみたらきっと馬鹿にするでしょう。

 

 

でも、今の僕なりに経験をしたことが多少は精神的な成長の糧になったと信じています。

 

具合い悪いということがどんなに辛いのか知ったことで、少しは人に優しくしようと思えるようになりました。

 

例えば辛い経験をした方の話に耳を傾けることだったらできるかもしれないと思っています。

 

わだかまりが静まらない時は、湧き上がった熱い想いをこのブログにぶつけてみます。

 

そして、何とかここまで頑張って来れたのだから、せっかくならば医師免許を取得したいです。

 

当分は卒業試験と国家試験を乗り切るための目の前の勉強を、工夫しながら地道にやっていくつもりです。

 

 

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