3年前の夏に母が帰天しました。
そして2年前の夏に、後を追うように父も帰天しました。
綾小路家も、母方の貝島家も、仲の良い夫婦は、後を追うように数ヶ月から1年以内に帰天するケースが多いです。
そんなことを思い出しながら、幼稚園時代の写真を見ていて、ふと気づきました。
「そういえば、6歳のときに東京に移住してから、
一度も故郷を訪れたことがないな 。
なんでだろ?σ(^_^;)?」
ということで、
取材を兼ねて、50年ぶりに長崎に帰郷しました。
前から思っていたのですが、長崎には、強烈に焼き付いている思い出があります。
私は、勉学の記憶力はそれほどでもかったのですが(^^;、
好きなことに関しては、異常な記憶力をもっていました。(笑)
小学校のクラス会などで、
「みんなで遊んだ帰り道、
〇〇町の横断歩道で○○君が○○君とすれ違って、
びっくりしたよね!」
という話をすると、
「そんなこと、誰も覚えてないよ。
お前、勉強の方は大したことなかったのに、
遊びに関しては、鬼のような記憶力だな!(°□°;) 」
と、よくあきれられました。(笑)
そういえば、1歳に満たないころ、クレヨンで絵を描いている記憶が、ちょこちょこ残っています。
私は、1961年(昭和36年)12月5日(金)生まれ。
確か幼稚園(玉ぞの幼稚園)に入学したのが、1965年(昭和40年)4月、3歳。
卒業したのが、1968年(昭和43年)3月20日(水)、6歳。
特に3〜5歳の頃の記憶は鮮明です。
当時私は、父がフコク生命に勤めていたので、会社の敷地内の社宅(一軒家)に住んでいました。
その頃は、お描きの腕前が結構上達していて、毎日「龍踊り」「富士山」「ガメラ」「ウルトラマン」などを描いていました。
そして、たぶん3歳頃から様々な 「不思議体験」をするようになっていたと思います。
上記の「不思議体験」をクリックすれば、それを見られますので、興味がある方は、ぜひご覧になってください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★故郷の記憶
私の部屋からは、十字架が見えていました。
なぜだか分からないのですが、ある嵐の夜から、その十字架の上に何かが刺さっている、もしくは乗っかっているように見えたので、よく母に、
「何が十字架に刺さっているの?」
と質問したことを覚えています。(母にはそれが見えなかったので、結局正体は不明です。(^^ゞ ぽりぽり…)
そして、十字架の向こうには山があって、その頂上に、ホテルニューオータニの頭頂部 のような円形のホテルが建っていたことを覚えています。
絵にすると、こんな感じでしょうか。
あと、はっきりと記憶に残っているのは、
長崎駅が歩いていけるような近距離であったこと。
そのそばに、天井をアーチで囲まれた、古い商店街があったこと。
近くに巨大なガスタンクがあったこと。
そして、その周辺だったのかどうか、覚えていないのですが、
「太陽の塔」を2本備え付けたような、謎の建築物があったことを覚えています。
あれは、一体なんだったのでしょうか?(^_^;)?
自宅の住所はもう分からないのですが、その場所には、リニューアルしたフコク生命ビルが建っているらしいので、それを頼りに、我が家とその周辺を探索することにしました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★いざ、長崎へ!
その日は朝から快晴で、羽田からも富士山が見えていました。ヾ(^ω^*)
上空は、抜けるような青空です!
関東を離れたころでしょうか、眼下に全円の虹が出現しました!
これは、超縁起がよろしいです!(*^^*)v
福岡県福津市が見えてきました。
あれは、ハウステンボス かな!?

ハウステンボスです!o(*^▽^*)o
今回は、ハウステンボスには行きませんが、機会がありましたら、彼の地の「アールグラージュ展」を観にいきたいです。
ということで、
あっという間に長崎に着きました。ヾ(^ω^*)
長崎空港からバスに乗って、ガタゴト50分。
やっとこさ、長崎駅に到着です。
おー!(◎_◎;)
駅の隣には、巨大なアーチがあります!
跡形もなく変貌していますが、たぶんここが、アーチがあった旧商店街だった場所でしょう。
駅は建て替えられ、すっかり綺麗になっています。(当たり前か。50年も経っているんですものね。(笑))
ん?
