養老渓谷へ行ってきましたー。
友達がおしゃれでいろどりサイコーなお弁当を作ってくれましたー。
きのう日曜日、房総里山トロッコ列車に乗って~~
大人女子二人旅の始まりはじまり~~
五井からごとんごとん揺られて2時間~、途中の駅で2度ほど休憩タイムがあって、
15分ほどゆっくり停車して
ホームに降りて写真とったり、おまんじゅうやら駅弁を買う時間があってなかなか楽しい。
ここは上総牛久駅
こちらは里見駅(里見八犬伝の里見ーー!)
地元手づくりのいなり寿司やらちょっとした食べ物の出店が並んでお祭り気分♪
冷凍みかん買った。
懐かしいよね。
昔、子どもの頃、新幹線ひかり号で冷凍みかん買ってもらって食べたな~
みかんの天然の甘みと冷たさが心地よい
房総里山トロッコ号~
ところで話はそれるが、
小湊鉄道、いろいろがんばっているのは評価するけれど、切符の販売がアナログで驚いた。
トロッコ列車は全席指定席なのだが、係員の人が、手書きの表に記入して販売していた。。。
システムのことはよくわからないけれど、利用者の使い勝手を考えても一考の余地はあると思った。
(つまり、稼ぎ時の日曜なのにわりと空いていた。。。)
里見駅のおかあさんに手を振りま~~す。
このトロッコ列車のおもしろいところは、走っていると、通り過ぎる村の農作業してるおじさん、おばさん、地元の家族連れ、踏切で待つ車の中の人、バイクの人、撮り鉄の人、向こうの方のお店の人、ともかく、あらゆる人が、
この列車(の乗客)に向かって手を振ってくれるところにある。
それだけで、じ~~んとしてくるのだ。
隣の和美ちゃんも「なんか泣けてきますねえ」とつぶやいたので、
「ほんとよねえ~なんでだろうね~」と言いながらその場は流れていったのだけれど、
そういえば、
なぜ、じ~~んとするのだろう。
列車に乗っている人、地元にいる人、手を振り合うと泣けてくるのはなぜか。。。
ともかく、それはまるで、日本の農村ワンダーランドをトロッコ列車で巡るアトラクションを体験している気分であった。
みんなそれぞれの役割の地元民を演じているプレイヤーかキャストのように思えて来るから不思議だ。
同時に私たち乗客はみな、通り過ぎてゆく旅人であった。
養老渓谷の中の万代の滝にて
水量は多くない。。。
遊歩道が2,3キロあり、歩く気満々だったのだけど、
大雨で道がふさがれたか何かで行き止まりになっていた。
サワガニをつかまえてみた。
掴んでみると、なんと赤ちゃんがいっぱいお腹にくっついてるー---。
ミニミニカニベビーがたくさん!
700mほど歩いてちょうどよいベンチを見つけて、お楽しみのランチタイム。
友達はお料理がうまい。
お弁当の味付けも、盛り付けもうまい。
フードコーディネーターをしているから、プロなのであるが、こうやって
プライベートでもこんなに美しくバランスのとれたお弁当を作れるっってすごいな。
海苔おにぎりの中身はタラコ、おぼろ昆布のおにぎりはなんだったかまぶしてあった。
白いトウモロコシ、肉じゃが、卵焼き、鶏の照り焼きも柔らかさ、甘辛の味付けが最高。
あえて赤いウィンナーがたまらない気持ちにさせられる。
ごま団子まで。
料理そのものもおいしいし、こういうしゃれた紙のまるいお弁当ボックスとかも
おしゃれで手が込んでいる。
しかしこの鶏の照り焼きはなぜこんなふうにおいしくできるのか。
お肉で最も重要なのはね、焼き方、火加減ですよ。
ま、そんなランチタイムでした。
冷やしてきたビールで乾杯~
ところで、トロッコ列車での朝ごはんは、たまごサンドであった。
前の日に、友達がお弁当つくりますよと言ってくれたので、
じゃあ、朝ごはんぐらいわたしが作らないわけにいかないなと、素人ながら作っていった。
友達は料理上手な上に、パン作り名人である。
そんな友達にサンドイッチを作るのは気が引ける。
が、昼がおにぎりなら朝はパンだろう。
すると、友達は「わあ、うれしい」と言って車窓のへりに置いてスマホで写真を撮ってくれた。
中の卵がはみ出て、見栄えもよくないわけだが、写真を撮るということは、
これが写真を撮るに価する、とその人が感じている証拠である。
人は、写真を撮る対象になんらかの価値を見出さない限りは、カメラを持ち出したりしない。
見栄えの良し悪しではないのだ。
そして、自分の手作りサンドイッチを写真に撮ってくれて、おいしい、嬉しいと友達が言ってくれるのを聞いてわたしは、、
嬉しかった。
要は、双方向なのだ。
友達は写真がうまい。
わたしもヘタなりにいいと思った瞬間を撮った。
さて、列車の中から手を振って、地元の人が手を振り返していたらなぜじ~~んとなるのか。
言葉は発していなくても、その行動により相手と会話をしているのである。
「こんにちは~いいところですね~」
「こんにちは~ようこそ、わがむらへ」
「きれいな田んぼですね~」
「田舎に来てくれてありがとう」
「いい村の景色ですね~」
「トロッコ列車、楽しそうだね~」
「この景色を見によそから来たんですよ~」
「うちの地域に価値を見出してくれてありがとう」
あるいは、そこに混められた言葉はもっとシンプルかもしれない。
「お~い」「やっほー」「よう来たの~」
「ハロー」と言われたから、「ハロー」と反射的に言い返す。
手を振ってきたから、こっちも振り返す。
ボールが飛んできたら、受けて取って投げ返すキャッチボールのように。
コミュニケーションってそういうものよね。
コール&レスポンス。
こだま?やまびこ?反応。リアクション。
反応を返してくれたことに喜ぶ。
相手はじぶんの鏡。
キャッチボールの中身はなんであれ、じ~んと来るのは、
言葉が「通じた」と思えたからではないか。
心が通い合った、伝わった(から投げ返してくれた)と思えたのではないか。
わたしたちは、
プライベートで、仕事で、家庭で、友人関係において、社会活動において、
切符を1枚、商品を1つ買うときでさえ、(直接、間接的に)
相手と会話している。
分かり合えたら嬉しく、分かり合えないと寂しい。
手を振り返されたら嬉しく、振り返してもらえないとさびしい。
受け入れてもらえたら嬉しく、断られるとさびしい。
もしかしたら、人が旅するのは、知らない景色を、行ったことのない土地を見聞きして、
知りたい(自分の一部に取り込みたい)という欲望もあるのだろうけれど、
知らない土地で、手を振り返してもらえたら、それは
その土地に受け入れてもらえた、歓迎されたことになるだろう。
手を振って→振り返される→じ~ん。
わずか数秒の間に、その土地の人と心が通い合えたと感じるから、じーんとくるのかもしれないな。
おーい、わたしはここだよー!
はーい、そこにいるね、いていいよー。
なんてことを考えましたとさ。
旅するベジアナあゆみ