大好きな、植本一子さんの本。
石田さんが亡くなってからの日記。


母親との事もたくさん書いてあって、

私自身、母に対してまだ何か求めていることに愕然とする。

そう、そこに尽きるんだよな。
こどもの頃に充分な愛情をかけてもらえなかったら、結局、尾を引くんだよ。


一子さんは、生きづらいと自分のことを思ったことはない。って。
でも、もう少し楽になりたいと感じていた。
って。
今は切に自分を変えたいと思う
とも。


カウンセリングにも定期的に通う一子さん。

そこで、自分自身と対峙していき、
どんどん芯に触れていく。


なんかね、ほんと、一子さんと自分がかぶりすぎて、ほんとにこわいんだよね。
いや、こわいというか、そんな陳腐な言葉ではないのだけど、なんて表していいかわからない。
寂しさとか、ほんとに私が中学生の時に感じてた時のまんま、とか。
私の求める恋愛とか。
似てる。
私の誕生日が、結婚記念日だった、とか。

幼少期に親から関心を持たれなかったことが原因で、
自分で自分の世界に閉じこもることでしか、自分を守ることができなかったんです。

↑一子さんが聞いた、とある先生のお話。
まさしく私のこと。
母親から充分な愛情を受け取れなかった人達を救いたい。

誰かのために、という理由がないと、私は結構何も頑張れない。

あ、これもまさに私のこと。


カウンセリングを受けることで、
自分で自分を助けることができる。
と、言えるようになった一子さん。
私もそのカウンセラーになりたいのだ。
カウンセラーは、必要な仕事なのだ。

失って気付く。
ほんとはちゃんと愛されてたって。


母親に充分な愛情を向けられなかった私達は、
恋愛で依存しがちになっちゃうのかな。
いつも求めてた。
愛されたい。
幸せにしてほしい。
一方通行では、恋愛はうまくいかない。
ちゃんと返さないと。
ほんとうの意味で私は相手にちゃんと返せていたのかなって、はなはだ疑問だ。

石田さんが、
離婚するのはいいけど、何か他のことが理由なんじゃない?
って一子さんに言う。
愛だなぁって、わかるのにね。
自分ごとだと客観的に見れない。
見れなくなる。


自分に自信がないから、相手を信じることができない。

まさしく。
私も。
自信がなさすぎて、いろんな問題をおこしてしまう。
そんなことはちっとも望んでないのに。
自ら引き金をひき、
自ら自爆する。


私はと決定的に違うのは、一子さんがちゃんと料理をするところ。
料理をちゃんとする人って、それだけで、ちゃんと愛されてきたんだ、って私は感じるんだよね。
私のこども時代の食事は、お粗末なものだったよ。
だから私もこどもに何を作っていいかわからない。
これは、ただの言い訳だな。


もう、いいかげん、
自分を自分で許そうね。
私が羽ばたくことに、制限をかけないで。
私は最高の素晴らしい人間なんだ。