47、私、嫌われてる? | 綾小路有則のスピリチュアル・レポート

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こんばんは。m(_ _)m


深夜ではありますが、レポートが完成致しましたので、アップさせて頂きます。


先日、ある方からこんな質問をされました。



「私は、とても不幸です。

 いつも職場の皆さんのことを思って してあげている のに、

 誰も私に感謝をしてくれません。

 それどころか、みな私のことを嫌っているようなのです。

 特に部下との関係がひどく、仕事の仕方を丁寧に教えてあげれば、あげるほど、

 増々敬遠されていくように思えるのです」




このお話を聞いて、私は人間の持つ「念」の性質について思いが至りました。


今日は、人が放つ「縛りの念」について、ふたつの面からお話ししてみようと思います。



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1、他人を縛る念



念の力は、霊界においては、物理的な力そのものです。


最近は、アニメや映画でよく霊界ものをやっていますので、ご存知の方も多いと思います。


霊格が高くなればなるほど、念の力は強くなり、創造と破壊の力は大きくなっていきます。


「からし種一粒ほどの信仰があれば、『この山動きて海に入れ』と言わば、然なるべし」


というイエスさまの有名な言葉がありますが、厳密にいいますと、あれは、この世の話ではなく、霊界での念の法則について述べられています。


さすがに、この世でそれができるようになると、大変なことになりますから。(^^;


しかし、この「念」というものは、この世においても、ある程度は、物理的な力を発揮することはできるのです。


これが巷でいわれている、「念による自己実現」です。


たとえば、適当な家を見つけて、


「この家がほしい!」


と強烈に念をかけたとします。


これを霊的に見ると、念をかけられた家というのは、ロープでぐるぐる巻きになったような状態となり、グイグイ引っ張られています。


もし、他にもこの家をほしがっている人がいて、同じような念を発した場合は、念と念の戦いになります。


これは、まさしく力の勝負になります。


念をかけた人のパワーが異常に強い場合、まだその家に人が住んでいたとしても、何となくそこに住みづらくなり、家を手放さなければならないという悲劇が生まれることもあります。


この念を人にかけた場合どうなるでしょうか。


人を縛る念を発し続けると、念を受けた人は、自由な考えがだんだん奪われていきます。


信じられないかもしれませんが、実はこの「念縛り」というのは、たちは、けっこう無意識に行っているのです。


これを別名、



縛る愛


といいます。



夫婦の関係。


親子の関係。


恋人同士の関係。


友人関係。


etc. etc…



自分が関心のある人に対して、


「このようになって欲しい!」


と、無意識に念で縛っているのです。


自分は、愛の行為で相手に接しているつもりなのですが、実は、相手の意志を無視して、自分の常願望という「型」の中に相手を入れ込もうとしているのです。


たとえ、その人が自分の子供であったとしても、潜在意識下には、過去世で培った大人としての資質を持っています。


子供を自分の大事な所有物だと思って、縛る愛」をかけ過ぎますと、子供もそのうち、それを無意識層で感じとって、反撃するようになってきます。


自分を念で縛ろうとしている人が近くにいると、本能的に不快感を感じるからです。


分かりやすいように、具体的な例をあげて説明致します。


子供が良い大学に入れるよう、スパルタママになってその子に厳しく当るとします。


それが本当に愛の思いから出ている場合は、子供の自由性を尊びながら、上手にその方向に導いてあげることができるのですが、それが、本当は子供のためではなく、自分の見栄や体裁のために、子供を一流大学にやろうとしている場合、知らず知らずのうちに子供に「念縛り」をかけ、自分の支配下に置こうとします。


