誰にも言えないここだけの話
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こんな人間もいるのです~part2~

今回から相手の名前を主人と書く事にする。

1ヶ月後、夜8時30分、
主人から電話がかかってきた。

子供の名前はSね!

その後少し会話をし、電話は切られた。


こうして私の幸せな、いや、とても寂しい結婚生活が始まることになる。



9月28日
この日は私の父と亡くなった母の結婚記念日で、その日を狙って入籍をした。
2人で歩きながら区役所へ向かう。
その道中、なんの変哲もない風景がとてもキラキラして見えた。
隣には好きな人、お腹には自分の子供、バッグの中には婚姻届。
そんな幸せな時間の魔法で、歩く事が苦手な私が区役所についたとき、
珍しくなんの疲れも感じなかった。

思っていたより淡白な区役所職員の応対も逆に新鮮で、
私が大好きなココアを飲み干す頃には私の名字は変わっていた。

幸せな生活が始まると思っていた。
主人ももちろん同じ気持ちだろうと思っていた。

少しお腹が目立ってきたころ、引っ越しをする事になった。
ここから新しい生活が始まる。

部屋を選ぶ為にいろんな部屋をまわった。
この部屋ならここにあれをおいて…
子供がここにいて…
私は部屋ばかりを見ていて、主人の表情までは見ていなった気がする。
その時主人はどんな顔をしていたのかな。
きっと、人生が終わったと思っていたんだろう。
まだハタチだった私には全く気付けなかった。

引っ越しも終わり新しい生活が始まってすぐ、主人の本当の顔が見え隠れし始める。

悪阻がひどかった私は、4ヶ月で12キロも体重が落ち、
妊娠初期には一度切迫流産で入院もした。
なんとも試練だらけの妊娠期間。
そんな時、主人が私が干した洗濯ものを、まだ乾いていない洗濯ものを、
片っ端から降ろしてやり直し始めた。

少しシワが残っている。
こんなやり方でやった気になるな。
やるなら完璧にやれ。
お前はコレくらいしかやることがないんだから。

1~2枚かけ終えた所でテレビをつけソファに座る。
その行動は後はお前がやれ。
妊娠も後期に入っていたがやっぱり妊婦。
お腹の張りを感じ横になったばかりの私は、つい15分前にかけ終えたはずの洗濯ものをいつもの2倍の時間をかけて干し直した。
シャツを見て主人を思い出し、
まだ一度も袖を通していない、買ったばかりの息子の肌着を暖かい気持ちで干していた時間とはまた違う、
行動は同じながら、私は泣きながら干した。

この時を境に、主人は抑えていた気持ちが押さえきれなくなったのだろうか。
大切に思ってもらえなかった私にも原因はある。

でも、この時に何か嫌な予感がしたのも確かだった。

こんな人間もいるのです~part1~

私は2007年9月28日に結婚した。
職場の男性で私の方から好きになり、
妊娠がわかり、順番こそ違えど私は好きな人と結婚出来る喜びがとても大きかった事を、今でも鮮明に覚えてる。

そんな私の結婚生活。
こんな人間もいるのです。

本当に大好きだった。
妊娠がわかったとき、ただただ迷惑をかけたくないと思った。
エコーにうつる初対面の我が子。
心臓がトコトコと動いている。
この命を消してしまおうとは一瞬も考えなかった。

妊娠をしたことを話すべきか3日悩んだ。
次の病院は4日後。
結局事実を隠す事はヘタレな私には出来なくて、全てを打ち明けようとタクシーを呼んだ。

タクシーの運転手さんは中年の優しそうなおじさんで、
私は打ち明ける決意が足りてなかったのか、気合いが入りすぎていたのか、
何故か車が進むにつれ手のふるえが止まらなかった。
30分ほどある道中、冷や汗をかきはじめたあたりでついつい運転手さんに相談してしまった。

妊娠してるんです。
3日前にわかりました。
今から相手の人に話しに行くところなんです。
でも受け入れてもらえる自信がない。
怖くて仕方ない。

運転手さんは私が話し終わるまで、丁寧に頷きながら聞いてくれた。
そしてこう話し始めた。

若い男性ならビックリして言葉を失うかもしれない、けどそれは責めないであげてほしい。
でも自分の好きな相手が、自分の子供を妊娠した事実をすぐに理解する。
そうなった時に、あなたに幸せな言葉が降ってくるように、僕は祈っているからね。と。

