ボリス・エリツィン さん
ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン
ロシア語: Бори́с Никола́евич Е́льцин ru-Boris Nikolayevich Yeltsin.ogg、
ラテン文字表記の例:Boris Nikolayevich Yel'tsin
1931年2月1日生まれ、
2007年4月23日、満76歳没。
ソビエト連邦内ロシア共和国ウラル州ブトカ地区ブトカ村(あるいはバスマノフスコエ村)生まれの政治家。
ロシア連邦初代大統領(1991年7月10日~1999年12月31日)、
ロシア連邦初代閣僚会議議長(首相)(1991年11月6日~1992年6月15日)
を務めた。
大統領在任中に ソ連8月クーデター に対する抵抗とソビエト連邦からのロシアの離脱を呼びかけて
ソビエト連邦の崩壊 に導いた評価と共に、
ロシアの威信の低下・
腐敗した 縁故資本主義 ・
議会と対決する強権的な政治手法・
チェチェン紛争 の泥沼化
への批判もあった。
1961年、ソビエト連邦共産党に入党。
1976年、スヴェルドロフスク州党第一書記に就任。
1981年、党中央委員となる。
1985年、党政治局員候補兼中央委員会書記に就任。
1988年2月、政治局員候補から解任。
1989年3月の人民代議員大会選挙にモスクワ選挙区から出馬して当選して政界復帰、
急進改革派の地域間代議員グループに属し、
民主綱領派のリーダーとなる。
1990年5月、ロシア共和国の最高会議(ロシア語版)議長(実質大統領)に就任。
1990年7月13日、ソ連共産党を離党。
1991年6月12日、ロシア共和国大統領選挙で57.3%の得票率を獲得して当選し、
1991年7月、ロシア共和国大統領に就任。
1991年8月、ソ連の ゲンナジー・ヤナーエフ 副大統領を擁立する「保守派」が起こした ソ連8月クーデター の際には
戦車の上からロシア国民に対し、ゼネストを呼びかけるなど徹底抗戦した。
ゼネストは不徹底であったものの、軍と治安機関の大勢はクーデター派を支持せず、
結果としてクーデターを失敗に終わらせ、
この事件によりゴルバチョフの求心力が大きく失われ、
代わってエリツィンの影響力が増大する。
1991年11月6日、エリツィンはソ連共産党系のロシア共産党が活動することを禁止し、
首相(ロシア共和国閣僚会議議長)を兼任。
1991年12月8日、エリツィンはウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、
ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長と秘密会談を行い、
ロシア・ウクライナ・ベラルーシのソ連からの離脱と独立国家共同体 (CIS) の樹立を宣言することで合意した(ベロヴェーシ合意)。
ソビエト連邦の崩壊は避けられなくなり、
12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任。
ソビエト連邦はその歴史に幕を下ろした。
1990年、著書 『告白』(小笠原豊樹訳、草思社)
1994年、著書 『エリツィンの手記――崩壊・対決の舞台裏』(中沢孝之訳、同朋舎出版〈上下〉)
1999年12月31日正午のテレビ演説で辞意を表明し、
全体主義を脱して明るい未来への期待を抱いた国民に応えられなかったことへの自省の念や
民主主義の原則を守って辞任する旨を述べ、
新世紀である21世紀が始まる2000年を迎えるに当たって新しい指導者がロシアに求められていると語った。
後継の大統領として、プーチン首相を指名し、
プーチンの最初の大統領令はエリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するというものだった。
大統領辞任後は表舞台からは姿を消し、悠々自適の年金生活を送ったという。
2004年、著書 『ボリス・エリツィン 最後の証言』(網屋慎哉・桃井健司訳、NCコミュニケーションズ)
プーチン政権については、
2004年のベスラン学校占拠事件発生後に知事を大統領による任命制に改めたことに対しては批判をする一方、
2006年2月、プーチンはロシアにとって正しい選択だったと賞賛している。
2006年6月3日、パリで開催されていた全仏オープン7日目を夫妻で観戦し、
マリア・シャラポワから帽子にサインしてもらう姿が撮られている。
これが最後の公の姿となった。
2007年4月23日、長年の心臓疾患による多臓器不全(一部報道では心血管不全症とも)によりモスクワの病院で死去。
76歳だった。
mjrkwe1945 さんが 2008/12/30 に公開
ロシア連邦国歌 for エリツィン
http://youtu.be/hQ0wcGMJS1w
ありがとうございました。
コメントされる方へ
コメントは承認後に公開されます。
記事と関係ないコメントは承認しないのでご遠慮ください。
ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン
