心理検査を受けて、ASD と「診断することは可能」 といわれた。

 

いわゆるグレー。

 

想像通り。

 

心療内科では、ではどうしたらいいか の話にはつながらなかった。

 

こちらで相談できるのか、と主治医や心理士の先生に聞いたが、

 

「カウンセリングは一応やっていますが、会社のEAPカウンセリングを活用された方がいいかと~」

 

「今は発達障害専門の機関とかもありますから~」

 

「ASDでも 皆に愛されて生きる道もありますから~」(?)

 

と、茶をにごされた。

 

私程度だと軽度の困り感だと思われているのだろう。

 

自分のなかで どんなに苦しくて苦しくてしょうがなくても

 

自分から本気で助けを求めないと

 

助けてもらえることはないのだ。

 

周りに害があるわけでもないし、今すぐ死にそうでもないから。

 

昔からそうだからあきらめてはいたが、

 

この段階になってもか、と がっくりくる。

 

結局 私はどうしたら。

 

 

 

 

 

だいたい、こういうときは

 

周囲に対して 過敏で攻撃的になりがちなので

 

他人に相談してもわかってもらえることはない。

 

相談して優しい言葉をかけられても 

 

私が過敏なせいで 言葉尻をとらえて怒ったりしてしまって

 

結果 避けられる、腫物をさわるようにされる。

 

しょうがない。

 

じぶんがじぶんの味方だ、とあったかく思えるようになって

 

落ち着けると、

 

周囲に相談して、あるいは相談しなくても

 

うまくやっていく方法を見つけ出せたりする。

 

じぶんだけはじぶんの味方。

 

それまでは 他人をあてにしない方がいい。彼らは彼らの人生を生きているからだ。

 

今の状態のまま行ったら、私の人生を丸ごと預かって、という気持ちになってしまう。

 

 

 

 

助けて、と助けを求めるのには

 

愛されるのには

 

結局のところ 技術か、あるいは経験が必要なのだ。

 

愛されるように生きなさい、なんて

 

何て残酷な言葉だろうと思う。

 

 

 

 

 

もともとは受動型アスペルガーだと思う。

 

それが過剰適応したり 周りのやり方を身につけた結果色んな人格が付け加えられたり 人格障害的な物が付け加えられたり

 

最終的に 過剰適応によるうつや 過敏、不安で二次障害を引き起こしたりして

 

今に至る。

 

すべてをひも解くのは長い道のりだ。

 

ほんとは 自分だけでは治療の道をやりたくなかった。

 

どこかで SSTとかCBTとか 色んな療法につながって チームで助けてもらいたかった。本音をいえば。

 

でも 今の私では そこまで自動的につながることはできない。困っていなさそうだからだ。

 

そして 妊娠しているから。出産で一時中断、というところで さらに阻まれる。

 

自分からそういったところにつながりに行く気力もない。

 

支えとなる生活面がガタガタだからだ。

 

 

ガタガタな生活面。

 

毎日、やんちゃ、生意気、甘えん坊な男子 新小学一年生 二人を 学校に適応させること、

 

そして子育てしながら義父母との同居で ストレスを回避しながら 生活すること

 

で精いっぱい、むしろどちらかというとマイナスに傾き

 

しょっちゅう 軽い鬱状態になりながら

 

何とか毎日過ごしている状態だ。

 

リビングにおりづらくて 食事もままならない。

 

キッチンは使いづらい。

 

起床、就寝、風呂の時間も 義父母を気にしながら 遅れないよう、早すぎないよう

 

決められた時間に行う。

 

義父母はまったく悪気はないのだが

 

子供たちを急かしたり 叱ったり 早いスピードで質問してきたり 声量が大きかったり

 

とにかく何だか落ち着かない。

 

完全に 昭和の定型発達の方々なので

 

わたしが できないなりに やる 子供の身支度や片付けなども

 

あれができてない、これはどうした?と

 

悪気なく思ったままに口にして

 

たいそう ストレスになる。

 

色々面倒になり 洗濯機をまわすのや 子供の食事はお任せしてしまっている。

 

それは嫌な顔せずやってくれている。

 

私がリビングに下りていくと あちらの方も席を立ったり 何となくくつろげないようで 申し訳なくなる。

 

だから 子供たちがリビングにいても 私はいかない。

 

私はこの家で余計ものな気がしてしまう。

 

 

そして何だか足のケガも絶えず、痛くてうまく歩けない。

 

外出や家事が思うようにできない。

 

 

極めつけに 義祖母の要望で

 

夫が 義祖母(昭和の方でめっちゃ元気にしゃべり続ける、歩行には介助が必要、やりたいことがいっぱいあって それに従うことになり旅行のスケジュールは大幅にかわる)、義祖母のいとこ(初対面)

