冬の寒さも和らぎ始めた頃---------
(バレンタイン・・・・・・みんなには馴染みのない習慣だと思うけど、いつもお世話になってるし、みんなに喜んでもらえるように頑張って作ろう!)
女中さんにお願いして、台所を借りた私は、気合いを入れ、腕まくりをする。
「ええっと。何が作れるかな」
使えそうな材料を集めてきた風呂敷を広げようとしたその時----------
政宗「ん? こんなところで何やってるんだ、ゆう」
「あ・・・政宗」
振り向くと、台所の入り口に政宗が立っていた。
「甘味を作ろうと思ってたの」
政宗「お前が作るのか。珍しいな。何かあるのか?」
興味を持ったらしく、政宗が近づいてくる。
「うん。私がいたところだと、二月十四日はバレンタインっていって、女の人が、好きな男の人やお世話になってる人にチョコ・・・・・・ええっと、甘味をあげたりする習慣があったの」
政宗「へえ、お前に好きな奴がいたとは初耳だ」
「っ、いないよ! そうじゃなくて・・・・・・『義理』と『本命』っていうのがあってね。お世話になってる人にあげるのが『義理』で、好きな人にあげるのが「本命』私はみんなに、いつものお礼がしたいと思っただけで・・・・・・」
誤解を解こうと、つい必死に説明していたその時--------
光秀「それで? お前の『本命』は、誰に渡すつもりだ?」
(え!?)
「わっ・・・・・・」
耳元で聞こえた声に慌てて振り向くと、すぐ後ろにいた光秀さんにぶつかってしまった。
光秀「驚きすぎだろう」
光秀さんはにやにやしながら、ぶつかって乱れた私の前髪を整えてくれる。
「い、いきなり後ろに立たないでください・・・・・・っ」
(もう。本当に心臓に悪い・・・・・・きっと、わざと気配を消して近づいたよね)
抗議する私を、光秀さんは愉しそうに眺めている。
光秀「後ろじゃなければいいのか?」
「え?」
光秀「いきなり目の前に現れても困るだろう」
「・・・・・・確かにそうですけど」
(って、また光秀さんのペースだ)
「ところで光秀さん・・・・・・いつからいたんですか?」
光秀「政宗と同じ頃だが?」
「全部聞いてたんですね・・・・・・」
光秀「ああ、しっかりと聞いたぞ。お前に本命という特別な相手がいる話だろう?」
「! いないっていったじゃないですか」
否定しながら、じわじわと頬が熱くなった。
(これ、絶対に面白がってる・・・っ)
政宗「へえ。本当にいないのか?」
(政宗まで・・・・・・!)
ふたりは、からかうような笑みを向けながら距離を詰めてくる。
政宗「お前はすぐ顔に出るからな。顔、真っ赤だぞ?」
光秀「嘘が下手な小娘だ。大人しく白状したらどうだ?」
「・・・・・・っ」
(顔が赤いのは、こうやってからかってくるからでしょ・・・・・・!)
「と、とにかく! 本命も、特別な相手もいませんから・・・・・・!」
それだけ言い放ち、材料の入った風呂敷を手に取り、私はふたりから逃げ出した。
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ゆうが頬を染めて飛び出し、政宗も去った後・・・・・・
光秀「特別な相手、か」
呟きが静かな台所に溶けていき、光秀もその場をあとにした。
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(あのふたり、絶対面白がってる・・・・・・!)
