あいにくの雨でしたが、国立能楽堂ほぼ満席でした。

はじめはおなじみ金子あいさんの解説。

先日は黒のワンピースでしたが、今日はみやびな訪問着、

髪も結い上げておきれい。お声に張りがあって心地よい。

お話もわかりやすい。

能の解説はよく大学の先生とか、能評論家とかがしてくださるけど、

私が好きなのは、横浜国大の三宅晶子先生と金子あいさん。

能一番の価値あり。(あ、一番というのは能の数えるときの単位)

 

さて、はじめは粟谷能夫師の「三輪」。

奈良の三輪山の明神と僧侶のお話。

 

演劇には一幕二幕とありますが、能は前場と後場といいます。

世阿弥が作った能は前場には里の女とか老人とか、

庶民の格好ででてきて、後場で神や平家の武者など、

本来の姿ででてきます。

 

今日は前場では里の女がでてきます。そして、後場では

明神に。明神は白と緋の衣装で神々しく謡い舞った。

神らしい重きのある謡だった。

 

間に狂言があり、人間国宝の野村万作師。

野村萬斎のお父上です。

桜を盗むというお話ですが、上品な狂言でした。

 

次が正尊。

三輪は登場人物がシテとワキの二人。

これは珍しいことではない。

ところがこちらは9人。武者姿で。

人を集めるのと、衣装を揃えるのがたいへんで、

なかなか上演できないのだそうです。

 

正尊は弁慶や義経に「源頼朝に義経を殺して来い、

と命令されて上洛したのだろう」と言われるのだが、

いいえ、私は熊野詣でにきたのです、と嘘をいいます。

弁慶たちはいや、嘘だ、というので、では「起請文を書きます」と

言って、さらさらと書き、それを読み上げます。

そのところがクライマックス。

起請文、というのは約束をするとき、神仏に誓うというものの

ようです。正尊が書いた起請文は「敬って申す」から始まって

国中の?神仏に誓いをたて、私は熊野詣でにきたのです、

もし、義経を討とうなどとしたら、地獄に落ちてもかまいません」

という文です。それをとうとうと読む。

明生師、ご立派でした。

 

弁慶や義経は偽りだと知りながら、あまりに立派な起請文に

感心し、帰っていい、といいます。

しかし、正尊は義経を討ちにきて、きりあいが始まります。

このありさまはもう能ではなく、歌舞伎のようです。

刀でエイ!と切るとばたっと直立不動のまま後ろに倒れます。

もう一人は同じく前にばたっと・・・。

仏倒れ、というようですが、こわいですね。

結局正尊は捉えられてひきたてられて退場。終わり。

 

能といえば世阿弥。多くのかたが眠くなる能。

その世阿弥から130年後ぐらいの人の作品。

だんだんわかりやすい能に変わっていったのでしょうね。

そして歌舞伎に。

 

でも、明生師の正尊と森常好師の弁慶のやりとりは

迫力がありました。よかった。

 

秋には「安宅」だそうです。楽しみです。