 

の旅行のガイド・ドライバーをすることになり

 

夫も大変だな、まあ義祖母に今のうちに思い出を作ってあげたいもんな と思ってはいたが

 

夫に誘われるがままに

 

私も身重な体と二人の子供連れで参加したことで

 

完全にキャパを超えてしまい、

 

鬱が再発した。

 

元々が受動型アスペルガーなことを思えば、

 

こんなに人に囲まれていたり 言いたいことを言いにくい状況は 完全にキャパオーバーだったのだ。

 

またしても 流されて 変なことになってしまった。

 

思い出を作れたことは良かったけれども、

 

冷静になれば違う選択肢もあったように思う。

 

 

 

 

とにかく 生活面がガタガタだ。

 

家の中でストレスなく過ごす方法を編み出さないと、

 

もっと先のことに進めない。

 

夫含め ほかの人にいうと

 

気にしなければいいよ、 とか

 

ポジティブに考えようよ、とか

 

自分も楽しいこと見つければ?

 

とか言われるのだが、

 

どれもこれも出来ていれば苦労しない。

 

楽しいことをやる時間があって

 

それはそれで良いが

 

帰ったらまた ストレスに晒される、

 

それを受け流そうとして 無意識にたまるストレス、

 

そういった繰り返し は

 

現実的に手を打たないと、あるいは自分で腹の底から納得できるやり方でないと

 

終わらないのだ。

 

そういうことを 結局は全部 自分でやる必要があるのだ。

 

ほんとに 他人に無責任なことは言えないなと思うし、

 

そういう自分は ガチで卑屈、偏屈、頑固者なのだろうなと思う。

 

みんな、そういうポジティブ思考を勧めてくる人は

 

もっと 開かれた柔らかい世界で生きているのだろう。

 

そうなれない自分でいるのは 自分の責任だ。

 

 

 

 

ASD グレーとして これだけ苦しんで生きてきて、

 

私の3人のこどもたちに

 

どういう背中を見せられるのだろうと 思う。

 

結局、家事やしつけもまともにできない母だった。

 

義父母の方が よっぽどちゃんとしてくれるだろう。

 

私は優しさとネグレクトの間を行ったり来たりする 不安定な母親だ。

 

上の双子は 小学1年生、より社会に一歩踏み出し始めた。

 

小学校生活は 場合によっては 発達障害の子供にとって 壁になりやすい。

 

その兆候も見える。

 

自分の生活でさえ 苦慮しているいまの私だが、

 

どう手助けして、 どういう背中を見せてあげられるのだろう。

 

 

自分にダメ出しして 叱咤激励をしていると、

 

子供にもそれをやってしまう。

 

自分も育てなおしてあげたいし、

 

彼らも 発達障害だったとしても 生きやすくなれるよう育ててあげたいし、

 

応用行動分析? とか、ほめる とか、

 

いろいろ 今の子育てをしてあげたい。

 

ポンコツな私にできる、せめてものこと。

 

同じ目線で いっしょに成長すること。

 

周りの大人と協力して ひとつひとつ 解決する様子を 見せてあげること。

 

 

 

 

 

 

こどもらが発達障害だったとして。

 

発達障害の自分として、

 

どうすれば生きやすくなるのだろうと 考える。

 

多様性のある社会になって、

 

だからこそ生きにくい面もきっと出てくるだろう。

 

 

前は、社会のすべてが嫌で ユートピアに逃げ込みたかった。

 

いまは、それをしても 解決しないことを知っている。

 

いま目の前の社会に生きながら ひとつひとつ対応しながら うまく逃げること。

 

その時その時 自分だけのユートピアをいろいろと小出しで持っておいて、

 

逃げる時間と空間を確保すること。

 

出来ないことは 自分なりのやり方で 回り道でいいから できるようにすること、あるいはしっかりと諦めること。

 

 

理想郷などなくて、

 

結局 日々のそうした積み重ねが人生を楽しくする。

 

きっとそうだと思う。

 

子供たちは、どうか それを自然に疑問なく出来るように なれたらと思う。

 

それも 完全にわたしのエゴだけど。

 

 

 

両親は 同じように 「お金に苦労させないこと」を 

 

言葉に出さないながら すごく意図してくれていて、

 

その親心に とても素直に感謝している。

 

お金の苦労をさせない、教育でお金に糸目をつけない、

 

まとまったお金を確保する、

 

そのために 貯金と金策をすごく頑張っていたと思う。

 

時代かもしれない。

 

いまの私は 「まとまったお金が無くてもできる経験や 考え方ひとつの小技を たくさん身につけさせてあげたい。」

 

それも時代だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

具体的に、私が日々生きやすくなるために どう対策しよう。

 

