同じサウジアラビア🇸🇦の地域に住む
若きAさん日本人ご夫妻に
赤ちゃんが誕生されました
お二人は、日本での出産ではなく、
この未知なるサウジアラビア🇸🇦の病院での
出産を選ばれました
促進剤を打ってもなかなか生まれず、
結局、緊急帝王切開となったそうです。
だけど、ここは日本とは違って、2泊3日で退院と
なったそうです
このようなお話しを伺って、
私の長女を出産した時のことを思い出しました
2002年、当時は日本の産婦人科にて
長女を出産のときは、
ほぼ予定日を二週間過ぎており、
緊急促進剤を打っても子宮口が開かず
同じく緊急帝王切開に
長女が生まれてすぐに、彼女の初便に
血🩸が混ざってたという理由で、
大学病院に輸送されました。
そして、
長女は1週間ほどいなかったので、ラッキーなことに、
ゆっくり術後の体を回復する時間をいただけました
この件に関して、
わたしは何の心配もありませんでした。
なぜか、ぜったいに大丈夫と
自分で確信していました。
だけど、元旦那さんは、
”なんでウチの子がーっ!”って怒り💢狂ってたけど。
出産に立会うこともなく、彼は仕事で出張中。
はじめから立会いなど期待していなかったし、
自分ひとりで(もちろん助産師さんやドクターなど、病院のスタッフのみなさまにはお世話になるつもりでしたが)、出産、出産後も乗り切るつもりだったので、
彼が誰かのせいみたいに、
怒ってる姿がなんともいえなかった〜
だって誰が悪いわけでもないやん?
そんなこんなで、Aさんの旦那さん、まだ若い!
そして、ひっきりなしに、
”女の人は本当に凄い!赤ちゃんを産んで、
その後のお世話も毎日寝れない、大変!
本当に心から子供を産んで育てた女性を尊敬します‼️”
何度もわたし達ママ軍団に向かって頭を下げる姿
ほんと泣けてきた、
こんな風に言ってもらえるなんて
めちゃくちゃ癒されました
背は高いけど、色白で細いきしゃな雰囲気が、
わたしの父の若き頃と重なって…
私の中の思い出の父は
(父はコロナ前に他界いたしました)
詳しくはこちらの記事にて👇👇👇👇
父が他界した後、行政関係を母と一緒に
いろいろ手続きをしました。
そして、な、な、なんと父はあの時代に、
20回くらい転職していたことが判明
母はめちゃくちゃ呆れてたけど。
だけど、父はわたしが生まれてから一度も転職せず、
約30年、頑張って片道1時間半
沢山の書類が入った重い鞄を持って、
満員電車で通勤してくれました。
会計士として会計事務所に所属し、
最初はそろばん🧮で、
そのうち計算機、そしてパソコン🖥に。
字は下手だけど数字は綺麗、
と母から褒められて? ました。
会社といっても、毎日違ったお得意先にひとりで
出かけるというスタイルが
父には合ってたのかな、と思います。
今思うと、当時はそんな診断はなかったけど
ADHDはいってたのかな?と思う箇所が多々ありました。毎日の打ちっぱなしと毎週末のゴルフコース⛳️。ゴルフの腕はプロ並みでした!
しかし、母はゴルフ未亡人化してましたが、、、
お得意さまの社長さん達の相談にのることも
沢山あったようですが、
また、そのような方からは
この世の裏のことなども沢山勉強させて頂いてたようです。
そんなこんなで
改めて父に尊敬と感謝の気持ちで涙
そして、父が亡くなったあと、
今年で82歳になった母は
眼鏡👓も補聴器🦻もなく、
ワ○チ○も一度も打つことなく、
有難いことに
とても健康で毎日を過ごしております。
母は人になかなか頼れない性格のようで、
ひとりでなんとか頑張るタイプです。
その気合いで今もわたし達のために
健康でいてくれていることに感謝です。