うぉ━━っ!¥(◎日◎)¥
駅はリニューアルしてありますが、ホームは当時のままなのね。(;^_^A
あちこちボロボロで、当時の面影がプンプン香ります。
いや、あっぱれ!o(*^▽^*)o
と言いつつ、
スピリチュアル取材旅行なので、まずは「大浦天主堂」に行きました。
ここが、我が家から見えていた教会なのかなぁ…
とても懐かしい感じがするマリア像ですが、何かが違います。
大浦天主堂は、当時来たことがあるのかもしれませんが、我が家から見えていた十字架とは違う教会のようです。
そして次に「グラバー邸」に行きました。ヾ(^ω^*)
下記の彫刻(こま犬)はキリンビール社のラベルのもとになったものです。
ラベルの麒麟に太い口ひげが描かれているのは、キリンビール社の前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーの社長を務めたグラバーの口ひげをもとにしたといわれています。ヽ(・ω・)
そして、この日は最後に「長崎伝統芸能館」に行きました。
ああ、懐かしい、懐かしい「龍踊り」。°(°`ω´ °)°。
私は幼稚園の頃、この絵を何十枚描いたことでしょう。
とかなんとか言いつつ、あっという間に夕方です。
この日は、「にっしょうかん新館」に宿泊しました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★いざ、生家探しの旅へ
上記の広場で、龍踊りや他の催しが行われます。
そして、次に向かったのは、「平和公園」。
「平和祈念像」が見えてきました。
ああ、この像も懐かしいなぁ…
物心着いてからも何度もテレビやその他の媒体で拝見しているので、よく知ってはいるのですが、こうして現物を垣間見ると、やはり懐かしさがこみ上げてきます。
幼稚園の頃、何度か家族で訪れているんですね。
逆光で撮影すると、まるで平和祈念像が、原爆をたしなめているようです。
原爆投下に猛省を促すグランドクロス!
まさに平和の祈りです。
上記は、iPhone で撮影しました。
下記は、一眼レフでの撮影です。
撮影に熱中するあまり、夕方になってしまいました。(;^_^A
生家を探すために、長崎駅まで戻ります。
駅前の歩道橋に登って海の方を見ますと…
あれ?
うぉ━━っ!¥(◎日◎)¥
ガスタンク、駅の近くにあったのですね。(;^_^A
そして、反対側を見回しますと…
むきゃーーっ∑(゚◎▽◎:!!
こんなに近くにあったんだ。p(T^T)q クゥ~
駅から歩いて、大人の足なら、5分程度の距離です。
幼稚園児だったら、15分くらいの距離でしょうか。
フコク生命ビルは、大きなビルに建て替えられていて、我が家が建っていた場所は、駐車場になっていました。
早速駐車場に入ってみると、その奥には…
これは、年代物です。(°□°;)
覚えていないけど、たぶん当時も存在していたんでしょう。
で、私の部屋があったあたりから、道路の向こうを拝見しますと…
まさに ↓ 記憶通りです!p(T^T)q クゥ~
まずは、教会に向かいました。
「カトリック中町教会」って言うんですね。
教会はフランスのパピノー神父の設計で明治24年8月より建設に着手、30年(1897年)9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行。
昭和20年(1945年)8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、昭和26年10月、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建。
そのため、貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けています。(↓ 教会の門の側に銘版が設置されていました。)
こうなると、ホテルも今日中に探索したいのですが、しかし、すでに16時を過ぎています。
元日の長崎の日の入りは、何時なのでしょうか?(;^_^A
山の上のホテルの写真を撮って、現地の人に質問したところ、「ホテル長崎」というホテルであることがわかりました。
しかし、ホテルにはタクシーで行くしか方法がなく、山道を迂回するので、20分はかかります。
色々撮影をしたいので、徒歩で行きたいのですが、山道を徒歩で行ったら、2〜3時間はかかるとのこと。
どうする、あきらめるか?(ToT)
そのとき、
「諦めないで、山の麓まで行って、
そこで住民に聞き直してごらん」
というインスピレーションが降りてきました。
ということで、麓まで行き、そこで改めて道を尋ねてみると、
「歩いていけますよ。^^
お墓の中を突き抜けることになりますが、
このまま頂上に向かってまっすぐ歩き、
お墓の中をジグザグと上手に歩き続ければ、
ホテルに到着します」
との嬉しい返答が!
これは、もう行くっきゃない!
そろそろ暗くなりはじめたが、お墓なんぞ、なんのその!
え?
お墓?!
どよ〜〜〜〜〜〜ん。ヽ(;゚;∀;゚; )ノ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎ 精神世界ランキング
◎ 人気ブログランキングへ
★ HP「スピリチュアル・アート 綾小路有則の世界」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━












































