間諜の奉公先であった領主の城に来た私と光秀さんは、ふたりで牢に閉じ込められてしまった。

「こんな時くらい意地悪しないでください」

焦らなければいけないようなこの状況すら、光秀さんは私をからかって愉しんでいる。

光秀「・・・・・・それもそうだな」

(え・・・・・・)

光秀「この状況をあえて利用して・・・お前をとことん甘やかしてやろう」

どきりとして、思わず目を見開いた。

「甘やかすって・・・・・・」

光秀「甘やかして欲しいと言ったのは、ゆうだろう?」

「意地悪しないでって言っただけです」

光秀「どちらも同じようなものだ」

小さく笑った光秀さんが、唇を耳に寄せる。


吐息混じりの低音に、胸が甘く疼いた。

「ちょっと・・・・・・! 駄目です・・・・・・くすぐったいじゃないですか」

光秀「本当にくすぐったいだけか?暗がりでも分かるくらい、頬が染まっているようだが」

注がれる声が鼓膜を揺らし、鼓動がさらに加速する。

「・・・・・・光秀、さん」

(やめてって言えばいいだけなのに・・・・・・何も考えられなくなりそう)
思わず振り向くと------

光秀「そんな目で見上げられたら、男は歯止めが利かなくなる。ましてや、密室でふたりきりというこんな状況ではな」
 
間近で絡んだ視線には、明らかな熱がこもっている気がした。

「それは・・・・・・どういうことですか?」

その瞳の熱につられるように上昇していく体温を意識しながら、問い返す。
(光秀さんが何を考えてるのか、知りたい)

光秀「・・・・・・うっかり、唇をぶつけそうだという意味だ」


------

光秀「うっかり唇がぶつかるところだったな」

------


(っ、いつもの冗談だよね?)
そう思うけれど、注がれる視線はいつものそれとは違って見える。目を逸らさないでいると、光秀さんが先に目を逸らし、柵の方を見た。

光秀「さて。戯れはこのくらいにしておこう」

「え・・・・・・」

突然の発言に困惑していると、

「!?」

光秀さんの腕の縄が解けた。

「どうやったんですか?」

光秀「袖口に少々仕込みがあっただけだ」

(それってつまり、逃げようと思えば逃げられたっていうこと?)
しれっと答える光秀さんを見て、私はある答えにたどりつく。

「だったら最初から縄を解けばよかったじゃないですか」

光秀「お前の反応が面白くて、ついな」

(そんな理由でピンチも楽しんじゃうなんて・・・・・・本当に光秀さんって、分からない人だな)

光秀「ゆう。縄を解いてやるからじっとしていろ」

光秀さんが私の前に回り、縄を切ってくれた。
(とにかく今は、ここから逃げることを考えなくちゃ)

「縄が解けたのはよかったんですけど・・・この後どうするんですか?」

もやもやとする気持ちを切り替えて、光秀さんを見上げると、頭をぽんぽんと撫でられる。

光秀「簡単なことだ。これからお前と牢破りをする」

「鍵もかけられてるのに、どうするつもりなんですか?」

驚く私に、何もかも思惑通りというような笑みが向けられる。

光秀「まあ見ていろ」

光秀さんは柵に歩み寄り、懐から何かを取り出した。少しして、がちゃんと音を立てて錠前が落ちる。

「すごい! どうやったんですか?」

光秀「・・・・・・あまり使いたくはなかったんだがな」

そう言って見せてきたのは------

(あ・・・・・・昨日城下で、着物を揃える時に買ってたやつだ)
錠前を外すのに使ったせいか、留め具の部分が壊れた髪飾りだった。

(誰にあげるものだったんだろう)
なぜか少し胸が痛くて、俯きかけると、

光秀「今回の褒美は、また別で買ってやる」

(え・・・・・・それって・・・)
思いもしなかった一言に目をみはる。

「私のために買ってくれたものだったんですか?」

光秀「ああ。だが今、壊してしまったからな」

光秀さんが私の顔を覗き込んだ。

光秀「代わりに、髪飾りでなくても、別の褒美でも構わないが・・・」

「別の褒美って一体どういう------・・・!?」

言いかけた私の唇に、光秀さんの長い指先が触れた。

光秀「姫君はいちいち質問しないものだ」

ずるい〜〜!こんなの。実際姫じゃないし。。。
小娘でしょ?こういう時だけずるいよー!

