その方は一般人には特殊な政党に所属され、それだけならきっと近くに寄る事も無かったと思うけど、その人は違った。
目線が町民目線だった。
例えどんな立場であろうとも、等身大でいつも他人のことばかり考えていて、町の行く末を案じて止まない人。
閉鎖的で自虐的且つ間接攻撃ばかりに長ける暗黒世代が牛耳る世界において一際「異彩を放つ」ホンモノの人だった。
その方が治る可能性の低い病に冒され、治療と平行して常に町の活動に参加される様子は畏敬の念があったけど心配するほどに痩せられていったので複雑な想いだった。
後任の方に立場を譲り、その後も出来る範囲で活動をされながら闘病されていたけれど、最近お見かけしないなぁと思っていたタイミングで、訃報を知った。
40年以上生きてきて、いつの時でも良い人から亡くなっていく。
東京でもそう思っていたけど、田舎に来て余計にその思いが強くなってきていた。
人は平等ではないと心から思ってしまう程に、腐れ野郎ばかりがのうのうと生きて、他人の為に尽力を尽くす方から命を削られる。そんな思いが募る最期の感覚を抱いた訃報だった。
訃報が書かれた記事を何度かちゃんと読み返したのだけど、どうやら本当の事みたいで、、、。
移住してきて直ぐくらいにもお一人そういった方が亡くなられた事があった。
その方も地域の発展に対して自身のキャリアを全てぶつけて取り組まれる方で、お一人で暮らされていたのだけど、亡くなられた事の発見が遅れしまい何日か後に発見された。
その方のご家族も密葬で済まされたようで、地域への想いはその方だけだった事もあって寂しいお別れとなってしまったけど、地元の方はどう思ったから知らないが、私にとってはやはり喪失感が強かった。
この御二方に共通するのは、
御二方の行動や活動が、地域であまり理解が進んでいなかったことにある。
地方の地元はあまりに…あまりに学びが無いのだ。新しい事、冒険的なアイデア、先進事例、現代の市場など、こうした事に無頓着な集団の中で懸命に提案する人の行動はどうやら「頑張ってるね〜」くらいにしか思っていないと見えてしまう。
だからなのか、悔しい気持ちで溢れる。
今住みの町はあまりにも大きな損失を得たのだけど、それが分かっていない町全体がイラつく。
スキルも、経験も、人生の歩み方もかなり違う私ではあるけれど、御二方の想いの共通点でもある今住みの町を発展させていく道程に改めて臨む気持ちを持ち直したいと思う。
亡くなってはいけない人から亡くなり、地域の事など気にもしない利権者がのさばる地方の現状。
まるで東京の縮図のようだ。