アーユルヴェーダの目的って「健康」「長寿」ってところにあるんですけど、もっと広く捉えてみると「幸福な人生を生きなさい」「有益な人生を生きなさい」ってことなんですよね。



これは明確に古典書にも書かれていて、「何が幸福」で「何が有益」かってのは細かく定義づけされています。




かなり細かく具体化してるので、
それをざっくり抽象化すると、


「幸福な人生」は「自己実現」
 
  で

「有益は人生」は「他者貢献」

ということになります。

自己実現できれば幸福ですし、他者や社会に貢献することは有益ですよね。



なので、これには異論がない。
と思います。




もちろん
どっちが大事ってことではなくて、
どっちも大事です。



でも、これをどちらから満たしていくのが良いのかってことが悩ましいとこなんです。



これは当然いろんな解釈があるだろうし、アーユルヴェーダでなくても、「利己から始める」か「利他から始める」でいろんな意見を耳にすることがありますからね。







利己っていうと、
なんかイメージ悪いですが、


ここでは、

・自分を満たしながら、他人に貢献する
・他人に貢献しながら、自分も満たす

の二つを比較します。





つまり、どっちも自分と他人のためになるのでどっちもいいんですけど、



考えてもらいたいのは順番なんです。

「卵が先か鶏が先か」的な問いですね。





ちなみにここでの「利己」は家族単位の小さなコミュニティまでを含むものとしましょう。

家族や身近な人は自分の一部みたいな感覚があると思いますし。







「利他」「他者貢献」とした方が聞こえがいいし、いかにもいい人っぽいし、好印象だし、そういうことを言っている人はたくさんいると思うんですよ。



でも、思うんですけど、
まぁできる人もいると思うんですけど、おそらく大多数の人は自分が苦しいのに他人に貢献とか出来ないと思うんですよね。




インドの物乞いとか見てるとそう思いますし、結構前ですが、社員食堂で「カレーそば」注文したおっちゃんがめっちゃキレてたんですけど、その原因は器の縁にカレーが付いてただけでした。




たぶん、そのおっちゃんも自分が幸せだったら、満たされていたら、そんなことで怒らないと思うんですね。




やっぱり、
自分が幸せだったら、他人とも争わないと思うし、自分が満たされていたら、その分を分け与えてあげようっ自然に思うと思うんです。




心穏やかでいつもニコニコしてる自分を想像してみてください。そういう自分だったら「人のために」って自然に思うんじゃないですか?



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※ニコニコしている自分を想像してみよう。







昔日本が戦争していた時代、
男は「御国のために」と言い、女は「我が子と家族を守りたい」と言ってました。




今の時代は後者でいいんじゃないかなって思うんです。




自分という小さな「個」と家族、身近な人という小さなコミュニティをまずは幸せにする。




そこを満たすことができれば、争いもなくなるし、自然に他者貢献に移っていけると思うんです。







他者貢献は大切ですよ。


でもね、

もっと自分が幸せになってもいいんですよ。
もっと自分を大切にしていいんですよ。



「他者貢献から始めよう」ってのは、苦しんでいる人にとって酷だし、そう言ってる人って大体場合、ある程度は満たされている人なんです。









PPS.
ある程度の段階にくれば、利己と利他を包括させてどちらも同時に満たしていくってのが実はベストです。



ある程度自分が満たされれば、自己実現に至らなくとも、苦もなく目指せる道だろう。そう思います。




結局、自分は他人に生かされているので、他者貢献するのが自然な姿。


でも、もし自分が辛い、苦しいなら、他者のためにも、自分をもっと大切に、優先してください。


そして、

最終的には「利他多め」な生き方になると良いと思います。