涙が止まらなかった。
少し気持ちが紛れて、ついた頃には手のふるえはなくなっていた。

玄関を入る。
狭い1DKだ。
相手がいることはすぐに確認できた。
私はこの家が大好きだった。
この家の匂いが、大好きだった。

30分前までの嫌な緊張はなくなっていた。
多分、相手が笑っていたから、
いつものように笑っていたから、私は安心してしまったんだと思う。

大切な話があるんだとだけ、相手には伝えていた。
なんでもメールや電話で済ませてしまう私が、今回はダメだと自分にストップをかけた。
この時点で私はもう母親だった。

ベッドに座る相手の下の床に座り、
3日前初めて本物をみたエコー写真を出した。
何かすぐには理解出来ていないようだった。
私は言葉を足した。
考えに考えた言葉だった。
運転手さんの言葉に泣いてしまったのは、きっと、私が出した結論と真逆の言葉だったから。
本来ならそう思いたかった自分の本音を、それが当然のことかのように言う運転手さんに後ろめたかったから。
いろいろな理由があったと思う。

子供が出来ました。
ごめんなさい。
でも大丈夫。認知していらない。
この人生に巻き込むわけにはいかない。
私はこの子を殺す事は出来ないと決めてしまった。
だから私にはもう関わらないでほしい。私も関わらない。

言葉を失っているように見えた相手が、土下座をした。
下に座っている私より少し高い位置で土下座をした。
これからの人生で土下座を見上げる経験をあと何回できるだろうか。
人に土下座をされることすら無いことなのに。

顔は見えなかった。
でもハッキリと聞こえた。

おろしてください、お願いします。
今回は無理です。
今回は産まないでください。
俺、こういうの無理なんで!

命の節理はどうなっているんだろう。
この子を今回諦めると、一度順番待ちに戻って、
次の機会にまた同じ命がきてくれるようになっているんだろうか。
今回は今回は…と連呼する相手の頭を見ながら、
この子は今回しかチャンスがないのになと呆然と考えていた。

私は大丈夫だよ。

それしか言えなかった。
すぐに帰ることにする。
外の空気を吸いたかった。
あのタクシーの運転手さんには今は会いたくないななんてどうでもいいことを考えていた。

家を出るとき、結局一度も立ち上がらなかった相手が、私の背中に言葉をかけてきた。

2週間考えさせて。

それから1ヶ月、何の連絡もなかった。
その間も病院はある。
大きくなっていくエコー越しの命と、
消える寸前にまでなってしまった期待と、とても複雑な思いでただただ過ごした。



やっべー!笑 俺マジ地雷踏んだ!
人生終わる!笑


そんな風に言われていたとわかるのはもう少し先の話。


ポキっとな

子供がまだお腹にいる時の話、

私は吐き悪阻がひどくて、
3ヶ月で12キロの減量に成功しました。

それ以上痩せるのが怖くなって、
体力もなくなって。

でも食べ物どころか飲み物すら受け付けない状態が続いて、
それとは直接の原因かは謎だが切迫流産で入院。

お腹が大きくなってからも問題の耐えない自分の体。


今思い返すと、私の妊娠期間は常に「辛い」という思い出しか頭に浮かびません。



そんな期間の話を、今日旦那からされました。


ご飯支度、洗濯、掃除。


自分のできる限りの事はやったつもりでした。


それは今も変わりません。



「お前は何もしていない」

「感謝することなんてない」

「全部適当」

「一生懸命さが伝わらない」



周りからずぼらに見られる私。

でも人が見ている所で無理に一生懸命さをアピールする必要はよくわからなくて、

誰が見てるわけでもない場所で頑張れる女性が私の理想。


周りにどう思われてたって、

ご飯の栄養のこと、
家の中を普通以上に掃除することなどは、
常に心掛けていました。


人から見る私の印象なんていうのは、なんてことないただの客観視で、
親にすらそうみられている自信すらありますが、
見てる人が見ていればいいと頑張ってきたつもりです。


その見てくれている人は私にとって、
やっぱり一緒に生活をして毎日顔を合わせている旦那でした。




ちょっとキツイなぁ。


こうなってしまうと私は、自分が何のためにここに存在しているのか、その存在意義までわからなくなってしまうんです。



こういう出来事は今回だけじゃなく、
以前もありました。

「妊娠期間と産後すぐの養ってやった金を返してほしい」

「お前のメシ代まで負担する意味がわからない」



それから私はちょいちょい働きに出て、家にお金は入れてきました。





もうこれ以上、どうすることもできません。
旦那がいう妊娠期間のあの時、私はどうすればよかったんでしょうか。





今日は人生嫌になった日。
久しぶりにガッツリ心が折れそうです。
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