ロシア語: Бори́с Никола́евич Е́льцин ru-Boris Nikolayevich Yeltsin.ogg、
ラテン文字表記の例:Boris Nikolayevich Yel'tsin
1931年2月1日生まれ、
2007年4月23日、満76歳没。
ソビエト連邦内ロシア共和国ウラル州ブトカ地区ブトカ村(あるいはバスマノフスコエ村)生まれの政治家。
ロシア連邦初代大統領(1991年7月10日~1999年12月31日)、
ロシア連邦初代閣僚会議議長(首相)(1991年11月6日~1992年6月15日)
を務めた。
大統領在任中に ソ連8月クーデター に対する抵抗とソビエト連邦からのロシアの離脱を呼びかけて
ソビエト連邦の崩壊 に導いた評価と共に、
ロシアの威信の低下・
腐敗した 縁故資本主義 ・
議会と対決する強権的な政治手法・
チェチェン紛争 の泥沼化
への批判もあった。
1961年、ソビエト連邦共産党に入党。
1976年、スヴェルドロフスク州党第一書記に就任。
1981年、党中央委員となる。
1985年、党政治局員候補兼中央委員会書記に就任。
1988年2月、政治局員候補から解任。
1989年3月の人民代議員大会選挙にモスクワ選挙区から出馬して当選して政界復帰、
急進改革派の地域間代議員グループに属し、
民主綱領派のリーダーとなる。
1990年5月、ロシア共和国の最高会議(ロシア語版)議長(実質大統領)に就任。
1990年7月13日、ソ連共産党を離党。
1991年6月12日、ロシア共和国大統領選挙で57.3%の得票率を獲得して当選し、
1991年7月、ロシア共和国大統領に就任。
1991年8月、ソ連の ゲンナジー・ヤナーエフ 副大統領を擁立する「保守派」が起こした ソ連8月クーデター の際には
戦車の上からロシア国民に対し、ゼネストを呼びかけるなど徹底抗戦した。
ゼネストは不徹底であったものの、軍と治安機関の大勢はクーデター派を支持せず、
結果としてクーデターを失敗に終わらせ、
この事件によりゴルバチョフの求心力が大きく失われ、
代わってエリツィンの影響力が増大する。
1991年11月6日、エリツィンはソ連共産党系のロシア共産党が活動することを禁止し、
首相(ロシア共和国閣僚会議議長)を兼任。
1991年12月8日、エリツィンはウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、
ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長と秘密会談を行い、
ロシア・ウクライナ・ベラルーシのソ連からの離脱と独立国家共同体 (CIS) の樹立を宣言することで合意した(ベロヴェーシ合意)。
ソビエト連邦の崩壊は避けられなくなり、
12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任。
ソビエト連邦はその歴史に幕を下ろした。
1990年、著書 『告白』(小笠原豊樹訳、草思社)
1994年、著書 『エリツィンの手記――崩壊・対決の舞台裏』(中沢孝之訳、同朋舎出版〈上下〉)
エリツィンの手記―崩壊・対決の舞台裏〈上〉 単行本
ボリス・エリツィン (著), Елбцин,Борис H. (原著), 中澤 孝之 (翻訳)
同朋舎出版 (1994/5/1)
Amazon.co.jp
ボリス・エリツィン (著), Елбцин,Борис H. (原著), 中澤 孝之 (翻訳)
同朋舎出版 (1994/5/1)
Amazon.co.jp
1999年12月31日正午のテレビ演説で辞意を表明し、
全体主義を脱して明るい未来への期待を抱いた国民に応えられなかったことへの自省の念や
民主主義の原則を守って辞任する旨を述べ、
新世紀である21世紀が始まる2000年を迎えるに当たって新しい指導者がロシアに求められていると語った。
後継の大統領として、プーチン首相を指名し、
プーチンの最初の大統領令はエリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するというものだった。
大統領辞任後は表舞台からは姿を消し、悠々自適の年金生活を送ったという。
2004年、著書 『ボリス・エリツィン 最後の証言』(網屋慎哉・桃井健司訳、NCコミュニケーションズ)
プーチン政権については、
2004年のベスラン学校占拠事件発生後に知事を大統領による任命制に改めたことに対しては批判をする一方、
2006年2月、プーチンはロシアにとって正しい選択だったと賞賛している。
2006年6月3日、パリで開催されていた全仏オープン7日目を夫妻で観戦し、
マリア・シャラポワから帽子にサインしてもらう姿が撮られている。
これが最後の公の姿となった。
2007年4月23日、長年の心臓疾患による多臓器不全(一部報道では心血管不全症とも)によりモスクワの病院で死去。
76歳だった。
mjrkwe1945 さんが 2008/12/30 に公開
ロシア連邦国歌 for エリツィン
http://youtu.be/hQ0wcGMJS1w
ありがとうございました。
コメントされる方へ
コメントは承認後に公開されます。
記事と関係ないコメントは承認しないのでご遠慮ください。