前半、動物の死についてのお話だったので、個人的にとてもタイムリーに拝見させていただき反応してしまいました。
加藤先生はたくさんの動物を育てていらっしゃるから、別れも相当な数を経験されていると思います。
先日、自分の身に起こったセキセイインコのみりんの死。
たった1度でもあんな思いをするのはもう嫌です。
あの日以来、何度も思い出しては自分を責めるというか、やりきれない後悔の念が消えません。
みりんが亡くなってからもう2週間が経ちます。
自分は常に〝死〟というものを意識して生きているのか。
それはどこか頭の隅にはあるものの、いつも隣り合わせに存在しているとまでは思えず、臨場感のない生き方をしています。
私は正直、生きることにものすごい執着をしているタイプの人間じゃないはずですが、いざ死を目の当たりにしたあの日、自分ではどうすることもできない無力感を味わいました。
彼女が亡くなる2時間余り。「まさか本当に」息を引き取る瞬間まで〝死んでしまう〟なんて思わなかった。
常に死を意識して向き合っていなかった。悪魔に、バアルに完全に感覚を奪われていました。
なぜもっと真剣になれなかったのか。情報を疎かにしてしまったのか。
みりんはいつも元気だし、常に食欲旺盛かと思うくらいご飯を食べていたし、メガバクテリアを持っていたにも関わらず陰転もしていたし…。
私はどこかで安心し切っていました。
前夜の様子からも特に変化は見られず(気付けなかった)、私はみりんが亡くなるその日の朝、目覚めてから約2時間半の間に起きた出来事に頭が付いて行きませんでした。
一体何が起こったのだろうか…?と。
私の手のひらの上で息絶えた彼女を、ただ呆然と見つめていたのを覚えています。
「昨夜はいつも通り元気にご飯を食べていたのに?なんで??」
起きた出来事が受け止められず、また、急に旅立ってしまったみりんの気持ちが知りたくて、居ても立っても居られなくなり「たすけて!あこ先生」に急遽お願いし、当日は空いてなかったので翌日の夕方にリモート鑑定となりました。
そこで観えてきたことは…
私の情報の取り方、慎重さが欠けているということ。
もっと細かく、多角的に情報を受け取らなければいけなかったのに、できていなかったということ。
そして、現状に対して安心感を出し過ぎていたこと。
正にこの動画で加藤先生が仰っていること。死を思うことができていなかった…。
みりんの状態をもっと細かく診てあげていれば。何かしら、みりんからのサインがあったはずなのに、きっとそんな重要なことも全て流していました。
ちゃんと受け取れていたのなら、あの子は亡くなることはなかったのかもしれないのに…。
自分の馬鹿さ加減、愚かさに苛立ち悔しくて、鑑定途中にも関わらず込み上げて涙が止まらなくなりました。
実はその日、あこ先生の鑑定の前に、仕事の合間を見てかかりつけ医にソラミを診てもらいに出かけていました。
みりんが昨日亡くなったことも伝えました。
みりんはショップからお迎えした時点ですでにメガバクテリアを保菌していた子だったので、もしそれが死因の要因だとしたら、一緒にご飯を食べていたソラミにも感染しているかもしれない。
ですが、ソラミは糞便検査に引っかかることはありませんでした。
しかし、ソラミを触診しながら獣医の先生が「ちょっと痩せ過ぎだよね」と。
ソラミの体重を測り終えると、鳥の胸にある竜骨を触って、「やっぱりこの子痩せ過ぎだよ」と言われました。
鳥の体重の10分の1の餌の量がその子の1日に食べる量に相当する。それはあくまでも目安であり、換羽期や個体差によっては変わってきます。
鳥が痩せているのか太っているのかは、触診して胸元にある竜骨の尖り具合で見当を付けることを教えてくれました。
そして、私が良かれと思って続けていた彼らの食事の量では、栄養が足りてないようでした。
量というより、どれだけ栄養のあるものを与えているのか、タンパク質系はどうか、シードばかりだと食べさせる種類が偏っていないか…とにかく、量だけで言えば私は充分だったはずでした。
私が得た情報はネットだけで、どのコラムや鳥に詳しいと自負する人のブログにも「鳥の体重の10分の1の量」そして、「太り過ぎて栄養過多になると発情を促進する」という内容ばかりで、触診した竜骨の様子までは伝わってきませんでした。
