厚労省が作った「人生会議」のポスターに批判が集まり、中止となったニュースを朝のワイドショーでやっていました。

 

終末期医療ポスターに批判 患者団体、厚労省発送中止(日経新聞・共同通信より)

 

ポスターの写真では(あえて引用しませんが)

顔色が悪く苦しそうな表情をした吉本の芸人の小藪さんが、

病院のベッドで=(瀕死の末期患者なのでしょう)

家族(父)についてぼやいて(ツッコんで)いる。

ちゃんと聞こえているのだ(意思表示はできないが)という心の叫びで、

こういう不幸な事態になる前に、

みんな、「人生会議」しとこ。 と呼びかけるというもの。

 

このポスターの表現を不快と感じる人と、そうでない人がいたのだが、

中でも、がん患者や家族の団体が、患者や家族を傷つけるとして批判し、ポスターは中止となった。

 

そもそも、「人生会議」とは何なのでしょうか?

 

例えば、終末医療をどうするか、選択を迫られたとき、当事者である患者は末期である場合が多く、意識不明や昏睡状態だと意思表示や決定ができません。

よって、家族が代わりに決めるわけですが、それが必ずしも、本人の意志に添ったものであるかどうかはわかりません。

そこで、当事者の意志(その人の人生)を最期まで尊重するための事前の話し合い、

「人生会議」をしておこう、というのが今回のポスターの主旨でしょう。

 

ではなぜ厚労省がこういうポスターを作ることになったのか。

 

厚労省は、平成29年から、「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」なるものを開き、検討を重ねてきました。

それによると、

最期を迎えたい場所について

「自宅」が54.6%で最も高く

「病院などの医療施設」が 27.7%

「特別養護老人ホームなどの福祉施設」は4.5%という結果があります。(内閣府の意識調査)

しかし、実際、日本人が死を迎える場所は病院が75.6%で、

自宅はわずか12.9%に過ぎません。 (平成25年度人口動態統計)

 

昭和30年から40年代では、自宅で死を迎える人が多かったのですが、

昭和52(1977)年を境に、病院での看取りがほとんどになり、

今や自宅のいわゆる畳の上で死ねる日本人は、10人に1人という時代になりました。

 

国としてこれから問題なのは、「少子高齢多死社会」です。

ストレートな言い方ですが、厚労省の資料に記載されています。

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000173560.pdf

年間の死亡数は増加が予想され、最も年間死亡数の多い2040 年と2015年では約39万人の差が推計されている。

 

つまり、病院でみんなが死を迎えるには、病院が足りないのです。

しかし、人口動態を見ても、財政的にも、病院(病床)はこれ以上は増やせない。

同時に、自宅で最期を迎えたがっている人が多いのだから、それを尊重して、推進できる世の中にすれば、

国も、国民も、ハッピーということです。

国益と個々人の利益が合致するのですから、「人生会議」それ自体はすばらしいことです。

 

平成26年の検討会まとめでは、「終末期医療」という暗いイメージの表現をやめて、

「人生の最終段階における医療」 に名称を変更することが決まった。

英語で ACP(アドバンス・ケア・プランニング)。

アドバンス・ケア・プランニング「いのちの終わりについて話し合いを始める」

神戸大学大学院医学研究科 先端緩和医療学分野 木澤 義之

 

さらに去年、厚労省は、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称を一般公募し、

(浜松の看護師さんの案で) 「人生会議」に決定しました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02615.html

(平成30年11月30日)

1130の語呂合わせから、「いい看取り・看取られ」で

11月30日は人生会議の日として、人生の最終段階における医療・ケアについて考える日となりました。

 

その「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)愛称選定委員会」のメンバーは、

元NHKアナウンサーで国立成育医療研究センターもみじの家マネージャーの内多勝康さん、

放送作家で「おくりびと」の脚本で知られる小山 薫堂さん、
そのほか医療や福祉、大学の有識者に混じって委員を務めたのが、小籔 千豊(タレント)さんだったのです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saisyu_iryou/index.html

 

国の省庁が様々な委員に、タレントさんを起用することは、よくあることです。

それによってマスコミが取材してワイドショーで放送されたり、タレント本人がインフルエンサーとしてSNSで拡散すればキャンペーンの話題性としても成功です。

 

TOKIOのメンバーが福島県の仕事として農業をPRしたり、

先頃、経産省の官僚と結婚した菊池桃子さんも、国の一億総活躍国民会議の委員を務めていました。

(ただし、菊池桃子さんは、大学院で雇用政策とキャリア教育を研究している専門家ですし、TOKIOはDASH村で長年、福島で農業を実践していますから、タレントであってもその方面の有識者です。)

 

では、今回の委員や「人生会議」のポスターになぜ、小藪さんが起用されたのでしょうか?