ふたりから逃げ出した私は、行くあてもなく廊下を歩いていた。からかわれたせいで、もやもやが晴れない。
(特別な相手なんて・・・・・・)
その言葉が妙に胸に引っかかって、ふと立ち止まった。
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光秀「ああ、しっかりと聞いたぞ。お前に本命という特別な相手がいる話だろう?」
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(私をからかうために言っただけなんだろうけど・・・・・・あんな風に聞かれるとは思わなかったな。光秀さんには、『特別な相手』がいるのかな・・・・・・)
秘密主義者の光秀さんのそんな相手は、想像もつかない。
(っ・・・・・・私、どうしてこんなこと、気にしてるんだろう)
はっと我に返って、気恥ずかしくなる。けれど、脳裏に浮かんだ意地悪な笑顔は、なかなか消えてはくれなかった。
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翌日、私は再び台所に来ていた。
(材料が手に入らないから、チョコは作れないけど、お茶菓子を作ってみんなに配ろう)
着物の袂(たもと)をたすきでたくし上げ、材料を並べる。
(昨日はあの二人が来て、作り損ねちゃったけど、今日こそは・・・・・・!)
頑張ろう、と意気込むと・・・・・・
光秀「ばれんたいんとやらを作るのか」
「・・・・・・!」
またしても突然耳元で声がして、わずかに肩が上がる。振り返ると、思った通り光秀さんがそこにいた。
「・・・そうです。みんなへのお礼を作るんです」
光秀「・・・・・・皆に、か」
「え・・・・・・」
不意に真面目な顔で呟いた光秀さんに、どきりとする。
(急にどうしたんだろう・・・・・・)
光秀「俺にも同じものを用意しようとしているのか?」
「そのつもりでした、けど・・・・・・あ」
ふと、あることに気付く。
(確かに、光秀さんって食べ物に関心ないよね・・・・・・嫌いってわけじゃないと思うけど、食べ物じゃない方がいいのかな?)
「光秀さんに食べ物を贈っても、あまりお礼になりませんか・・・・・・?」
光秀「そうだな・・・・・・」
考えるような素振りを見せ、光秀さんは一歩私に近づいた。
光秀「礼だというなら、もっと別のものがいい」
「別のものって・・・・・・?」
光秀「たとえば・・・・・・」
ひときわ低い声で囁いた光秀さんが、口の端で笑う。
次の瞬間・・・------
「っ、あ・・・・・・」
正面から私を囲うようにして、光秀さんが机に両手をついた。ぐっと近づいた距離に戸惑うけれど、逃げられそうにもなくて・・・・・・
(どうして突然、こんなこと・・・・・・)
急速に高鳴る鼓動を感じながら、息を詰めていると、唇をふにふにといじられる。
光秀「この唇をもらう、というのはどうだ?」
(っ、それ・・・・・・どういう意味? また、からかってるの?)
間近に迫った妖艷な顔にどきどきして、言葉が出てこない。思わずぎゅっと目をつぶると、指先で唇をなぞられて・・・・・・
光秀「味見でもしていたのか。唇についていたぞ」
(え!?)
慌てて目を開けると、光秀さんは私に触れていた指先に舌を這わせて見せた。
(わっ・・・・・・)
色っぽいその仕草に頬が思わず熱くなる。
「っ、まだ何も作ってないから、何もついてませんよ!からかわないでください・・・・・・」
光秀「そうか。では俺の見間違えだった」
にやりと笑い、光秀さんは踵を返した。残された台所で、私はひとり、煩い心臓に困惑していた-----------
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みんなへの甘味を作り終えた頃、外には夕映えの空が広がっていた。
(光秀さんのバレンタイン・・・・・・どうしよう。食べ物に関心がないなら、何なら喜んでくれるかな?)
どうしようと悩んだ末、光秀さんの分の甘味は、作ることが出来なかった。喜んでもらえるものを贈りたくて、こうして市へと足を運んでいる。
(どうして私、こんなに考えちゃうんだろう。『いつものお礼』で『食べ物以外のもの』なら、何だっていいじゃない。そう思うのに・・・・・・私、今・・・・・・何を贈れば喜んでもらえるかって、必死になってる)
ぐるぐると巡る思考に、ふと足が止まった。
光秀「こんなところで難しい顔をしてどうした?」
「あ・・・・・・」
振り返ると、夕陽に照らされた光秀さんが立っていた。その姿を見た途端、どきっと胸が高鳴る。
光秀「やはり・・・想い人に、何か特別な贈り物でも用意しようというわけか」