ハンス・ウルリッヒ・ルーデル さん

ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel)
 渾名:ソ連人民最大の敵・シュトゥーカ大佐・ルーデル閣下・東部戦線の鷲

1916年7月2日生まれ、
1982年12月18日、満66歳没。

プロイセン王国東部・ニーダーシュレージエンのコンラーツヴァルダウ生まれの、
ドイツ空軍の軍人(航空機操縦員、急降下爆撃機のパイロット、幕僚将校、空軍大佐)。

ソ連戦車などを多数撃破

1939年10月11日、二級鉄十字章を受章。

バルバロッサ作戦 において、
1941年6月23日、 ユンカースJu 87シュトゥーカ で急降下爆撃隊として初出撃。
終戦まで 東部戦線 で戦い抜いた。

1941年7月18日、一級鉄十字章を受章。

1941年12月7日、ドイツ黄金十字章を受章。

1942年1月6日、騎士鉄十字章を受章。

1944年3月1日、少佐に昇進。

1944年3月13日、ドニエステル河近郊で La-5 を撃墜。
 この日交戦した相手はソ連軍エース・パイロットでソ連邦英雄の一人である、
 レフ・リボービチ・シェスタコフ 大佐(最終撃墜数23機(共同撃墜数42機))であったとされる。
 後部機銃手のガーデルマンが撃墜したか、
 ルーデル機が急旋回した際の余波に煽られ墜落したと考えられている。

1943年5月10日、柏葉騎士鉄十字章を受章。

1943年11月25日、剣付柏葉騎士鉄十字章を受章。

1944年3月29日、アドルフ・ヒトラーより宝剣付柏葉騎士鉄十字章を受章。

1944年9月1日、中佐に昇進。

1944年11月、撃墜され太腿部を負傷。
帰還後、ギプスをつけたまま任務に復帰。

1944年12月29日、ヒトラーより宝剣付黄金柏葉騎士鉄十字章を受章。
大佐に昇進。

1945年2月、戦車撃破数が500輌を突破。

1945年2月8日、フランクフルト・アン・デア・オーダー近郊において、
ソ連軍の40mm対空砲弾が右脚に直撃し切断。
以後義足を装着。

1945年3月25日、病院を退院。

1945年3月31日、戦線に復帰。

1945年5月7日、ドイツの無条件降伏を知る。

その後残存航空部隊(編成は下記の表を参照)を率いてソ連軍の包囲網をJu87で脱出し、
バイエルン州キッチンゲンにあるアメリカ陸軍航空軍第405戦闘大隊の基地に着陸して投降。
Ju87の最後の飛行 とされている。

騎士鉄十字章の最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられたのは、ルーデルただ一人。

spottydog4477 さんが 2009/10/08 に公開
Luftwaffe air ace Oberst Hans Ulrich-Rudel -The greatest!:

https://youtu.be/JHCocpH8maM

Deutscher Aufklärer さんが 2018/11/20 に公開
Hans-Ulrich Rudel - Deutsche Legenden #002
https://youtu.be/MLKamhJrVsI


急降下爆撃 (学研M文庫)
ハンス・ウルリッヒ ルデル (著), Hans Ulrich Rudel (原著), 高木 真太郎 (翻訳)
学習研究社 (2002/12)

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スツーカ隊ユンカースJu87のパイロットとして、
2530回の作戦飛行でソ連戦車519両を爆撃。
スターリンをして「ソ連人民最大の敵」と言わしめ、
その首に多額の賞金が掛けられたドイツ空軍の英雄ハンス・U・ルデル。
唯一最高位の騎士鉄十字章を受け、
ヒトラーから再三地上勤務を命じられるもそれを拒否。
幾度も撃墜されながら、
右足を失った後も義足で飛び続けた“東部戦線の鷲”がつづる闘志あふれる戦闘記録。






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