破られた安全の“密約”


 北海道根室沖カニ漁船銃撃・拿捕(だほ)事件で、日本とロシアが二〇〇〇年に


「双方の拿捕時に銃撃しない」とする合意をしていたのに、今回、それが機能しなかったことが分かった。


“密約”ともいえる非公式の合意で、ロシアの密漁取り締まりに日本側が協力する内容も含まれるという。


日本側が対応に苦慮するなか、北の海の安全を陰で支えてきた“密約”の行方は? (社会部・西岡聖雄)



■発端はロシアから  旧ソ連崩壊後、ロシア主張の領海内で、ロシア政府に無許可のロシア漁船らによる密漁が横行し、ロシアが日本に取り締まり協力を求めてきたのが合意の発端だ。  不審船舶に適用できる領海侵犯の国内法を持つロシアや韓国、中国などと異なり、日本は領海侵犯の国内法がない。  このため、ロシアの警備艇に追われたロシア密漁船が領海侵犯で摘発される恐れがない日本の領海に逃げ込むと、ロシア警備艇は手出しできなかった。  ロシア主張領海でカニなどを密漁するロシア漁船の漁獲物は、日本に運び込まれる。さらに、ロシア警備艇に銃撃、拿捕される日本漁船を守る意味もあり、日本側はロシアの取り締まりに協力する代わりに、日本漁船を銃撃しないことを要請。二〇〇〇年のプーチン大統領訪日に伴う協議などで「双方が拿捕時に銃撃しない」ことで合意した。  互いの内政干渉を避けるため、正式な文書による調印の形ではないが議事録に残されたという。



■守られていた合意  この合意後、ロシア国境警備庁は二十隻以上の日本漁船を拿捕したが、今回の事件までは、日本漁船は威嚇射撃を受けていない。この間もロシアは日本船以外の密漁船などを銃撃しており、合意が守られた形だった。  日本側も、ロシア警備艇に追われて日本領海内に逃げ込むロシア船を海上保安庁の巡視船が待ち伏せして追い返したり、位置をロシア側に連絡したりするなど協力。事実上の合同捜査が定着していた。  ロシアに拿捕された日本漁船は一昨年までの過去十年間で四十二隻。日本もその間、ロシア船を七隻拿捕した。  日本側は密漁容疑だけでは銃撃せず、密漁船に強行接舷して制圧する方法で拿捕するので、両国が銃撃を控える“密約”は「日本有利」とされてきた。



■カニのヤミ市場も  北方領土海域では旧ソ連時代、日本の防衛に関する新聞記事や海保の巡視船の写真、家電製品などを旧ソ連に提供する見返りに、安全操業できるレポ船という日本漁船がカニ漁などの主役だった。  ロシア人はカニをあまり食べないため、ロシアのカニ漁船はほとんどいなかったが、日本でカニが高く売れるため、ロシア政府に無許可で操業するロシア密漁船が十数年前から現れたという。  ロシアの密漁船は、ロシアの港に水揚げせずに洋上で日本船に渡すなどして日本に運ぶため「ロシア密漁船に課税できない」と、ロシア当局が取り締まりを強化。  反発したロシアマフィアによるとみられるロシア当局幹部の自宅が放火される事件も数年前に起きた。  一方、ソ連崩壊で消えたとされる日本のレポ船の一部は、ロシア密漁船と組んでカニなどを輸入するブローカーになったり、高速でロシアの警備艇を振り切る「特攻船」でロシア主張領海内で漁を続けたりした。特攻船が捕まえたカニなどは、漁協を通さずにヤミ市場の仲買人に流れ、暴力団の資金源になっているとみられている。  今回の事件について、ロシア側は、日本政府の密漁対策が不十分とする主張もしている。ロシアの正規の輸出額の数倍以上という密漁カニなどがロシアにもたらすはずの外貨確保を目的とする密漁対策強化が背景とも考えられている。  日本側は今後、再発防止の一環として「双方銃撃しない」合意の今後の取り扱いなどを、非公式ルートでロシア側と協議する見通しだ。



竹本 正幸, 岩本 誠吾, 安保 公人, 真山 全
人道法国際研究所 海上武力紛争法サンレモ・マニュアル解説書