東急病院に入院していた母は、落ち着いているのかと思っていたが、
7日の午後院長先生から電話があり、慈恵に転院が決まった。
8日の午前中に民間の寝台医療車に乗って、移動し、腎臓内科に入院することになった。
東急では利尿がうまくいかず、慈恵で治療を進めることになった。
母は、普通に元気で車いすにちょこっと乗って「まだ帰れないのか~」などと
言っている。
そこに若々しい、担当医の先生が来てくださって、ご挨拶をしてくださった。
母が転院した理由は、東急には心臓の治療設備がないからだと、その時
理解した。
母は、腎臓というより、心臓の弁膜症が悪化したことによる、心不全と診断された。
「心不全、、、」
「かなり重度です。」
9日、姉が自宅に一人いる父の守り役で、夜来てくれることになっていたが、
何故か父から連絡が入り、「吉祥寺何てどうでもいい、ともかくママの所に
行きなさい。」と言われ、母の病院に向かってタクシーに乗っている最中に
私は、母が腎臓内科から心臓外科のCCUに移されることになったと病院から
連絡を受けとり、慌てて姉にラインした。
「今病院に向かっている。」と返事。「え、自宅じゃなくて?」「パパが急に電話してきて、ママの所に行けって。」
父の勘の良さにはいつも驚かされる。
私は予定していた会食を多分生まれて初めてドタキャンし、母の病院に
急いだ。
母はCCUの広い個室に、沢山の機械に囲まれて寝かされている。
首から管が入り、右手にもたくさんのチューブが入り、大きな酸素マスクをつけられ、横たわっている。
私が入っていくと姉が、「あ、来てくれたの。良かった。なんかこんなことになって、貴方にどう説明しようか、不安だった。」という。
母の意識ははっきりしていて、これ、苦しい~と酸素マスクの中で言っている。
「ごめんね。」と謝る。
「こんなにしちゃって、私の不注意だよね。」
帰り際に心臓外科の担当の先生が来る。
重度心不全。
「万一の場合の処置をどこまでするか教えていただきたいのですが?」
と聞かれる。
「万一、、、」
「そうです、心臓が止まった時に、どこまで処置をするかの確認です。」
「・・・・・」
「酸素挿管、心臓マッサージ、電気ショック、どこまでやりますか?」
姉と顔を見合わせる。
母は尊厳死会の会員だ。
それを望むのだろうか。
「挿管って、よくなったら外せるんですか?」と姉が聞く。
「はい。外せます。」
「ではお願いします。」
二人で頭を下げた。
病室を後にした私たちはぐったりしていた。
「この間の水曜日、ママとオークラでビーフシチュー食べたのよ。
なんか、嘘みたい。」
姉が呟く。
私はまた「ごめんね。」と言う。
「絶対あなたのせいじゃない。先生も言ってたじゃない。心臓は急なんだって。
普通は倒れてから運び込まれるって。元気なうちに運んだんだから、ママが
今でも生きているのは、貴方のお蔭だよ。」
長い廊下を歩く。
ドアに近づいた時、後ろを歩く私に姉が振り返り
「なゆちゃん、人生には負け戦とわかっていても勇気を振り絞って戦わなきゃいけない時があるよね。」と言う。
世界の色が、一気に白黒になってしまった。