そしてそれを鵜呑みにしていた自分は、肥満や発情を抑えることにばかり気を配り過ぎて、健康なはずのソラミまで栄養失調寸前にさせていたのでした。
あくまでも推測に過ぎませんが、みりんが亡くなった原因は栄養失調ではないのかと…。表面上は元気な子でしたが、メガバクテリアを罹患していたので、陰転はしていても体は万全ではありませんでした。
いくら食べても満腹感を得られなかったのかもしれません。
みりんは時折、ソラミの分まで横取りしてご飯やおやつにがっつく子でしたが、それは彼女が一生懸命生きようとしていただけなのに、それを私は「この子は食い意地が張ってるなぁ」などと笑いにして茶化していたこともあります。
みりんのことを、「食欲旺盛で食いしん坊な子」という表面的に視える部分でしか物事を捉えていなかった。その現象を真摯に捉えて「なぜこんなに食べてばかりで落ち着かないのか?」とまで思いやることができなかった。
それが私の落ち度であり、勝手な判断で安心し切っていたことだと思います。
限りあるからこそ一生懸命生きようとする。みりんは懸命に生きようとしていました。
それなのに…。
悔やんでも悔やみきれません。
病院から帰って、あこ先生の鑑定を受けながら、いかに自分の情報の受け取りかたが浅いかということ、それによって大切な命を失ったことを思い知りました。
しかし、せめてもの救いだったのは、『お話会』の後にみりんが甘えてくるようになったこと。それは間違いなく福音であり、加藤先生のご加護を受け取れていた状態だったそうです。
それはみりんと私との最後の優しい時間だった。その頃から、みりんは自分が旅立つことをわかっていたのかな…。
みりんは今どんな気持ちなのか。恐いけれど聞いてみました。もっと生きたかったのじゃないかとか、もっと食べたかったとか、ひもじい思いをしていないだろうか、私のような飼い主のところに来て悔やんでないのか…。
あこ先生の鑑定では、みりんは短い命をちゃんと生き抜いて、もう静かな場所で安らいでいると教えていただき安堵しました。そして楽しかったとも…。
そして、みりんが私のところに来てくれた役割。
彼女は私を常に動かすために存在したそうです。「ちゃんと動いて!」と。
思い返すと、彼女が私の元にやってきたのは、ちょうど私が低迷し出力もしなくなった頃。
昨年の5月のある日。急に前触れもなく、お世話になっているペットショップから「探しているカラーの子来ましたよ」と連絡が入りました。
そして、みりんがうちに来てからというもの、雛のお世話で塞ぎ込む気持ちが救われ、ひとり餌になった頃に初検診を受けるとメガバクテリアが見つかり、それからは毎日投薬と10日おきの通院…。
それでも、みりんがいてくれたお陰で鬱々とした気持ちが消え「それどころじゃない。考え込むより今はこの子をお世話しないと」と、思考が止まりがちの私の生活に波風を立ててくれた存在でした。
あこ先生には、短い9ヶ月の命だったけど、長く生きた時間だけではなく、役割を全うして生き抜いた子だと仰っていただき、少しだけ私の心も救われました。
限りある命を一生懸命生きた。
いつ別れても良いように相手と向き合う。けど、自分はこれができなかった。
そういうことを死を持って教えてくれた、みりんという小さい子。
みりんのお陰で、ソラミが栄養失調になりかけていたことも発覚しました。
死者=使者。となりメッセージを残してくれました。
そして、失ったものは二度と戻らない。という、苦く悲しい経験を私に与えてくれました。
この悔しさ、無念さを忘れないし、二度とこんな思いはしたくない。
慎重さ真剣さが足りなかったから、加藤先生へ心を真っ直ぐ委ねることへの妨げになってしまった。
ソラミとの時間を、もう後から悔やむことがないように。情報を浅く捉えないように。育てる側の責任としてもっと慎重に受け取る。
みりん、お疲れ様でした。そして、ゆっくりおやすみね。
お読みくださりありがとうございました。
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