嫌われることに慣れろ。 | アザノカタリズム

アザノカタリズム

色んなことを勝手気ままにダラダラ語ります。

「人に嫌われることを恐れるな」

だとか「嫌われる勇気」みたいな言葉をちょくちょく聞くけどその真意が掴めず、

自分の考えと性格上、そんなことは無理だと思っていたし

嫌われてもいいことがないじゃないか、と思っていた。

 

でも、その真意が最近少し見えてきた気がする。

 

どんな善人でさえも一定数、必ずアンチが発生するのが当たり前だということ。

必ず、だ。

 

となると、善人とは言えないが、好かれなくても嫌われたくない精神で

自分がいくら対人において最新の注意を払い、気を配り、遣いしたとて

嫌われるのは必然。

 

その現実を避けられるわけがないのだ。

 

とはいえ、嫌悪を向けられて平気な人はそうそういないだろうし、

あえて敵を作るようなことはしない。

 

嫌だな、と思う相手は少なくとも自分を好いていないことはわかる。

そういう人と付き合うのは、お互いにしんどい。

 

なので対人関係を良好にする努力をみんなしているから、

嫌だな、と思う人の発生率が「たまに」になるんだと思いたい。

 

・・・が、だ。

ここ最近、自分が不条理に人から敵対され、

かなり凹んで自暴自棄になった。

 

こういう時、まず自分は自分を必ず見返す。

 

何がいけなかったのか、反省部分があるならば改善しなければいけない、と。

考えて考えて、もしや自分が気づかない嫌なことをしたのだろうか、とまで

追及して考え込む。

 

でも結局、答えが見つからず、色んなアプローチを試しても

相手の態度が変わることなく、理由どころか普通の会話もできない場合もある。

 

ここで一つの考えに行き着く。

 

もちろん、自分に否が一切ないという確信はない。

でもいくら考えても原因が不明、もしくは予測でしかないが不条理な理由で

自分が嫌われているなら。

 

そんなの自分がいくら考えても仕方ないことで

不条理な理由を仮に受け入れて、それで?

 

ここで気づいてた。

ああ、そうか、ここで不条理な理由でもそれを自分の非として考え

その人から嫌われることを回避する人もきっといる。

 

自分はそれをするのか、それでいいのか、

否。

自分がそんなことまでする必要があるのか、

否。

 

なら、嫌われたままでいいじゃないか、と。

 

そう割り切って対応することは、付き合いがしにくいかもしれない。

なら付き合わなければいいし、離れる。

相手が嫌ってるんだから、こちらが歩み寄る必要もない。

 

これまでそんな人にまで気を遣っていた、むしろ通常の人よりもだ、

そんな優遇をしてやるなんて悔しい、と思うようになった。

 

でもそれをヤメたことで、更に相手からの当たりが悪くなることで

自分の対応に抱かなくていい罪悪感を感じるんだよね。

 

だから大抵の人はなかなか踏み切れない。

 

職場やどうしても対応しないといけな場の関係なら

かなりやりにくいし、仕事に影響がでる・・・なんてことなら尚更。

 

でも、対人関係において相手がハッキリ気づくような嫌な態度をとる人は

嫌われている自分以外の人には対応よくしていたとしても

正直、他の人も性格の悪さはどこぞで感じて気づいている筈。

 

なので自分が嫌われている相手に背を向けても

自分の評価に影響はないのではないか。

 

いや、ここでまさに「嫌われる勇気」という言葉を思い出し

「人に嫌われることを恐れるな」の真意を感じるんだ。

 

もし、自分を嫌っている相手に対しての対応を他の人がみて

なんだアイツ、とその人から嫌われたとする。

 

でも、真相を知る自分としては、

そんな人を見る目がない人から嫌われても自分の何かが下がるわけでも

ダメになることもない。

 

そう、「人に嫌われることを恐れるな」は

人になんて言われようと気にせず、自分を曲げないという意志ではあるけど

それは、

他人からの評価に対し、自分を振り返ることなく反省もしない絶対的王で

我儘な思考を貫け、という考えではけしてない。

 

相手の悪に対して、自分の善を曲げて対応する意味はなく

見かけの対人関係を守るより、自分の意志を守る行動であるということなのでは。

 

そんな風に捉えて考えていくと、腑に落ちた。

 

 

まぁ、正直、心の弱い自分ならば、かなり気にしてしまうので

自分とは程遠い考えだとずっと思っていたんだけど。

 

いや、きっとそんな人の方が多いと思うし、

間違った認識の「人に嫌われることを恐れるな」を実践してる人もいるから

余計、実践しにくい世の中なのかもしれない。

 

ふむ。

それでも、「なんでやねん」と自分の努力が跳ね返された時には

その関係には実りも先もないので、そこに努力をするより

他へ気を割く方が良いに違いないので、実践していこうと思う。