こんにちは!
オランダ在住、フリーランス
ビジネスコンサルタントの
田口歩(たぐちあゆみ)です
ブログへのご訪問、
ありがとうございます。
初めましての方は、こちら。
前回までのMy historyはこちら。
機能不全家庭や、アダルトチルドレン について書くと、「大変でしたね」と 労られることが増えました。 確かにその通りだと思います。 |
||||||||||||||
一方で、一番大変なことは、 「自分は毒親、機能不全 家庭とは関係ない」 という無自覚が、何より重症のように 思ったりしています。 |
||||||||||||||
というのも、 米国・アライアント国際大学名誉 教授であり、 カリフォルニア州で精神療法家として 活動されている 心理学者、西尾和美さんも、 |
||||||||||||||
著書「親になりきれない親たち」で、 日本人の8割が「機能不全家族」 と仰るほど、 8割以上の家庭が、 「うちは大丈夫」と思いながらも 実は機能不全であるからです。 |
||||||||||||||
要するに 「ありふれた家庭」こそ 「機能不全家庭」なのだと。 |
||||||||||||||
しかし、それをあんまり 認めたくない方も多いかと 思うのです。 |
||||||||||||||
「親を傷つけたくない」 という気持ちもあれば、 「我が家に問題があったとは 思いたくない」 という気持ち、つまり 「怖いものに蓋をしたい 気持ち」 という気持ちなど、 色んな気持ちがあるかと。 |
||||||||||||||
最近でも 「日本社会の『機能不全性』 を大きく表しているなぁ」と 思った事件がありました。 |
||||||||||||||
それは、 娘を中学2年生から7年間もレイプし続けた父親への「無罪判決」。 |
||||||||||||||
要約すると 「娘の同意はなかったけれど、 娘は父親に抵抗できたはずなのに しなかった。 だから、父親は無罪」 というもの。 |
||||||||||||||
この判決こそ 「機能不全家庭」で育ち、 そして 「機能不全家庭育ち」の自覚が ない日本人が作った「刑法」 に基づく判決ではないかと唖然と してしまい。 |
||||||||||||||
親による性的虐待は、 子どもの尊厳を踏みにじる、 決してやってはいけない「大罪」 だと思います。 |
||||||||||||||
しかし、日本では無罪です。 |
||||||||||||||
つまり、 日本では「合意形成における同意」や 「個人の尊厳」が、これ程迄に 「刑法」で守られていない というのが逆に証明されてしまった 事例のように思ったのでした。 |
||||||||||||||
もしこの事案を「無条件に愛情が 与えられ、安心できる家庭」で 育った裁判官が受けていたら。 「自分の在りのままの気持ちが 尊重されることが、 何よりも大切である」 ということは、身に染みて 分かっているような? |
||||||||||||||
「同意」こそ何より尊重 されるべきものであり、 「相手の同意がないこと」 は決してしてはいけない |
||||||||||||||
そういう視点が、法律にも裁く方にも 全くない事に驚きました。 |
||||||||||||||
ちなみに、ドイツではこちらの通り、 セックスの最中に、パートナー女性の 同意なしに、つけていたコンドームを 外した男性は有罪になっています。 |
||||||||||||||
「同意」を尊重している世界は、 決してないわけではないのです。 |
||||||||||||||
なので、多くの人がもっと 「機能不全家庭」で育った 「生きづらさ」の「自覚」を持ち、 次の世代に持ち越さないよう、 負の連鎖を断ち切る意思 が必要じゃないかな、と。 |
||||||||||||||
そうしたら、もっと 「本人の尊厳」が尊重される国 になるのではないかなぁと。 |
||||||||||||||
なんだか「のびのび」と「機能不全」 について語ってしまいました。 |
||||||||||||||
【My history vol.17 のびのび中学生】 | ||||||||||||||
「親の目の届かない所に 行って、安心する」 が目標だった割に、家からバスで 数駅という、めちゃめちゃ届く場所。 |
||||||||||||||
そして最寄りのバス停名は「桜坂」。 (こちらからお借りしました。美しい・・・) |
||||||||||||||
理想とは異なりましたが、 綺麗な桜並木の道を歩いての 通学は、心も和みました。 |
||||||||||||||
そして、 「スタートライン」が 周りと一緒という、 人生初の環境。 |
||||||||||||||
いつも、「転勤族」として、 途中から「失礼します〜」と 「仲間入りさせてもらう緊張感」 を感じてきた身には、 ホッと一安心できるような、 そんな入学でした。 |
||||||||||||||
音楽部に入り、好きなだけ朗々と 合唱をして。 |
||||||||||||||
「NHK合唱コンクール」の為に、 夏休みも練習したり。 (まさにコレ↑) |
||||||||||||||
英語を学ぶ楽しさに触れたのも、 この時期だったと思います。 |
||||||||||||||
たった1年しか居なかったのに、 今も会ったりSNSでやり取りしたり という「長年のお友達」も出来ました。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
とりあえず、何と言うか、 毎日がとっても楽しかったのです。 |
||||||||||||||
「特別に何もないことが楽しい」 というのは、私にとっては逆に 「特別なこと」でもありました。 |
||||||||||||||
他愛無い、楽しかった日々が ありありと脳裏に思い出されます。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
勉強が出来たのか、どうなのか? | ||||||||||||||
覚えちゃいませんが、親からの、 同級生との「成績比較」も なくなっていたように思います。 |
||||||||||||||
今、振り返ると本当にありがた かったなぁと思うのが、音楽担当の、 女性のS先生とのプチ文通。 |
||||||||||||||
S先生は美人で優しくて、それこそ S先生だったから、部活が楽しく 感じられたのだろうなぁと。 |
||||||||||||||
そんな先生は、中2で転校して いった私に、年賀状やら何やらと、 折りに触れてお手紙を下さったの でした。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
自分の学校でもやらなきゃいけない 業務が沢山だったと思うのに、既に 転校していった生徒のことまで 気に掛けてくださって。 |
||||||||||||||
私が逆の立場だったら、そこまで 細やかな対応が出来ただろうかと、 頭が下がります。 |
||||||||||||||
ちなみに、最近になって、S先生の 息子さんが某スポーツで大活躍 されていることを聞きました。 |
||||||||||||||
「あの先生の息子さんだものね」と、 凄く納得してしまいました。 |
||||||||||||||
しかしまあ、本当に「先生」には、 大きく傷つけられることもあり、 また恵まれた人生でもあったなぁ と思います。 |
||||||||||||||
ピアノの先生、幼稚園の先生、 塾の先生、音楽部の先生・・・ |
||||||||||||||
自分の子どもでもないのに、 沢山の方に大切に育てて頂いたことに、 本当にしみじみと感謝だなぁと つくづく思うのでした。 しかし、忙しいことに、また転校です。
|