ブロ友のぼーずさんとの2日目。
この日は、ワタシのわがままで会津若松に行くことになりました。
昨年、ぼーずさんご夫婦と山形、新潟をめぐり、
ワタシの中で、次は会津若松へご一緒したいなぁーと勝手に思いを膨らませていました
残念ながら、ぼーずさんのダンナ様はお仕事で来られませんでしたが、
ワタシの夢が今回叶うことになったというわけです
今回も、オットが運転と写真撮影など全面的にサポートしてくれました
(ホントにありがとう!!)
山形を出て、米沢牛で有名な米沢市を通り、
まずは、蔵の町喜多方へ
ぼーずさんから教えてもらった、喜多方の桜の名所を観ることが出来ました
10年前に、もと鉄道路線にしだれ桜を植えたそうです。
この桜は、3㎞も続いています。
桜は、年々大きくなって風格も味わいも出てくるだろうから、
いつかゆっくりと歩けたらいいなぁー
人が写っていたのでUPできませんでした
やわらかい桃色のきれいな八重桜
会津に行く前に、喜多方で早めのお昼を食べることにしました。
喜多方と言ったら、ラーメンなのに、
ワタシの中では、お昼は「味噌田楽」をとなんとなく決めていました。
老舗の味噌屋さんを見つけました
たまたま、昨日綾○はるかさんが
ここで味噌田楽を食べた映像が流れたそうで、思いのほか混んでいました
味噌田楽です。ワタシは、ニシンと里芋が好きです
味噌プリンも美味しかったのに、写真を撮っていませんでした
つぎは、いよいよ会津へ
会津の古い街並みが残っている七日町駅前通りをちょっとだけ歩きました。
駅前の阿弥陀寺には、
会津若松城で唯一残った建物が移築されていたり、
新撰組一の剣豪「斉藤一」のお墓もありました。
戊辰戦争の時に、土方歳三ら新撰組が北へ向かったのに、
斉藤一は会津の殿様容保に忠誠を誓い、会津を離れようとしなかったそうです。
剣豪がゆえに、戊辰戦争を生き延びて、
明治政府では腕をかわれ東京で警察になった話は有名ですが、
生誕地でもない会津にお墓をつくってほしいと言残したのが、このお墓です
明治時代には、「藤田」を名乗っていたそうです。
その後、会津若松城へ行きました
やはり、お城には青空が映えますねー
気が付いたら、
楽しかったぼーずさんとの時間も残り少なくなっていました。
お城見学などゆっくりもできずに、会津若松駅に向かい、
ぼーずさんは会津ライナーに乗っていってしまいました
その後、3日ほど旅の余韻でボーっとしていたのはいうまでもありません。
今度は、ぼーずさんのダンナ様も一緒に、
また旅をしたいなーと夢見ているあずきまめなのでした
ぼーずさん、遠いとこに来てくれてありがとう