「誰のせいだと思ってるんですか・・・!」

(ちゃんと全部、教えてくれればいいのに)

光秀「今は時間がない」

思わず抗議しかけた私を、光秀さんが遮る。

光秀「褒美も何が良いか考えておけ」

愉しげに告げる光秀さんに困惑していると、手を取られた。

光秀「ほら、逃げるぞ。姫君」

------

事前に城の構造を調べてあったのか、誰にも遭遇せず地下から脱出することができたけれど------

家臣「! お前たちは・・・!」

光秀「見つかったか」

光秀さんがとっさに私を背に隠す。

「光秀さん・・・っ」

思わずぎゅっと光秀さんの着物を握った。

光秀「問題ない。安心して、震えていろ」

(安心して震えていろだなんて、矛盾している事を言われておかしいと思うのに・・・・・・)
光秀さんのいつも通りの意地悪にひどく安心してしまう。一方で、胸の奥が甘く騒ぐのを感じたその時------

秀吉「光秀!」

(え・・・! 秀吉さん!?)

光秀「遅かったな」

秀吉「それはこっちの台詞だ!捕まったとしてもすぐに出てきて合流する予定だっただろ」

駆けつけてくれたであろう秀吉さんが息まいて、光秀さんを問いただす。

光秀「少々脱出に手間取っただけだ」

えっ? 手間取った?。。。どこらへんが?

(光秀さんが事前に秀吉さんに協力を仰いでいたなんて・・・でも、それならどうして・・・・・・計画があったのに、光秀さんはすぐに脱出しようとしなかったんだろう)
光秀さんがついた嘘に疑問を抱く私の目の前で、家臣たちが刀を抜いた。

家臣「くそ・・・っ、まとめて始末してやる!」

秀吉「光秀。さっさと終わらせるぞ」

光秀「ああ、わかっている」

------

それから二人の協力のもと、騒動は収拾され、光秀さんが私を安土城まで送ってくれた。

光秀「疲れたな。まあ何はともあれ、一件落着だ」

「秀吉さんが来てくれるって最初から教えてくれればよかったじゃないですか」

光秀「絶対に来るという保証はなかったからな」

「そういうの、屁理屈っていうんですよ」

光秀「ほう。そうか、覚えておこう」

「もう・・・・・・」

(帰り道に、秀吉さんが詳しく説明してくれたけど・・・)
もう一人、間者がいるのではないかと事前に疑っていた光秀さんが、最近安土城に来た家臣たちの身辺調査を、秀吉さんに依頼していたらしい。

(光秀さんは、本当に私の反応を面白がって牢をでなかっただけなのかな)

光秀「ゆう」

不意に声をかけられ顔をあげると、光秀さんの手が私の頬に触れて・・・

光秀「何を不貞腐れている」

顔を覗き込むようにして問いかけられた。

「不貞腐れてはいません。でも、」

光秀「でも?」

「光秀さんが、すぐに牢を出ようとしなかった事が気になって・・・・・・」

言って欲しいよね。もうはっきりして欲しいよね。

正直に告げた私に、光秀さんは小さく息を吐いた。

光秀「ああ、そんなことか」

「! そんなことって・・・・・・」

光秀「言っただろう。お前の反応が面白くてつい、と。慌てふためく様を見るのが滑稽で、ついうっかり長居しただけのことだ」

よーく考えたら、牢屋であの状況で寒いし、怖いし、好きな相手とだから、強い男だから許せるけど、好きな相手じゃなかったら、命かかってるんだから、本気で怒る話だよね💢 これ!

「本当にそんな理由だったんですか」

まだ、いう気は無いってことだね。。。

(私一人だけ、からかわれっぱなしだなんてずるい)
納得いかないものを感じながらも、何も言い返さず、黙り込む。すると、光秀さんが私の手を取った。




光秀「嘘だ」

「え?」




光秀「本当は・・・------俺に意地悪されて赤くなるお前に、夢中になりすぎたのかもしれないな」

光秀さんの表情は、嘘をついているようには見えなくて・・・・・・
(光秀さんから『夢中』なんて言葉、初めて聞いた)

しかも私に対してなのだと思うと、くすぐったくて落ち着かない。

光秀「それより・・・・・・」

光秀さんの手が伸びてきて、私の手首を掴んだ。

「あ・・・・・・っ」

掴まれた手を持ちあげられ、甘く口づけられる。

手に口づけ。。。えー!

光秀「褒美がまだだったな?今宵は、お前の望みを何でも叶えてやろう」

(望みなんて言われても、言えない。何かを望めば・・・・・・抜け出せなくなってしまいそうだから)
鍵のないこの部屋でさえ、この瞬間は------逃げ場のない鳥籠のような、ふたりきりの甘い空間に思えた。