最近、ある顕正会員さんをメールのやりとりで折伏をしておりました。この方より、令和3年4月度の総幹部会の浅井会長の指導を見れば:顕正会の正しさがわかるということで、総幹部会の動画のURLを教えてくれました。時間も勿体ないため、浅井会長の講演部分だけですが、見てみました。内容は相も変わらずの会員さんを洗脳するための武勇伝がメインでしたね。ここでも、宗門が国立戒壇の御遺命を破壊したと言い放っています。
顕正会員さん達と話をすると、「創価学会と共謀して宗門が御遺命破壊した。」とよく言われているように思います。それもそのはずで、「国立戒壇の御遺命を破壊した」とだけを総幹部会等で浅井会長が言い放ち、それを幹部がことあることに繰り返して、下々まで浸透させています。
事実はどうでしょうか。確認してみましょう。昭和45年5月、日達上人様が「国立戒壇の名称不使用」の御説法をされております。「この時、御遺命の国立戒壇を捨てた」と顕正会内では洗脳しています。実際の御説法では、御遺命の戒壇を建てないとは一言も言われておらず、国立戒壇の名称は使わないと言われているだけです。
日蓮正宗が、「広宣流布の暁には御遺命の戒壇を建立する」となると、浅井会長の指導は事実無根ということになります。
この事実を顕正会員さん達が受け入れれば、洗脳解除のスタート地点に着けると思います。
わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて、「国立戒壇」という名称を使っていたことがありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」(来滅後五五百歳始観心本尊抄)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。
明治時代には「国立戒壇」という名称が一般には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より以前には、そういう名称はなかったのであります。 今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。
