火葬場の入口に

家族が全員揃うと、


母の棺を先頭にして

私達は1列になって

中へ入りました。



中に入ってみると

火葬場の中は

天井が高く、


ステンドグラスがあって

大きな教会のような

雰囲気でしたが、


空港の搭乗口みたいに

とても混み合っていました。びっくり



私達が

3つ並んだ扉のうち

母の名前が書いてある

真ん中へ進むと、


警察官のような形の

茶色い帽子を被り

白手袋をはめた

ホテルのドアマンのような

茶色いスーツの方々が、


この上なくうやうやしく

一礼して母の棺を

受け取ったかと思うと、


するすると

無骨な鋼鉄の扉が開いて

母の棺はその奥に

スーツケースみたいに

みるみるうちに

吸い込まれていきました。



そして、

ガシャーンという

無骨な金属音とともに、

扉は無情にも

閉められました。



母の体と私達が

あっけなく永遠のお別れを

迎えたことを

宣告するかわりに、


茶色い方々は最後に

これ以上ないくらい

慇懃な一礼を

無言でなさいました。



私達は仕方なく、


荷物を預け終えて

空港のラウンジへと

向かうみたいに、


エスカレーターを上って

「◯◯家」と書かれた

控室に入りました。



木製に似せた

焦げ茶の自動ドアを開けると、


そこはまるで

シックなレストランみたいに

茶色い丸テーブルが

あちこちに並んでいて、


天井にシャンデリアも

吊り下がっていました。びっくり



私達は

私の家族、

上の妹家族、

下の妹家族と

3つのテーブルに

別れて座って、


お茶を飲んだり

お菓子を食べたりしながら

雑談しました。



ところが、

上の妹家族のテーブルだけは

誰も一言も話さず、

ずっと無言でした。キョロキョロ



実は、

これはいつもの事で、


上の妹家族は

家族で集まっても

いつも全く

会話しません。



前にブログに書きましたが

上の妹夫婦は、


うちにはお金がないからと

子供の姪たちに

習い事や塾を

一切させなかっただけでなく、


国立大学に入れなかったら

浪人せずに働けと

姪たちにことあるごとに

言い聞かせていました。



だから姪たちは2人とも

必死で勉強して、

無事国立大学に

入りました。



また、

上の妹夫婦は

うちにはそんな余裕はないと

家族で旅行にも外食にも

一切行くことは

ありませんでした。



それなのに、


上の妹は趣味のピアノの為

グランドピアノを購入して

家に防音室を作りました。



上の妹は発表会に出る度

毎年何回も

ドレスを新調しました。



さらに、

コンサートを観に行ったり

SNSを通じて知り合った

全国のピアノ友達に

会いに行くと言って、


中高生の姪たちを置いて

夫婦だけで年がら年中

旅行に出かけていました。



長女の姪っ子は

自分の親がひどすぎると

私達に会う度に

訴えていました。



見兼ねた私達は

何度となく上の妹夫婦を

諌めたけれど、


2人が私達のアドバイスを

聞いてくれる事は

ありませんでした。ショボーン



次女の姪っ子は

そんな親に反発して

思春期の頃から

一切口を聞かなくなり、


地元の大学に入学してすぐ

家を出て1人暮らしを

始めました。



上の妹夫婦も

姉である

長女の姪っ子も、


次女の姪っ子がどこに住んで

何の仕事をしているか、

もう何年も

教えてもらえないそうです。



つまり上の妹夫婦は

次女の姪っ子とは

音信不通で、

半分親子の縁を

切っているような状態です。



長女の姪っ子だけが

かろうじて妹と

ラインで繋がっているので、


今回の母の火葬式に

上の妹家族が全員

揃ったということは、


長女の姪っ子が

親と妹に対して粘り強く

苦労して交渉したに違いないと

いうことが、

私達には容易に

察しられました。キョロキョロ



なので、

上の妹夫婦の為でなく

姪っ子達の為に、


私は上の妹家族の

テーブルへと

行って座りました。



そして、

遠路はるばる

来てくれた事への感謝を

上の妹の家族

1人1人に伝えました。



それから、

母の最期の様子を

4人に詳しく伝えました。



私の長男も

上の妹家族のテーブルに座ると

お孫ちゃんの写真を

4人に見せて、


姪っ子達と上の妹夫婦が

少しでもお互い

言葉を交わせるように、

心を砕いていました。



私は、

長男はすっかり大人に

なったんだなぁ…と

非常に感慨深かったけれど、


姪っ子達は終始うなだれて

そこに座っている事が

まるで何かの苦行のように

辛そうだったので、


私は葬儀屋さんに

あと何分で終わりそうか

尋ねる為に、

控室を出ました。



続きます。