ピアニストの中村紘子さんが亡くなった。

あまり音楽が日常にない、

昭和っコは、はっきりピアニストという、

職業があるのをカレーのCMで、

理解していたと思う。


幼児期、

ヤマハ音楽教室に通っていた。

幼稚園の年少組と年長組の2年間、

終了後、ピアノかエレクトーンに進む。


その当時、

中央線のどの駅にも楽器屋さんがあり、

よく巨大な金魚鉢の中に、

白いエレクトーンが備えられ、

デモンストレーション演奏がよく行われていた。


カッコいいなぁ、

足までつかっちゃうのかと

断然エレクトーン志望であった。


我が家の6畳の居間には、

アプライトピアノとオルガンが並んでいた。

オルガンを避けても

エレクトーンが入らないと

父親が言った。


そういったことを父親は子供に言わないタイプで

あったので、今思えば義母が父親に言わせたのだろうと思う。 へそを曲げた私は、ピアノも何もやらないと、心にもないことを言ったのを覚えている。


これ幸いとばかり、

義母は音楽をやらせてくれなかった。


さてさて

20代でシャンソニエでアルバイトしていた時、

マスターがよく出演ピアニストについて、

あれこれ、話していた。

そこで、伴奏でのピアニストの善し悪しを

教わったように思う。


今、théâtre Paris Kidori や大学で、

毎日のようにピアニストに会っている。

彼らは、歩いてきた途は違えど、

初見で、さまざまな音楽ジャンルの楽曲を

弾く、特殊技能を持った人たちだ。

伴奏の能力は、演奏とは違うスポーツをするほど、

相違していると思う。


théâtre Paris Kidori では、

各ステージ必ず、前弾きといって、

1曲ピアニストに演奏してもらっている。

私のリクエストは、

何でも好きなものをである。

ちっちゃな自己実現の機会を

楽しんでもらいたいのだ。


あるピアニストが

藍澤さんて、ホントピアノが好きだねと、

なんたって


大好きなピアノを弾く、


カレラヲソンケイシテイル。