こんにちは。
いつもいいねくださりありがとうございます。
私は令和5年の夏に甲状腺乳頭がんの診断を受け、11月に手術をしたところ検体から未分化ががみつかり、余命半年と言われていたものの12月から服用の分子標的薬によって生存期間延長予定中、生まれ変わるなら健康な自分になりたい人です。
闘病に協力的な夫が居て、泣きごと言わない息子がいて、両親やきょうだいとの幸せな思い出の中に育ち、今もまだ母と話ができて、親しくしてくれる友が居て、理解ある上司に恵まれて、命の恩人に救われて、足りないのは健康だけ。後悔もなく自分を愛してる。
11月から傷病手当金を活用させていただいていますが、余命2年が先か、傷病手当金の打ち切りが先かという見通し不安定な状態なので、仮に傷病手当金が打ち切りになってもまだ生存しているなら、きっと激烈闘病中真っ只中のはず。
医療費の出費に追われている中でも受け取れる保証があるように・・・と障害年金の申請手続きを進めています。
甲状腺未分化がんは甲状腺がんのなかで最も悪性度が高くて診断から予後はほんの数か月が通例のようです。
とにかく進行が速いです。
月単位→週単位→日ごと という悪化する体調の変化を2~3か月ほどの間に体験することになるので、自覚症状を感じる頃には先を見越して大慌てした手を打たないと、あっという間に打つ手がなくなってしまいます。
え?じゃぁなんで生きてるの? といえば、遺伝子異常のBRAFだったことで分子標的薬によって劇的回復をしました。
でも、これはあくまでも一時的延命措置にすぎません。。。
私は、鎖骨中心に違和感を感じていた3月。
明らかに「おかしい」と異変を感じて痛みをこらえていたのが昨年4月。
胃カメラ、耳鼻科でリンパの腫れを指摘されたのが5~6月
放置された7月~PET検査が8月。
転院、転院を経て転移発覚・手術をしたのが9~11月。
急激な速度で再発・死を覚悟~分子標的薬開始が11月~12月
回復してきて、最寄りの病院に転院になったのが2月・・・というハイペース。
ちょっと癌治療のペースじゃなくて別の病気をこじらせた?くらいの期間みたいに悪化と回復を駆け抜けてきました。
だから、幻だったんじゃないか? と思うこの頃ですが、術創が現実だと見せつけてきます。。。
さて、障害年金の申請に必要な書類に、病院で記入していただく『診断書』があります。
この診断書には
1⃣現時点から遡ること1年半のころの状態
2⃣現時点の状態
の2通りの起票が可能ということなのですが、残念なことに死が目の前にあった私のはずが、このどちらにも該当できませんでした。
どういうこと? というと、『診断書』はまず「甲状腺」か転移があった「肝臓」で、「肝臓」だと2級が取れるはず ということだったのですが、
1⃣1年半前にがんがあったとしても肝臓には転移していなかった。
2⃣分子標的薬のお陰で急速に回復していたため、2月には申請できる数値ではなかった。
という、私はすっぽりと申請の穴にいたのでした ・・(;´Д`)
あんな思いをしたのに、そしてこれからもまた同じ思いをするのに、死を目前にして働けずにいることと障害は別なんですかね。
とはいえ、恐るべし、分子標的薬の効果!
今後は、そもそもの甲状腺で申請を進めてみようということで、間もなく大学病院から診断書が届きます。
初診日にさかのぼると障害年金はすぐにも支給になりますが、初診が昨年になってしまうと1年半後の認定になって、受け取れるのは2年先。。。
もう生きていない可能性もあります。。。
それでも権利を主張してみようと思って粛々と手続きを進めています。
今日は天気が良いのでお散歩したいけど、体がヒリヒリを出すんですよね。。。
13週目、今週は低調期なんだわ。
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残された時間に限りはあるけれど、私の体験が少しでも後につながり、役立つように。
そして、様々ながんサバイバーのみなさまの一日一日が少しでも幸せでありますように。
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令和6年3月14日 ★b-raugh-yousei★