ひさしぶりに書きたくなったので、書く。
(とある本の影響なのだけど、自分が書きたくなるような文章を読ませる人って、
正直、ちょっとくやしい)

10月半ばから、新しい仕事をはじめた。
まったくの初めてではなくて、正確には1年半くらい、つかず離れず見ていた仕事に、
時期が満ちて、中に呼んでもらった。
すごく入りたくて、見ていたわけでもない。
どちらかというと、私から距離を置いたこともある。


でも10月はじめのタイミングで、あ、今だな、としっくりきたから、そうなった。

これで、ざくっと大きく分けると、NPOやらソーシャルなんっちゃら系の仕事が2つと、
ワークショップ系(という言葉も、なんとも適当だけど、まぁいいや)の仕事が2つ。
どれも、事務局と呼ばれている。

これまで、かたちのないところから、仕事の「型」をつくってきたり、
組織やプロジェクトがうまく進むための仕組みをつくってきた一方で、
圧倒的な安心感と存在感を持った大人たちと、
どこまでいっても形のない・どこかふわふわとした・でも確かにある何か、とともにいる時間を
参加者として、場を用意する者として、つくってきた。

前者と後者は、これまでいつもばらばらな場であり、
だからそれぞれの場で使う言葉や振る舞いは、違ってよかった。
両者の行ったり来たりは楽しく、バランスもよく。

でも、10月にふわっと舞い込んだ新しい仕事は、
この両方を抱えねばならなくて。
つまり、型や仕組みをつくる必要がある一方で、
教えず、管理せず、忍耐を持って信じ続ける存在が必要、と、
なんとも(私の中で)矛盾を内包した仕事。

1カ月くらい、なんとなくうまく立ち行かない感じがある原因が、やっと今日わかった。
両手がふさがってるから、どう走ればよいのか、わからなかったのね。
今までの仕事の仕方を変えなきゃ、とただ漠然と思っていたけど、
どこを変えたらよいのかが、やっとこさ、わかった感じ。
どう変えるのかはまだわからないけど、ここだ、とわかったので、なんとかなる気がする。




社会システムを変革する、という大きなメッセージを近くで聞くたびに、
"社会は、私たち一人ひとりの仕事の積み重ねでできていて、
だからこそ、自分の手元にある仕事の働き方をよくすることで、
社会はよくなっていくのではないか"(正確ではないと思う)、という西村さんの言葉を思い出す。

自分の手元の仕事を大切に扱うことと、
大きく社会を変えていくことの両方ができますか、と問われてる感じのする冬。
できるかはわからんけど、やってみたい。