敗北 | 南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

開放 〜 広がり 〜 融合 Release 〜 Expanding 〜 Oneness
疲れている方たちへ、疲れていることも感じられない方たちへ、少しだけ立ち止まって自分自身を見つめる時間を持って頂きたい。

 

先日、主催しているホリスティックナチュラルセラピー協会の

ワーカーアドバンス講座の最終講座を終えた。

 

 

エネルギーを実際に使い情報を変化させる練習を、今回の修了生2名を交え、
オブザーバーとして参加してくださった卒業生や、受講途中の方々と共に

相対で体験してもらった。

 

その中で今回初めて練習で受講生の方に施術をしてもらった方が、
講座終了後サロンに来てくださり、その感想を話してくださった。

 

「足が痛いということを随分心に掛けてくれて、

 一生懸命ヒーリングをしてくださり、とっても楽になりました。

 また機会があったらお願いしたいわ。」


私はとっても嬉しかった。

施術を担当した人は、ここ数年色々な講座に参加してくださり、
講座を盛り上げてくださる方で、その方が、確実に実力をつけ、
痛みを軽減したり、相手の心を満たしたりする様を

今回の講座でみせてくださった。

 

講座を開催している立場としても、

やってきたことがこういう形で喜びとして伝えられることは、
なんというか、大げさに言うとちょっと報われた感がある。

 

講座で相対になった方が、大変感謝していたこと、

痛みが和らぎ楽になったこと、大変ですね、可哀想に

という思いやりにも大変感謝してらしたことを、

私は施術を担当していた受講者にメールで伝えた。

 

そのメールに対しての返信にびっくりした。

 

「効果があったのかなかったのか全く分からないし、

 自分が何やってんのかもわかりません。」

 

と木で鼻を括ったようなメールだった。

 

確かにエネルギーを使って相手の状態を変化させるということは、

どこかでこれでいいのか?という不安が付き纏う気持ちはよく分かる。

まして、経験が豊かではないのだから、自分が正しい方向性に

情報を変化させているのかどうかに確信がもてないのは、当たり前だ。

 

それでも、だからこそ、未熟な自分の未熟な施術に「有難かった」

と言ってくださった気持ちに対して何か一言ないのだろうか。

それを伝えた私にだって一言くらい何かあってもいいのではないかな~

と思った。せっかくの思いが、踏みにじられてゴミ箱に捨てられたような、

なんとも言えない不快な気持ちが残った。


いるよね~、こういう人。

放っておこうと思ったが、思い直した。講座を受けてくださっている以上、

大きなお世話でもその態度はどうなんだろうかと、言ってみようと思った。

自分がどうであろうとも、人様がくれた温かな気持ちには、

やはり素直にありがとうと思える気持ちが大切だと思った。

 

できたかできなかったか、これが正解だったか正解ではなかったか

という自分のできを忖度するのは、その後であって、
まずは自分の行為に対して「ありがとう」と言ってくださったかたの

気持ちに答えるということが、大切だと思った。

いつでも自分が主役意識の人は、

そういう心のキャッチボールがいつも欠落する。

 

それは関係性を築く上で、大きく立ちはだかる問題だし、

この講座の一つの目的「自分の中にスペースを広げる」は、
まさにその問題を改善することによって、他者の情報を把握できるようになる、

ということなので、ちょっと面倒だな~とは思いながら、

頂いた言葉に素直に感謝する気持ちを持つことが必要だと思う、

という意味のメールを送った。

 

返信がやってきた。

 

「素直ではないには、そうなれないプロセスがある。

 だから頑ななんです。」

 

ということが書いてあった。

 

プロセス????

素直であったがために、傷ついたり、馬鹿にされたり、

余計な荷物をしょわされたり、批判されたりしたこと?

その内容はよくわからない。

過去によっぽど嫌な思いをしたのかもしれない。

 

でも、だからと言って、自分にありがとうという言葉をくれる人の

その思いを無視するような態度が正当化されるはずはない。

ましてや、その態度は「頑な」という複雑さではなく、

相手の気持ちを受け取るスペースがないという単純さの気がする。

そういう自分を「過去のプロセスにより」と言い訳する、

その思考経路はいかにも貧弱だ。


過去の経験は自分の中に染みついている。

忘れたいと思う事ほど、何かの拍子にピョコッと顔を出し、

自分の浅はかさをもう一度確認させる。

考え方と感情が連動して、自分をピンチに陥れようとする。


今回の事を通して、自分のことを顧みると、

多分色々な場面で過去のプロセスは自分を縛り、
「今、この時」に何をどう処理するかということに対しての

目を曇らせることがあるのだろうと思う。


嫌だ、私は過去の出来事に敗北したくない。屈したくない。

自分にとって不条理であることも、深く傷つけられたことも、

強い怒りを抱えたことも、数え上げたらきりがない。

 

だからこそ、その思いに縛られて人の思いを踏みにじったり、

心を閉ざしたりしたくない。大した人生ではないにしても、

自分の過去に負け続ける人生は絶対に送りたくない、

と気づかせてくれた出来事だった。