抜粋。

 

 

 

①断るスキル
受動型の方は「断れない」ことが一番のリスクになります。

なので「トラブル少なく断る」方法を、(無意識では困難のため)意識的に学習・練習して習得することが最重要課題です。

そして、「断った」時の副産物で生じうる「敵意」「孤立」のリスクを受け入れることが、ひるまず断るために大事になります。

(ただし、実際断ったとき、上記のことが実際生じる事は予想よりは少ないと思われます)

②自己理解・表現練習
受動型では「過剰適応」無理に相手に合わせることが染み付いて、自分の軸を見失っていることが多いです。

対策はある種「一人の時間」を作ってある種「自分を甘やかす」時間を作ること

それで自分が「本当は何を思って」「何をしたいか、何がいやか」など「自分の本心」を引き出していくことが大事です。

もう一つの技術面的な弱点に関しては、主張や自己表現が上手い人を真似る「モデリング」等活用しての反復練習が大事です。

→モデリングをやりすぎて 自分じゃなくなっておかしなことになったり 反射的に大きな恐怖が出たり モデリング対象の人に嫉妬したり 色々やっかいなので モデリングはいったん保留しておく

 


③ストレスマネジメントの徹底
受動型ではどうしても特性上ストレスが非常に溜まりやすく、二次障害が非常に出やすいのが弱点です。

対策は「ストレスマネジメント」ストレスを溜めない・発散する・耐性をつける。この3つを徹底し、二次障害を少しでも防ぎます。

その中でも、関わる人や場を選ぶ「環境調整」が、特に受動型ASDの方にとっては大事です。

 

<取り組みを続けると「大仰型ASD」に>
「受動型」の方が自己理解、自己表現を続けると、結果「大仰型のASD」のタイプになります。

これによって「流される」「利用される」リスクは減って社会適応は改善します。

ただし「不自然さ」や「とっさの場面の弱点」などを揶揄されるリスクはどうしても残ります。

ただ、これは対策の余地があります。

<「大仰型」になってからの対策>
まずは「努力の成果」と「限界」の双方を認めたうえで、「自己信頼」を持っていくことが大事です。

その上で残る苦手に関しては「スキルの改善」を日々継続することが大事です。

そのうえで、受動型と同様「ストレスマネジメント」を徹底して二次障害を防いでいきます。

これらをした上で「本来の自分の強みをしっかり生かしていく」ことが大事になってきます。

 

→自分の強みを活かす 方までエネルギーがまだ回らない、考え出すとまたややこしくなるので とりあえず まずはストレスを最小限にして 自分を生きやすくさせてあげるのを大事にする

 

 

 

 

自己理解 何を思っているのか引き出す。何がいやか 何がしたいか :ブログ 日記として 毎日の細々したことを書いて、感想を述べてみる。

表現練習:アサーショントレーニングをする。断る練習をする。

ストレスを溜めない・発散する・耐性をつける:すごく難しい。 でも多分 自己理解と表現がきちんとできれば、それだけでストレスは大幅に減るように思う。 

発散する→体を動かす趣味。 

耐性をつける →嫌なことが起こった時のルーティンを作っておく。 

「人や状況は変えられない。自分を含めて誰が悪いわけでもない。」を大前提で肝に銘じる。

→頭の中でCBTをやってみる。

→CBTを書きだしてやってみる。

→感情のよりどころとして ブログに愚痴を書いてみる。

→嫌なこと、それに付随するルーティンを何度も繰り返すようであれば 根本的にどこか見直すべきところがあると考えて じっくり考えてみる。

→他人に相談する。

→いったん 忘れてみる。

→最終的に、 状況から物理的に離れる / 心が問題から離れる / 自己表現と協議で解決する

 の大体どれかに行きつく

 ※一人でぐるぐる悩んでばかりいると この段階に行けない のを覚えていることがすごく大事。

 

 ※このルーティンに持っていけないほど心が疲弊しているときは 

  とにかく すべて活動停止せざるを得ない。

  ひたすらに寝る。

  妊婦でも飲める睡眠薬を飲む。このときばかりはしょうがない。

  お菓子だってたくさん食べてしまうが もういいや。

 

 

 

 

 

現在のストレスの原因 →CBTで分解する。

 

・完全に一人の時間、空間を作りづらい。独りになったとしても 悩みが頭を支配する。

 

・急かされたり 何かと子供を叱られるのが苦手。

 

・義父母は朝からよく働くので 自分が怠け者で申し訳なくなる。かといって 合わせて働いていると 精神的に自分の居場所がなくて疲れ もっと悪いことになる。

 

・食事や飲み物をとるたびに リビングにいくと気を遣う。食事をいつも作ってもらうのも気を遣う。

 

