石原裕次郎 さん

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)

1934年12月28日生まれ、
1987年7月17日、満52歳没。

兵庫県神戸市須磨区生まれ、北海道小樽市、神奈川県逗子市に育ちの
俳優、歌手、司会者、モデル、実業家、ヨットマン、マルチタレント。

兄:石原慎太郎(政治家、小説家)

1956年5月17日、石原慎太郎 原作の映画 『太陽の季節』 が封切り。
 石原裕次郎 が映画デビュー。

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すべてはここから始まった!石原慎太郎原作、
“太陽族”のムーヴメントで時代を動かしたセンセーショナルな話題作!

石原慎太郎が芥川賞を受賞し、センセーショナルな話題となった原作を映画化。
昭和30年代初め、ニッポンを席巻した「太陽族ブーム」を巻き起こし、
不世出の映画スター=石原裕次郎を誕生するきっかけとなった作品。
「太陽の季節」の“太陽族”と呼ばれる若者たちのアンモラルな生き方、
彼らの無軌道なセックスは、センセーショナルな「事件」だった。

【ストーリー】
ハイ・スクールの学生津川竜哉は、拳闘に興味を持つタフな若者だった。
ある日、彼は遊び仲間の佐原や江田たちと銀座に出た。
持ち合せた金の不足から、彼等は素人娘をさそって遊ぶことに決め、
とある帽子屋から出て来た武田英子ら三人に目をつけた。
遊び廻る途中も、竜哉は英子を独占していた。
やがて試合の日、竜哉はTKO勝ちしたが傷を負った。
待ちかまえていた英子は自分の車で彼を病院に送り届け、次いで二人きりの夜を過した。
夏に入る前、英子は逗子にある竜哉の家を訪れ二人は初めて肉体関係を結んだ。
その後、ナイトクラブで英子がバンド・マスターと踊っているのを見た竜哉は、カッとして男を撲り倒した。

【キャスト】
長門裕之、南田洋子、石原裕次郎、岡田真澄

【スタッフ】
監督:古川卓巳、
原作:石原慎太郎、
脚本:古川卓巳

1956年7月12日公開、青春映画 『狂った果実』(日活)
 監督:中平康
 脚本:石原慎太郎
 原作:石原慎太郎
 音楽:佐藤勝、武満徹
 出演:石原裕次郎、北原三枝、津川雅彦



YouTube ムービー さんが 2013/10/06 に公開
狂った果実

https://youtu.be/aDLre9jun6k

1957年12月28日公開、日本映画 『嵐を呼ぶ男』 主演。
 原作、監督:井上梅次
 脚本:井上梅次、西島大
 音楽:大森盛太郎
 主題歌:石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」
 出演:北原三枝、石原裕次郎、青山恭二、芦川いづみ、白木マリ(白木万理、岡田眞澄、金子信雄、笈田敏夫、小夜福子、高野由美、汐見洋、安部徹、冬木京三、天路圭子、高品格、山田禅二、三島謙、山田周平、峰三平、紀原耕(紀原土耕)、八代康二、柳瀬志郎、光沢でんすけ(光でんすけ)、榎木兵衛、小柴隆(小柴尋詩)、深江章喜、高野誠二郎、近江大介、阪井一郎(阪井幸一朗)、尾克彦、寺長谷、二階堂郁夫、柴田新(柴田新三)、東郷秀美、林茂朗、川村昌之、衣笠一夫(衣笠真寿雄)、竹内洋子、清水マリ子(清水まゆみ)、早川十志子(早川由記)、三沢孝子、ジョージ・A・ファーネス、ハムザ・ムルリン、阿井喬子、フランキー堺、安田伸
 映画 嵐を呼ぶ男 allcinema



YouTube ムービー さんが 2013/10/12 に公開
嵐を呼ぶ男

https://youtu.be/YC1Q0hmBYmQ

1958年4月15日公開、青春/ロマンス映画 『陽のあたる坂道』(日活)
 原作:石坂洋次郎
 監督:田坂具隆
 脚本:池田一朗、田坂具隆
 音楽:佐藤勝
 出演:石原裕次郎、北原三枝、芦川いづみ、千田是也、轟夕起子、小高雄二、山根寿子、川地民夫、天草四郎、森川信、渡辺美佐子、小沢昭一





YouTube ムービー さんが 2018/07/16 に公開
陽のあたる坂道

https://youtu.be/ZSd6d2xMfI8

1968年、石原裕次郎 製作・主演の映画 『黒部の太陽』

1978年、舌下潰瘍のため入院、手術。
 その後、悪性腫瘍(舌癌)との診断を受けたが、
 本人には告知されなかった(1983年再発)。
 1979年、舌下 白板症 と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術。

1981年4月、『西部警察』のロケ撮影中に背中と胸に激痛が走り、慶應義塾大学病院に緊急入院。
 当初椎間板ヘルニアが疑われたが、
 その後、 解離性大動脈瘤 と診断され大手術を決行。
 生還率3%と言われたが、奇跡的な回復を遂げ無事退院した。
 退院後も首、腰の痛み、発熱が続き、右耳が難聴となった。

1984年、肝臓癌が発覚し、倦怠感・腰痛の末、原因不明の発熱にいたる。
 前の定期健診で肝細胞癌と診断されるが、裕次郎本人には最期までガン告知せず。

1986年5月、高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院。
 血圧降下剤の副作用による肝内胆管炎と診断。
 7月、退院後はハワイで静養。

1987年4月20日、ハワイから急遽帰国、直後に慶應義塾大学病院へ検査入院。
 5月2日に一旦退院した(カテーテル治療)ものの、
 3日後、再入院、容態悪化(高熱)、ついには幻覚症状(肝性脳症)を発する。

その後意識不明の状態が続き、
7月17日15時43分、医師が臨終を告げ7分後心停止するも、酸素吸入により一度は心拍が再開する。
しかし16時26分再度心停止し、死去。
52歳だった。

石原裕次郎 - NHK人物録

石原裕次郎 - テレビドラマ人名録 ◇テレビドラマデータベース◇

石原裕次郎(イシハラユウジロウ,Yujiro Ishihara)|Movie Walker

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