昨日の「親バカばんさい!!」の記事を

読んでくださったブロ友さんから

思いやりある、温かいメッセージを頂きました。

 

その方も、中学生の時に

お父様を病気で亡くされています。

 

だからこそ、共感して頂けたのかもしれないし、

人の気持ちに思いを馳せ、

寄り添ってくださったのかもしれない・・・

 

当時の私は、母が病と戦っている間、

母の前でも人前でも一度も泣かなかったと思います。

 

今でも、テレビを見ては、

すぐに涙でぐしゅぐしゅになるけれど

自分のことで泣くことは決してありません。

そういうかわいくない性格です。

 

いよいよ母がやせ細って弱ってきた時期に私は、

子の幸せを一心に願う親心を察して、

母を安心させたくて

 

「私は幸せになる自信がある。

幸せになってみせるよ!

そして、今も幸せだよ、お母さん!!」

 

このように母に伝えました。

 

 

母は黙って頷いてくれましたが、

その心中はどのようなものであったのか

人の子の親になった今も

私には計り知ることはできません・・・

 

 

実際には

母を亡くした当時は、苦しくて悲しくて、

幸せになるって強がった自分は

心を抑圧し過ぎていたのかもしれません。

 

その後心身症みたいになってしまい

発作のようにわけの分からない不安が

波のように押し寄せ

心臓があぶるようになってしまいました。

 

 

全ては長い月日という名医が、

徐々に心を癒していってくれたように思います。

 

 

メッセージをくださったブロ友さんも、

お父様を最終的に癌でお亡くしになっています。

 

その後の生活も含めて、大人になった今も

いろいろなものを心の中にお持ちだと思います。

 

 

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現在は近況報告を本当にたまにし合う程度で

あまり会うことはないのですが、

以前、我が家の自営の仕事も手伝って貰っていた

ママ友がいます。

 

とても優しい人で

当時、多忙な私を支えてくれた方です。

 

私の長男が幼稚園に上がる前に

公園で知り合ってお付き合いが始まりました。

 

子ども同士同じ幼稚園にあがり、

小学校は別でしたが

その後何年かたって

我が家の会社に事務のお仕事に

来て頂くようになりました。

 

その方の口からはそれまで、

結婚前のご自身の家族のことを

話されることはなかったのですが、

事務所で雑談をしている中で

私は、初めてその方が小4の時に

母親を亡くされていることを知りました。

 

ある日小学校から帰宅したら

お母様は既に亡き人になっていたそうです。

 

それまで元気だった母親の突然の死。

幼い妹2人もいた為、比較的早い父の再婚。

 

 

その方は、育ててくれた継母の悪口は

決して言われませんが、

実家に帰ることも、

実家に甘えることも全くないその様子からは、

私などには想像も出来ないほどの

なにか重いものを抱えながらも、

それでもいろいろなご自身の思いを昇華させて、

心の奥底にあるものを人様に微塵も見せることなく、

穏やかな笑顔をいつも見せてくれていました。

 

私より少しお姉さんのその方は

当時多忙な私の代わりに

時に次男を幼稚園に迎えに行ってくれ

時にピクニックに行くと

我が家の分のお弁当も作ってきてくれました。

 

本当にいろいろと助けてくれました。

 

そういった包み込む優しさを持ち合わせている

その様子を見させてもらうにつけ、

 

人間の奥深さと言いますか、

人は、いろいろなものを抱えて生きているということを

私は改めて思い知ることとなり、

 

以来、人は一つの側面だけを見て

ああだこうだと言うものではないなと

人の人生の裏読みをするようになった気がします。

 

 

そうは言っても、話してもらわない限り、

そういったことは知り得ないし、

表面的な付き合いでは

知る由もないのが現実なのですが・・・

 

 

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最近もこんなことがありました。

 

仲間たちとのコーチング学びの会。

 

「あなたとお母さんの関係を考えるワーク」

を通じて

自分たちの親のことを考える機会がありました。

 

「私の母は〇〇〇〇〇〇な人です。」

何行もあるこの文章の〇の中に、

自分なりに言葉を入れて行きます。

 

また、親子の歴史をたどるワーク。

母との思い出、心に残っている言葉などを

幼少期から40代、50代まで自分の年齢に合わせて、

各年代ごとに書き入れていきます。

 

そして最後に、

「母親を一人の女性としてみてみると・・・

どんな想いがありますか?なにを感じますか?」

 

こういったことを振り返るワークでした。

 

 

ある方は

父親を中学生のときに亡くして

母子家庭で育ったかた。

 

自立したタイプで母親に甘えることはなく、

自分のことで精一杯で自分が自分がと

自分一番に暮らしていた独身時代。

 

結構批判的に母を見ていた自分だった。

親になって初めて、母も大変だったんだな!

と実感を伴って判った。

 

今、夫が死んで一人で子どもを育てていくことを思うと

とても母のように頑張れる自信はないと振り返る。

 

現在は母とは友達のような関係だと・・

 

 

 

また、ある方は

3歳で両親が離婚し、継母がすぐに来て育てられ

親に甘えることを知らずに育った。

 

未だに温かい家庭の作り方がわからず

自分がされたことがないから

子どもにもどう愛情表現していいかわからず

不器用な子育てを未だにしていると仰る。

 

 

仲間たちとは知り合って何年もたつのに

このとき初めて知ったことばかりだった!!

 

 

普段のお付き合いの中では決して見せない

一人一人が持つその人だけの

過去から現在につながる日々。

 

 

そういう当たり前にあるはずだけど

普通につきあっていたら

当たり前に見えてこない相手の過去と言う存在を

なんとなく微かに感じながら人と接する。

 

そういう癖をつけるだけでも

思いやりのある人になれるのではないかと

そう思うわけです。

 

 

こうやって書くと、

えらく大層なことのような気がしますが

普通にワイワイやり、普通にきゃっきゃ笑う。

 

そういった日々のたわいもない人との付き合いの中で

 

人の表に見せないでいる心に

どこか思いを馳せることができる人

 

そういう人がきっと世間からは、

「なぜかあの人といるとほっとする」 と言われる

そういうことになるんでしょうねぇ。

 

 

あぁ、自分はまだまだだなぁ・・・ トホホ