若葉萌える皐月のある日------・・・
城に届いた書状を届けるため、私は光秀さんの御殿を訪れていた。
(光秀さん、部屋にいるかな・・・・・・)
足早に廊下を進んでいると、突然、強い風が吹き抜けて------・・・
(痛っ)
庭先から飛んできた砂が、目に入ってしまった。
(っ・・・・・・どうしよう)
廊下の真ん中で、俯きながら瞬きを繰り返していると・・・・・・
光秀「ゆう?」
霞む視界の隅で、私の名前を呼んだ光秀さんの姿を捉える。
「っ・・・・・・」
言葉を発しようと口を開いた瞬間、目に鋭い痛みが走った。ぽろ、とこぼれた涙を拭おうと手を伸ばすと、
光秀「・・・・・・何があった?」
(え・・・・・・?)
歩み寄ってきた光秀さんが私の頬に手を添えて、低い声で告げた。滲んだ視界に、いつもの飄々(ひょうひょう)とした面持ちとは違う、真剣な表情の光秀さんが映る。
「ええっと・・・・・・目に、砂が入ったみたいで。痛くて、目を開けていられないんです」
光秀「・・・・・・成程な。水場ならこっちだ、来い」
微かに表情を緩めた光秀さんが、私の手を引き、廊下を歩いていく。
「ありがとうございます・・・・・・」
目を瞑りながら、慌てて足を動かし、手を引かれるまま、後に続いた。
(------・・・さっきの光秀さんの表情、珍しかったな。いつも、余裕のある顔しか見せないのに)
ぼやけた視界の向こうに見えた、真剣な瞳の光秀さんが、どうしてだか、頭の中に残って消えそうになかった------・・・
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(取れた、かな・・・・・・)
案内された台所で目を洗った私に、光秀さんが顔を寄せた。
光秀「どうだ、まだ痛むか?」
「大丈夫です、砂も流れたみたいですし」
光秀「・・・・・・そうか」
少しだけ口元を緩めた光秀さんは、手拭いを差し出した。
光秀「これを使え」
「ありがとうございます。光秀さんって優しいんですね」
光秀「優しい? お前はつくづく単純だな」
「え?」
光秀「あんなところで泣かれていては、何があったかと思われるだろう?」
にやり、と光秀さんが意地悪く笑う。
(う・・・・・・)
「今度からは、気を付けます」
「それに・・・・・・心配もさせてしまってすいません」
光秀「心配?」
「光秀さん、さっき・・・・・・すごく心配してくれてましたよね?」
(いつもみたいにからかったり笑ったり、しなかった)
視界が滲んでよく見えていなかったけれど、光秀さんの表情は確かに、私を気遣うものだった。
光秀「------・・・さあな。だが、俺の行動が全て好意からきたものとは限らないぞ」
「どういう意味ですか?」
光秀「中には、好意を利用しようと思う輩もいる、という意味だ。俺がそうかもしれないという、その考えがお前にはないのか?」
「・・・・・・光秀さんは、そんな人じゃないと思います」
廊下で涙を流す私に見せた表情や、手拭いを差し出した時の笑み・・・・・・そのすべてが計算で出来るものだとは、とても思えない。
(きっと、どの優しさも、光秀さんの一部だから)
そう思っていると、光秀さんがふっと笑みを浮かべた。
光秀「・・・・・・お前に聞いた俺が馬鹿だったな」
「あの、それ、どういう------」
光秀「ところで、お前は何をしにここへ来たんだ」
少しむっとして、問いかけようとした私の言葉を遮って、光秀さんが口を開いた。
(あ!)
忘れていた仕事を思い出し、はっと我に返る。
「そうだ! 文を届けにきたんです」
慌てて書状を差しだすと、光秀さんは封を開け、さっと目を通した。繊細ながらも達筆な文字で綴られた文面が、ちらりと見えて------・・・
(綺麗な字・・・・・・きっと、女性からの手紙だ)
なぜか目を離せなくて、手紙をじっと見つめていると、
光秀「差出人が、気になるのか?」
光秀さんが、手紙を折りたたみながら、意地悪な笑みを向けた。
(気にならない、って言ったら・・・・・・嘘になるよね)
「気になるって言ったら、教えてくれるんですか?」
光秀「・・・・・・知っても仕方がないだろう。どちらにしろ、お前には関係のない相手だ」
(それは・・・・・・そうだけど)
光秀「なんだ、不満なのか?」
黙りこんだ私を見て、光秀さんが問いかけた。
(不満なわけじゃない。ただ、光秀さんがこんな風に何かを隠すときは、重要なことを隠している場合があるから・・・・・・)
「・・・・・・ひとつ、聞かせてください」
光秀「何だ」
「また、一人で危ないことをしてたりしないですよね?」
光秀「・・・・・・」
他人だけでなく自分さえも駒にして、戦の情報を得る。そういう光秀さんの一面を知っているからこそ、胸に不安がよぎる。
(・・・・・・やっぱり、ちゃんと確認したい)
文の宛名を確認しようと、光秀さんの手元を覗きこもうとした瞬間------・・・
光秀「ほう? いつから間諜の真似ごとをするようになったんだ」
「っ・・・・・・!」
あっという間に腕を取られ、近くの壁際に追い詰められる。顔の横に手をつかれて、身動きが取れなくなった。
光秀「感心しないな? 悪い子には仕置きが必要か」
(えっ)
光秀「・・・・・・ゆう」
吐息がかかるほどの距離で、目を細めながら、ゆっくりと光秀さんが顔を近付けて------・・・
(あ・・・・・・っ)
唇が触れ合いそうな距離に、思わずぎゅっと目をつむると、
「いたっ」
額を軽く弾かれて、目を開けた。
出た! デコピン??ひどっ!
