JAL123の初期航跡. 異常事態発生地点の再検討


はじめに

JAL123便が辿った航跡は. レーダー航跡を基にしてDFDRによる補正を加えたものが報告書の付図-1飛行経路略図として掲載された。

これはベースとなる地図上の地点情報が少なく図法も明らかにされていない上に緯線経線も引かれておらず. 概ね手書きの航跡なので精度を期待出来るものではない。

しかしこの案件を検証する上でJAL123が実際に描いた航跡を辿ることは必須事項となる。

この事故の精密な調査と根拠ある考察で事故原因を明確にしなければ. この大惨事が教訓として活かされているとはいえない。

そこで事故調査報告書に記載された飛行経路図の精度を上げて. DFDRとの綿密な擦り合わせを行い. 整合しないものは追究.補正して実際の航跡に近付ける作業を徹底する。


🔳 異常事態発生地点の精度

特に異常事態発生[18:24′35″]地点は構造破壊と油圧ラインの損傷により制御困難. 飛行不安定となった起点なので重要である。

付図-1の異常事態発生地点が実に不正確な為に相模湾に沈んだであろう残骸の海底調査はまるで検討外れの海底を調査して何一つ発見出来なかった。見方によっては位置を外したのではないかと疑念を持つ次第である。


付図-1の飛行経路図が度を超えて不正確である理由が3つあるので順に挙げる。


1.先ず. 異常事態発生後間もなく通過した伊豆半島に落下した残骸の発見地域は付図-1の経路よりも北側である。落下残骸は細長いジュラルミンの構造材なので風の影響を受けにくく経路からあまり逸れるものではない。

2.次に. ✴︎河津駅前ロータリーでの目撃証言. 及び翌日の静岡新聞.朝刊に掲載された河津町河津.河津町見高の目撃談の数々は飛行経路図よりも北側を指していた。後に運輸省はこれら伊豆での数々の目撃証言を重視して調査員を派遣した程である。

✴︎北東の片瀬山の南尾根辺りを指差して「ドーン」と音が聞こえ. そしてJAL123の機影は駅の方向(北西)の上空を仰角約60°を指してあの辺りに見えた. と証言。ある程度の誤差を考慮した上で2方向で航跡の位置合わせをする。

[写真] 河津駅前ロータリーにて. タクシー運転手の渡辺氏. 近持氏


図①  a.駅前ロータリーから片瀬山南尾根方面を指した. 磁方位65°〜70°.

b.機影が見えたのは駅の方向(北西)で仰角 約60°.  後述するが. JAL123はほぼその領域を通過したので推定航跡の精度は高いと判断した.

3.そしてJAL123は18:12′に離陸後. Way pointのURAGAを通過した頃にTokyo departureは「右に2マイル逸れているので貴機の航法に切り替えてTokyo controlに移管してくださいと伝えた。JAL123は航路に沿ってMIHARAに向かうと返信しながらも.  その直後18:16′Tokyo controlに移管してからMIHARAを経由せずにSEAPEACHへ直行したいと申請して18:18′33″に許可を得た。ここから目標に向かって針路変更したと予想される。

図②

よって依然北寄りを飛行した可能性が高い

図② 1985.12月号  ラジオライフ掲載

青線:報告書 付図.1の再現  紫補助線:推定経路

図③ 河津駅前で「ドーン」という音が鳴った方向-図①の広域縮尺図

JAL123の機首方位250°とほぼ重なり. 目撃情報の精度は高い


🔳 微気圧振動波の記録と北寄りの推定航跡との重ね合わせ

異常事態発生後の約40秒後の18:25′15.3″に賀茂郡東伊豆町の東京大学地震研究所 箒木山観測所[34.8530N 139.0363E 890m]で微気圧振動波が記録され. 同一周波数の波形からJAL123のCVRに記録された衝撃音と同様な傾向を示したと判定された。

これはJAL123で発生した衝撃波が地上近くでソニックブームを轟かせながら減衰した振動波が記録されたものとほぼ確定できる。

⚫︎先ずこの2点(JAL123〜箒木山観測所)を結ぶ線を地表に投影した距離を概算する。

JAL123は高度7285m. 外気温度−15℃

箒木山観測所は記録がないので. 伊豆稲取の18時の気温25.8℃. 標高は25mで高低差は865mとなり簡易補正して. 25.8−(6×0.865)≒20.8℃と設定する。

⚫︎次に平均音速を概算すると約333m/sで. JAL123から箒木山観測所までの距離Cは0.333km×40s=13.32km となった。


高低差Bは6.395km  Cを標高890mの面Aに投影した距離は. 地球の球面と地図の平面の間の誤差は無視出来るものとして地表に投影するA'と同一とし. A²+B²=C² [ピタゴラスの定理]から.

A²=(13.32)²−(6.395)²≒136.526  

A'≒ 11.68km  図④

箒木山観測所を中心の半径11.68kmの円がJAL123の推定航跡と交わる2点の東側がより精度の高い異常事態発生地点になる。図⑤

図④ 

[箒木山観測所:34.8530N 139.0363E 890m]


🔘異常事態発生地点の座標を推定

・やや北に逸れたであろう航跡

・箒木山観測所からの距離

・河津駅前ロータリーの目撃証言

この3つの情報に誤差範囲を設定して交わる所が推定異常事態発生地点となる。


図⑤ 赤丸: 推定異常事態発生地点


🔳 異常事態発生地点の推定座標の精度を河津駅の北西に仰ぎ見た機影の位置で評価


河津駅の北西の仰角約60°近辺をJAL機が通過していれば. 推定航路および推定異常事態発生地点の正確性は少なくとも報告書 付図-1より随分高いと確認出来る。図⑥


図⑥ 青塗: 河津駅から北西の視点

駅前ロータリーから仰角58.4°の地点で推定航跡と平面距離4.5kmで交差する. [三角関数にて算出]


🔲 結果

以上の検証の結果. 報告書 付図-1 飛行経路略図に記された航跡.および異常事態発生地点は誤差が許容範囲を超えているので当て推量のレベルと評定する。図⑦


付図-1から北西に隔てること約10.0km推定異常事態発生地点: 北緯39°50′12″ 東経139°9′48″はより精度が高く事実に近いポイントと言えよう。

全てはここから始まったのである。

図⑦ 黒: 事故調査報告  青: 検証結果[推定]

JAL123の推定飛行経路は付図-1飛行経路略図から真北へ5.8kmに位置し. マッハ数0.7で飛行したなら約29秒間の遅延が生じていた。


🔲 結語

事故調査報告書 付図-1に描かれた飛行経路は事の始まりである異常事態発生地点から大きく逸れている。18:40′以降は急旋回.急降下でレーダーロストし. 終盤の18:48′以降は山間部の地形的な影響により殆どの区間でDFDRから得られた推定航跡を風という建前の係数で大幅に補正した。

1985年当時のレーダースクリーンには空港監視レーダーと航空路監視レーダーの1次. 2次レーダーから得られる航空機の距離と方位を座標の分かる地図にオーバーレイと組合わせて航空機のおよその緯度.経度を把握して記録する機能が既にあった。なので後半の航跡は追跡困難な条件が重なったことは理解するが前半の少なからざる相違は理解できないのである。

より正確な異常事態発生地点を起点に順に丁寧に追うことで全容が見えてくるであろう。


図⑧ 2002年からの世界測地系から1985年の日本測地系(ベッセル楕円体)に変換す.