・家事が満足にできない自分に落ち込む。満足にやったと思っても、義母と比べてしまい あらさがしをされるような感覚に勝手に陥る。

 

・子供に満足にしつけができていないことと、子どもに無理をさせているんじゃないか その両極端で悩んで、病んでしまう。

 

・子供が学校で浮いてしまうのではという恐怖。そうならないように対策できなかった自分への後悔。

 

・自分の精神的な症状について 気の持ちようとか 運動、食事、睡眠をしっかりとか アロマで自分を癒すとか そういう対策を色々言われるのがしんどい。その通りだとは思うが、そこまで持っていけない自分に激しく落ち込むし、ますます自分と周りは違うのだと思い孤立感が深まる。

 

・今でさえ生活がガタガタなのに、3人目が生まれてからの生活がさらに心配。

 産後鬱の対策を十分にとらないと 崩壊してしまうのではと思う。

 

・自分が崩壊した時の 絶望的なシミュレーションばかりしていしまう。

 

・鬱状態でどうにもならないときに 家族へどう説明すれば良いのかわからない。

 

・遺伝的に 不安が多い、発達症であることに落ち込む。一生続くのかと絶望し、子どもにもその遺伝を渡してしまってさらに落ち込む。

 

・夫がこうしたネガティブな考えを避け、悩みをわかってくれないように感じ、ますます孤独感が深まる。

 

・自分が この家の中で余計もので、家にいるだけで迷惑であり、消えた方がいいような気がする。

そして社会に出ても何の役にも立たないような気がする。

 

 →何かもう これは そういうものと諦めた方がいいような。

  自分が誰かにとって価値のある存在という希望に固執すると 猶更病んでいく。

  最初から どうせ余計もので、価値のない存在と 諦めてしまった方がとても楽な気がする。

  そのうえで あんまり迷惑をかけすぎず、どううまく逃げるか。

 

 

ストレスの原因を書きだしただけで 大分スッキリはした気がする。

 

対策できるかも、という気持ちになるから。

 

引き続きCBTをやっていく。

 

 

とりあえず 部屋をさくっと片付けてから家を出て、外でやりたいが、

 

・家事が満足にできない自分に落ち込む。満足にやったと思っても、義母と比べてしまい あらさがしをされるような感覚に勝手に陥る。

 

→これがまず邪魔をする。

 

意外と 鬱と片付けが密接。

 

状況 部屋がだいぶ散らかっている。服の山が処理できてない。

 

自動思考 片付けても片付けても思うようにはきれいにならない。

元の収納が整っておらず、それを整えるだけの気力がないし、ものが多いけど断捨離する余裕がないから。

やってもきれいにならないので、自分を責めてしまう。夫や家族皆に責められているように感じる。

それを繰り返すくらいなら 見ないふりをして寝ていた方がまし。

自分はなんてダメなやつなんだ。

 

感情 悲しみ90

 

根拠 引っ越してきてから 思うようにきれいになったことがない。 義母に一緒にやろうかと言われたこともある。

   実際 努力しなくても家事ができる人に比べたら 家事能力として努力は必要。

 

反証 前の家の時も、最初はひどい状態だったが 時間をかけてこつこつと 思うような形にしていった。

   時間が必要だし、諦めなければ割といつかはきれいになる。

 

   だいたい 一緒に暮らす家のことなのだから、少なくとも 夫くらいには 助けを求めてもいいだろう。

   あるいは心が許せば 義母に相談すれば 物理的には解決するかもしれない。 

 

 

 

 

適応思考 まずは 最低限の ・布団を片付ける ・服をしまう ・鞄を片付ける ・子供のおもちゃをしまう

     ところまでやってみる。

     他人に助けを求められない というところはまた別途考える。

  

   また、家事能力が低いことを、ASDと絡めて どう家族に説明すべきか と苦慮しているが、

   そもそも絡める必要もなければ、説明する必要があるかも不明。

   

   確かに短所ではあり、同じ水準まで到達するのに時間はかかるが、

   自分なりのやり方で工夫しながら 習得する、

   あるいは もうすっぱりと諦めて別のことに集中するとともに、

   周りの人に大きく迷惑をかけない範囲で 折り合いをつける努力をする、

   そういった方向に持っていくことはできる。

   その短所1つ・スタートラインがだいぶ遅いこと自体で 

   蔑まれたり 自分も気にしすぎて鬱になったり 

   そういうのは間違っている。

   その短所1つで人生全部がダメになるわけじゃないから、

   指摘1つで人生を諦める必要はない。

   指摘に敏感に反応してしまうなら、逆にそれは私にとってすごく大事な事柄ということだから、

   じっくりと かみ砕いて消化することにする。

 

   とにかく、遅くてもいい。遅くても何ら構わない。