肖像画と女心~「こんなはずじゃなかった」―スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア | Studiolo di verde(ストゥディオーロ・ディ・ヴェルデ)

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 前回の予告通り、「肖像画と女心」シリーズ化計画、お試しもかねて第一弾^^

 前にアップしたものも、随時改稿してアップしていく予定。

 

 一話目は、スペイン王妃マリアナから。

 ベラスケスの描いた王女マルガリータのお母さんのお話^^

 彼女の人生を現代に置き換えてみると…

 本人が見たら確実に怒る内容だとは思いますが、どうぞ一席お付き合いくださいませ。

 

 

肖像画と女心~「こんなはずじゃなかった」

 

ディエゴ・ベラスケス<王妃マリアーナ・デ・アウストリア>、1660年 

 

 なんとまあ、見事な仏頂面!
 口をひん曲げ、こちらをねめつける横目の冷やかなこと。
 顔を取り巻く髪型はどのように作ってあるのか、見るからに重たげな上に、羽やら何やらで飾られてある。
 こう見えても、彼女は由緒正しきお姫様である。名前はマリア・アンナ・フォン・エスターライヒ(1634~96)。嫁ぎ先のスペイン風に呼べば、マリアナ・デ・アウストリア。

 彼女は神聖ローマ帝国ウィーンで皇女として生まれ、育った。その頃は朗らかで陽気な女の子だった。

(幼少時のマリアナ(2歳)と兄フェルディナンド)

 

 11歳の時には婚約者もいた。お相手は、母方の従兄でもあるスペインの王太子バルタサール・カルロス。柔らかな金髪の、5歳年上の少年である。少女はスペインへ嫁ぐその日をただ指折り数えて居れば良かった。
 しかし1646年、彼女が12歳の時、事件が起こった。
 婚約者が急死したのである。まだ17歳だった。
 少女の受けた衝撃はどれほどのものだっただろう。
 現代に例えるならば、卒業間近になって、就職の内定を取り消されてしまった女子大生、とでも言おうか。ただでさえ選択肢の少ない中でようやく得られた縁だったのに。これからどうすれば良いのか。最悪、このまま実家で、家族のお荷物として生きていくのか。
 幸いなことに、彼女の新たな行先は間もなく見つかった。スペイン王フェリペ4世(1605~65)、つまり彼女の伯父であり、本来なら義父になるはずだった人物が新たな花婿として名乗り出たのである。

ディエゴ・ベラスケス、<フェリペ4世の肖像>、1656年

 

 マリア・アンナ(マリアナ)に他の選択肢は無かった。他国に嫁ぐこと、そして世継ぎを生むことは、王族として果たすべき義務だった。彼女はそのために生まれてきた。
 婚約者を失って2年後、14歳の彼女は、倍以上も年の離れた男のもとへ後妻として嫁いでいく。

 しかし、スペイン風にマリアナと呼ばれるようになった彼女にとって、やっとの思いで得た就職先は、決して居心地の良い場所ではなかった。
 まず、夫とは年が30以上も離れていた。
 そして子供たち。前妻との間に生まれたマリア・テレサ王女とは母子といっても、5歳しか違わない。おまけに、自分が男の子を産めなければ彼女が王位に就く可能性が高いとあって、周囲からも大切にされている。そもそも、余所者の王妃とこの宮廷で生まれ育った王女と、宮廷人はどちらにより親近感を持つだろうか。
 しかも、女好きの夫は愛人も私生児も多くこしらえていた。そして、そのうちの一人を王子として認めて、宮廷に迎えてさえいる。しかも、その子はすこぶる出来が良い。
 対する自分は?
 彼女の仕事はただ一つ、正当な王位継承者を生むことだけだ。それは彼女にしかできない。由緒正しき王族の血の持ち主だから。逆に言うと、彼女にはそれしか拠り所がない。
 そして実のところ、彼女は与えられた唯一の「仕事」すらちゃんと果たせていない。17歳の時に最初に生まれたのは女の子だった。それから6年後、7年後にやっと男の子を授かるも、次々と死んでしまう。
 どれほど自分の経歴を誇ろうと、今現在の時点で何もなせていない。何の意味も持たない。これほど惨めなことがあるだろうか。
 自分の仕事をなせない王妃に対する周囲の視線は冷たい。
「役立たず」
「一刻も早く、また懐妊を」
 彼らの眼差しには、前王妃イザベルとの比較も含まれていたのではないだろうか。彼女は明るい性格で頭も良く、周囲からも慕われていた。肖像画を見ても、凛々しい美人である。直接の面識はないとはいえ、マリアナが何も感じなかったということは、きっとあるまい。

ディエゴ・ベラスケス、<王妃イザベル・デ・ボルボン>、1632年

 

 こんなはずじゃなかった。
 実家で日陰者として生きていくのは耐え難い。でも、今の自分は、一体何?
 新しい「家族」とはうまくいかない。浮気ばかりしている夫も、年の近い義理の娘も、そして、女優ごときを母に持つ「王子」も、気に入らない。
 自分は与えられた唯一の仕事すら果たせない、「無能」な王妃。
 しかも、この宮廷の窮屈なこと。時代遅れの大きく膨らんだスカートに、呼吸もままならないほどにきつく締め上げられたコルセット。そして、厳格な礼儀作法。
 様々な要素が彼女の身も心も締め上げた。「針の筵」などという表現すら、きっと生ぬるい。それで簀巻きにされ、さらにその上に座らされていた、とでも言うべきか。
 それでも、彼女は立っていなければならなかった。他に生きる場所はなかった。
 だからこそ、彼女は仏頂面と冷淡さでもって、自分を鎧ったのだろう。
 

 この後の彼女のこと、彼女が生んだカルロス2世について話すのは、また別の機会にしよう。

 だが、もしも、本来の婚約者が生きていたら。彼と結婚できていたなら。
 どうなっていただろう。少しは変わるものもあったのだろうか。
 過去について、「もし」を問えばキリがない。
 小さな出来事がきっかけになって、玉つきのように他の物事を動かし、結果として大きなうねりとなる。よくある話だ。
 過去の小さいことをちまちまと見つめ続けることは、果たして良いことなのだろうか。
 どうせ見つめるならば、今やこれからの方が良いのではないだろうか。ビーズの粒をつまんで拾い集めるように、今の自分の周囲から、ささやかでも何か嬉しいこと楽しいことを探してみるのはどうだろう。小さなビーズでも、連ねていけばちょっとしたアクセサリーができる。
 こんな事をつらつらと書き綴って、マリアナ王妃には非常に申し訳ないとは思う。
 でも、同情したところで過去は変えようがないのだ。せめて、今を良く生きる方法を探したい。
 もしも朝顔を洗うときの鏡の中、あるいは何かの折にとった写真の中に、彼女さんのようなふくれっ面を見出したら黄色信号だ。
 今の私たちには、硬いコルセットも、笑い方すら制限する礼儀作法もない。でも、気の持ち方や、例えば過去(キャリア)への執着といったようなものが、そういう拘束具になる可能性もありえよう。
 どうか、ご注意あれ。