光秀「何を期待しているんだ」
「き、期待なんてしてません!」
光秀「それなら、いいが」
楽しそうな笑みを浮かべながら、光秀さんは身体を離す。
(また、からかわれた・・・・・・)
光秀「これに懲りたら、あまり深入りするな、お前には関係のないことだ。分かったな」
「確かに、私には関係ないことかもしれないですけど・・・・・・でも」
(光秀さんが傷付いたり、危ない目に遭ったりするのは・・・・・・嫌だな)
光秀さんとの距離がやけに遠く離れているように思えて、胸が痛む。
わかる。これ、“恋” だよね。。
光秀さんは軽く眉をひそめ、真っ直ぐに私を見つめた。
光秀「ゆう。いい子だから、『はい』と言え」
「・・・・・・」
光秀「言えないのなら、別の手を使うぞ」
強引な言葉とは裏腹に、光秀さんの瞳は静かに私を見つめている。その表情はどこか哀願しているようにも見えて・・・・・・
(っ、どうしてそんな顔、するの)
「・・・・・・はい」
答えなければいけない気がして、素直にそう言うと、
光秀「いい子だ」
光秀さんは満足気に笑って、私の頭を撫でた。
(私が首を突っ込んで、危ない目に遭わないか、心配してくれてるのかな。掴めない人だけど、光秀さんの優しさって・・・・・・すごく温かい)
光秀「さて、お前の用事も済んだだろう。外まで送ってやる」
柔らかい声を発した光秀さんに向かって、頷く。
「はい、ありがとうございます」
ふとした時見せる柔らかい眼差しに、心がきゅうっと締め付けられた。
(何だろう、この気持ち)
先程とは違い、少しだけ近付いたように思えるふたりの距離に、なぜだか胸が熱くなった。
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会議に出るために外出するという光秀さんと、連れ立って廊下を歩く。
光秀「今日は風が強いな。帰りは眼鏡でもして帰ったらどうだ?」
「何でですか?」
光秀「また目に砂が入って、泣かれては困るからな」
(やっぱり、いじわる・・・・・・!)
「もう、大丈夫です。眼鏡がなくても、泣いたりしません・・・・・・!」
光秀「そうか」
光秀さんが愉快そうに、小さく笑う声が耳に届く。
(絶対、遊ばれてる!)
光秀「・・・・・・やはりお前は、それくらい気概がある方がいいな」
「え?」
思わず立ち止まると、穏やかな表情の光秀さんと目が合った。その瞳を見つめるだけで、胸の奥に微かな熱が灯る。
(っ・・・まただ、この気持ち)
掴み切れない自分の感情に戸惑っていると・・・
光秀「見送りはここまでだ。城まで寄り道をせず帰るんだぞ」
「・・・・・・はい」
何もなかったように、光秀さんは廊下の奥へと消えていく。
(今の・・・・・・なんだったんだろう。あれだけからかわれた後なのに、胸が・・・・・・あたたかい)
残された私の脳裏には、眼前に迫った光秀さんの端正な顔が焼き付いていた。
(それにあの時・・・キスされるかも、とか、何で思ったんだろう)
考えて答えがわからず、城までの道のりを歩いて行った。
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自室に戻った私は、紙に筆を走らせ、字の練習をしていた。
「はあ・・・・・・なかなか上手く書けないな」
(光秀さんがもらってた手紙くらい、綺麗な字が書けるようになりたい・・・・・・あの手紙を書いた人は、どんな人なんだろう)
ちらりと見えた、優美な文字を思い返す。
(------・・・あんなに綺麗な文字を書くんだし、きっと綺麗な人だろうな)
そう思った瞬間、ちくりと刺すような胸の痛みが襲ってくる。
(考えても仕方ない)
気分転換に外に出ようとした時------・・・
家臣1の声「明智光秀・・・・・・相も変わらず腹の底を見せない男だ」
聞こえた名前に、襖を開けようとしていた手が止まる。
(光秀さんの、話・・・・・・?)
家臣1の声「こないだの軍議でも、どこから手に入れたのかもわからない情報を口にしていたな」
家臣2の声「ああ。信長様は何故、光秀殿を信頼しておられるのか・・・・・・いつか裏切られてもおかしくはない」
家臣1の声「まったくだ。こないだも------」
聞いていると、どうやら家臣二人で、光秀さんの悪口を言っているようだった。聞いているだけで、モヤモヤとした感情が募る。
(確かに光秀さんは、何を考えているかわからない人だけど・・・・・・)
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光秀「どうだ、まだ痛むか?」
「大丈夫です、砂も流れたみたいですし」
光秀「・・・・・・そうか」
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(優しいところもあるんだから。信長様を裏切ったりする人じゃない)
憤りを感じて、襖を開こうとした、その時------・・・
家臣1の声「それに・・・・・・先日も、城下町で怪しい女に会っていたらしい」
(えっ)