上等のパンタグラフに交換↓
連結器の土台部分に黒く墨入れしました。

上野広小路本牧亭で活躍した講釈師のフィギュアを作る。

6代目宝井馬琴師匠。練馬の師匠!

写真にも残っていない様な昔の姿を再現してこそ値打ちがあると思ってます。


引き続いて馬琴師匠の一番弟子宝井琴星師匠のフィギュア作成に取り掛かりました。


が、上手くいかない。

手詰まりとなり、、、このまま作業ストップ。

新たに小金井芦州先生のフィギュアを作りました。




6代目宝井馬琴師匠と小金井芦州先生

宝井馬琴師匠は60代の姿。

小金井芦州先生は晩年の姿



宝井馬琴師匠は2015年に80歳でお亡くなりになりました。



小金井芦州先生は2003年に亡くなりました。

76歳でした。90年に本牧亭に毎週の様に通って沢山の講談を聞きました。あの頃の芦州先生はえらい年寄りだと思っていたけど、63歳だったんですね。

かつて本牧亭で録音した寛永三馬術曲垣と度々平を聞きながら 芦州先生のフィギュアを作りました。。

徂徠豆腐も生で何度か聞いた。

芦州先生が枕で話したもので記憶に残っているもの


昔、警察官に職務質問された話。

今では講談と言ってもテレビやラジオでたまにはやっていて何のことか理解してくれる様になってきましたが、昔はそうじゃなかった。

真打ちや二つ目になると自分の出番が終わったらさっさと帰る事が出来たが、前座は最後までいなければいけなかった。

50年程前は(1939年頃の話)寄席がはねるのは夜の11時頃だった。師匠の家まで大きな声で稽古しながら歩いていたら、警察官に怪しい奴だと呼び止められる。当時の警察官はサーベルを持って威張っていた。今みたいに優しくなかった。

おい、怪しいやつ!お前何をしている。職業は?

講釈師です。

なんだそのコウシャクシって

講談師です。

好男子??どこが好男子だ。

仕方ないから 張り扇を出して、こうやって机を引っ叩いて喋るやつですよ と言ったら

何だ、バナナの叩き売りか。






 講談と言う割とマイナーだった世界。しかも30年前に活躍していたベテランのフィギュアを作ってもわかる人は少ないかも知れません。


当時は講談なんてお年寄りの趣味だったみたいで、当時のお客様は殆どお亡くなりになってしまったかも知れません。

僕は当時20代だったから名人の芸を生で見れた生き残りってところです。

若手だった琴星師匠も今や大ベテランだし、新進講談師だった小山陽さんは今や人間国宝神田松鯉となりました。小山陽さんの演目は白浪モノが多くて、殺人や騙りなど 芸風として国宝って感じがしないでもないけど、迫力があるし、一龍斎貞水先生も昨年亡くなってしまい、今や第一人者なんでしょう。伯山の師匠と言う事も評価されてるはずです。


次に作るとしたら誰にするか。名人と言うよりも見た目に特徴があったあの方かな。




6代目宝井馬琴師匠 54歳の貴重な写真

この頃の写真はネットを探しても見つからないと思います。


ネットで閲覧出来る写真は晩年のモノばっかり。↓





講談師を中心とした芸人のフィギュア製作記事は少なくとも2023年3月末までは続きます。
同じ師匠のリメイク版も作っていきます。
基本的に1989年に本牧亭で活躍した演者になります。
お楽しみに。


誰が楽しむのだろう