第9話は壮絶なお話でした。魔女となったさやかが、公式サイトに登場。人魚の魔女として在りし日の恭介に対する恋慕と音に対する思い出だけを恨みと呪いを撒き散らしながら、存在する悲しい魔女と成り果てたのはショックでした。それ以上に親友のまどかが、憧れていた魔法少女となって正義の味方として生きようとしていたのに、何故肉体の死を迎えてしまったのか悲しみとショックは、視聴者である私以上だったはずです。



 しかも魔法少女が希望を振りまく事は、逆に呪いを吸い込むリスクを背負う。それがソウルジェムを濁らす汚れであり、多い尽くされると魔女となってしまうのが運命だというあまりにも仕組まれたと言うか厳しい現実を突きつけられました。そしてまた言葉巧みにまどかと魔法少女の契約をさせようとするキュゥべえの動きが活発化し始めました。まずまどかに魔法少女が魔女になるのは必然で、ソウルジェムがグリーフシードに変わる時のエネルギーが、宇宙の消耗を減らす役目を担っている事を明かします。



 勿論、いきなりそんな事を言われても「はい、そうですか。」などとは言える訳ありません。逆に人間1人1人の気持ちを理解せず、相手の立場を利用して自分の目的に引きずり込もうとするやり方に対して「皆、騙されていただけ。マミさんが死んで、さやかちゃんがあんな風になってしまったのにどうしてそんな風に言えるのかわからない。」優しいまどかが、猛烈に抗議する姿が

その怒りの大きさを物語っています。



 しかしキュゥべえには、相手の事を思いやったり喜怒哀楽という感情がないので、個体の生き死によりも大局的な事の方が重要なのです。これが決定的に異なる点なのです。だからこの間の書きましたけど、ファンの皆さんが怒りを覚える理由の1つであり、あんなとんでもない発言を連発出来るのだと言えると推測されます。杏子に対して、さやかの復活も可能だとほのめかした言い方も、思わせぶりな感じがありありとしていて非常に相手の心理を巧みに利用するのが上手いです。



 まどかにさやか救出の手助けを頼む事が、もしかしたら元来から存在する魔法少女アニメみたいな展開を期待させたのですけど、この作品は非常にシビアでそういうことはありえなかった。まどかの呼びかけは必死で優しさに満ちていたけど、もうその声は届く事は無い。魔女となった魔法少女は人間としての記憶が無い。あるのは恨みやねたみなどのネガティブな感情だけだと言うのが辛かった。それでもさやかの考え方に共感した杏子が、一緒にいようと思って自爆したのは最後の手段だったと、今考えれば自分の中で納得した行動だったと思いました。



 それにしても最初から不可能だと判っていても、あえて杏子をたきつけたキュゥべえのやり方は本当に汚い。しかし個体に執着しないと言いながらもまどかにだけは執着する。しかもワルプルギスの夜という危機に対して、どうしてもまどかが魔法少女にならなければ太刀打ち出来ない状況を作り出したのは、狡猾で思い通りになっている事を証明しています。果たしてこのまま思惑通りになるのか?それは第10話の注目ポイントでしょう。