母性社会の終焉 | KAZUMI OHASHI

KAZUMI OHASHI

2008-2016

まだ全然本論に入ってないのですが、課題を整理しておきたいです。
知識がなかったのと、要領の悪さでなかなかうまくいきません。
ムズカシイ!



 先生から、社会学としての母性を読んで概念をつかんだところで、テレビドラマのテキストを読んでいく作業をするように指導受けました。

 朝ドラを題材にと考えてましたが、母性概念の問題を整理した時に、それは見当違いだと分かりました。

「母性が本能である」の肯定と否定論があるのですが、最近はフェミニストたちによる、
「母性は本能ではなく国家戦略としてねつ造された神話である。
児童虐待や少年犯罪の責任を母性崩壊のせいするな」という主張がよく聞こえてきます。
私が読んだ本も多くがこの考えでした。

 戦後と現代では母親像が大きく変わっています。
母性を「母が子を育て守るための自己犠牲、報いは見返りの愛」と定義するならば、それは消えつつあります。
いわゆる母性社会は崩壊していると言っても良いと思います。

 90年代後半のテレビドラマにおいて目立って描かれた、子による母殺し描写が、母性社会の終焉を象徴しているのでないか。
殺しに至るまでの母親の母性、母子関係というのを読んでいきたいと思います。

 社会学の本によると、母性の否定面意識化というのは90年頃から強くなったそうです。
テレビドラマが社会認識の再生産だとすれば、時代の流れとしても当てはまっていると思います。

 今月は母性描写を切り口にした私用ホームドラマをまとめる作業をしたいと思います。
朝ドラの「おしん」ですとかは、その中で再考します。
 社会学の母性論については、その次にまとめ直したいと思っています。