ご自身もご家族を亡くされた経験があるそうですが、それは抜擢の理由に足るでしょうか。

 

野党が28日の国会で厚労省に追及したところ、このポスター制作は、広告代理店ではなく、吉本興業が啓発活動を一括して請け負ったということです。

1万4千枚のポスターに、4070万円の予算。

吉本興業は、「笑いの総合商社」というコンセプトを持ち、「笑いで心のインフラを」などのキャッチフレーズで、国や行政のあらゆる仕事を請け負っています。

SDGsについては、国連広報センターと提携を結びました。

https://www.unic.or.jp/news_press/info/26262/

 

2025年に開催される「大阪・関西万博具体化検討会」(経済産業省)の委員に、吉本興業の大崎社長が入ったことから、

経済産業省の資料に、吉本の行政仕事が詳しく書かれています。

https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/osaka_kansai/pdf/001_07_00.pdf

 

吉本が法務省、国連などと次々連携

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO19861190Q7A810C1000000/

 

経済が縮小し、民間企業が疲弊する中、国や行政というしっかりした組織と組んで手堅く稼ぐ、企業の戦略としてはまっとうです。行政仕事は社会貢献という好印象にもなります。

ソーシャルなイメージがファンを作る。

いち早く、日本でSDGs、つまり持続可能な発展について気づき、先手を打ってきた企業が、吉本興業なのかもしれません。

地方創生関連では「よしもと住みます芸人」というのがあり、47都道府県に吉本の芸人さんが住み、地方のテレビ局などに出演して露出を保っています。

吉本興業も巨大な笑いの総合商社にのぼりつめた今、縮小しつつある放送業界の限られたパイをどうにか維持して生き残ろうと必死なのだと考えると、

キー局がだめなら地方局で、民間が疲弊したら行政で、あらゆる分野で芸人の活躍の場を保つ戦略は、さすがとしかいいようがありません。

(お笑いを批判するつもりはありません。むしろわたしはお笑いマニアで、吉本興業も企業としてはすごいと思います。好きゆえに長い間ウォッチしているので変化を感じるのです)。

 

同時に、税金を使う側は、本質を考えなくてはなりません。

 

 

話が遠回りになりましたが、ポスターをどう感じるかどうかの前に、

なぜこういうポスターが生まれたのか。
国が生死の尊厳を社会に訴える重要な啓発ポスターが、なぜ吉本テイストになってしまったのか。

 

裏側にある物語を見なくてはなりません。

 

 

ところでこういう言葉を聞いたことはありますか?

 

「Nothing About us without us」

(私たちの事を私たち抜きで決めないで)

 

世界中の障害当事者が参加して作成された「障害者の権利に関する条約」の合言葉です。

2006 年に国連で採択され、2014 年に日本の政府が批准しました。(時差がありますが)

 

これは障害者についての話であって、死を前にした末期の患者とは違うと思われるかもしれませんが、意思表示の困難な状態の弱者という意味では同じです。

障害者、難病の患者、認知症など介護が必要な高齢者といった立場の人についての権利やルールは、今まで当事者じゃない人達によって決められ、肝心な「当事者」の声が生かされず、当事者の視点が欠けていた、という反省がありました。いまは、世界的な動きとして、当事者を中心に考えようという方向で進んでいます。

 

「人生会議」のポスターのニュースを知った時、わたしは、その表面的な是非よりも

根底には、本来、こういう考え方が含まれていたのではないかと思いました。

 

 

人生の最期に近づいたときに、誰かに決められるのではなく、

その人、本人の意志が尊重されることが大切です。

そのために、元気なうちから話し合いをしておくことが、当事者にとっても、

見送る家族にとっても、医療サイドにとっても、

国全体の動きとしても、よい結果を生むことがわかってきたので、

「人生会議」をしましょうと、ポスターは伝えたかったはずです。

 

 

あのポスターがそれを伝えるに相応しかったかどうかは、個々の受け止め方、センスによって確かに異なるかもしれません。

 

ただ、わたしはこう問いたい。

あれで言いたいことが伝わったと、制作者や関係者は本当に思ったのだろうか。

 

そこに死への旅立ちを前にした本人と、家族や身近な人たちが通わせる愛情や、誠意や、心の機微のようなもの、

それにせめて寄り添おうとする優しさや思いやりは含まれていた(含めようとした)だろうか。

 

 

というわけで

「人生会議」のポスターが中止になったニュースを見ていたら、気になって調べて考えたこと。

長っ!

 

仕事の原稿そっちのけで書いてしまいました。

 

 

ベジアナあゆみ お笑い好きだけど、命の尊厳は別問題として大切にされるべき