「念縛り」が強烈な場合は、
子供はどこかで反乱を起こすでしょう。


「自分は子供をこんなに愛しているのに、なぜかあの子は、私をどんどん避けていく!」


自分の無意識下の「縛る愛」に気がつかない親は、愛の迷宮に落ち込んでいきます。


ところが、本当に自分は子供のためを思って行っているのかを深く点検し、自分の過ちを深く反省した上で、子供の自由性を尊重し、彼らを愛そうと決心すると、


ここが、不思議なのですが、


謝罪の言葉を子供に伝える前に子供の方から歩み寄ってくるという不思議な現象が起こることがあるのです。


これは、


人の思い(念)は、時空を超えて繋がることができる


という、ひとつの間接的証明であると思います。


ご自分の心を点検して、自分は念の力が強い方だと自覚できる方は、愛の「念縛り」をしないよう心掛けて下さい。


相手の精神力が弱い場合、特に小さなお子さんや、お年寄り、病気の人、心が繊細で傷つきやすい子にそれをすると、その人たちの精神が病んでいく場合があります。


つまり、意志の力が弱かったり、精神状態が不安定になっている人に強力な「念縛り」をかけると、だんだん操り人形のようになって、どんどん意志の力が衰弱していくのです。


子供だと、引きこもりになる可能性がありますし、ご老人だと「認知症」が進む可能性があります。


たとえ、今は幼くて頼りないように見えても、潜在意識下には、過去世で培った大人としての資質を持っています。


たとえ認知症にかかって、
分けのわからないことを言っていたとしても、



「魂は健全である」


ということを認めて、優しさ8割、厳しさ2割くらいの割合で、接することが大切でなのです。


良い事例があります。


最近マイミクさんから、
この縛る愛をやめた人に訪れた奇蹟をとても感動的に伝えているホームページを紹介して頂きました。




鏡の法則



↑めちゃ めちゃ 長いですが(^^;、 興味のある方は、是非ご覧ください。



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2、自分を縛る念



反対に自分を縛る念というものもあります。



「私は、とても不幸です。

 いつも職場の皆さんのことを思って してあげている のに、

 誰も私に感謝をしてくれません。

 それどころか、みな私のことを嫌っているようなのです。

 特に部下との関係がひどく、仕事の仕方を丁寧に教えてあげれば、あげるほど、

 増々敬遠されていくように思えるのです」




このお話を聞いて、私はあることを思い出しました。


これは、私が「対人恐怖症」と「鬱病」になってしまった頃、
感じていたことそのものであるのです。



参考・レポート「心の傷を超えて…」



人に好かれたいという思いぐらいでしたら、大なり小なりどなたでも持っているでしょうが、何らかの事件によって、心に手ひどい傷を負ってしまった人は、無意識のうちに、過度に人に愛されることを求めてしまうことがあります。


心が繊細であればあるほど、その思いは強くなり、
対人関係は、自分の求めているものとは逆になっていきます。


「私、ひょっとして嫌われているの?」


と思う心が、


「私は、嫌われているに違いない!」


と、強烈な「自分を縛る念」に変化していくのです。


困ったことに、人間は、良いことより悪いことの方が
暗示がかかりやすいという弱点があります。


この「自分を縛る念」の罠に陥ると、
全ての人が自分のことを悪く言っているように感じてしまうようになります。


さらに悪いことに、
「私は嫌われているに違いない!」という確信が、「確信波動」となって、まわりの人に伝播していきます。


そうすると、先程の「他人を縛る念」と同様に、
まわりの人々は「確信波」』に誘導されて、自分を嫌ってくれるようになるのです。


さらに、レポート「
心のコントロール(1)~(6)」で書いたように、「自己否定」というマイナス想念を媒体とし、その人に憑依して、エネルギーを吸い取ろうとする、悪霊というやっかいな存在がいるのです。


憑依から脱却する方法については、
下記のレポートをご覧ください。



※ レポート「心のコントロール(4)恐怖心1」


※ レポート「心のコントロール(5)恐怖心2」



私は上記のレポートで、鬱の状態から脱出していく過程を、具体的な話を例にあげて述べていますが、鬱から抜けられたときに知った大事な教訓があります。


それは、傷ついている自分の心の原因を点検した上で、



元気の出る良質な「思想書」を読むこと


自分で自分を誉めてあげる



ことです。




傷ついた心をある程度 癒してあげた上で、



「人から愛されたい」


「人から感謝されたい」



極端に思ってしまう、心の傾向性を修正することが重要でした。


そして、上記のレポートで述べている「感謝ノート」を続け、
自分を理解してもらうことに努力をするのではなく、相手を理解することに力を注いでいくことにより、「自己憐憫」という念の縛りは、次第に解けていったのです。


え?


「感謝ノートって何?」


ん~(^^;


では、上記のレポートと重複してしまいますが、
もう一度簡単に説明しますね。


人に何かをしてもらったことを、
どんな些細なことでも良いですから、ノートに箇条書きにしてみます。


だれかに「ありがとう」って言われたことでもいいです。


にっこりと微笑まれたことでもいいです。


ごはんを作って下さったお母さんのことを


思い出すのもいいでしょう。


とにかく それを
たくさんノートに書きまくるのです。


すると、


「自分って、結構たくさん愛をもらっているんだな~♪(^^)」


ということに気がつくはずです。


「自分は愛されていない」


と思っていたことは、自分のエゴによる誤解であることが多いです。


たいていの場合、「○○○してほしい」という願望を相手が叶えてくれないだけで、


「自分が強く求めていない事柄については、たくさん親切にしてもらっていた」


というケースはたくさんあるのです。


このようにして、他人から多くの愛を頂いている事実を確認できたら、自分を理解してもらうことに努力するのではなく、相手を理解することに力を注ぐよう、毎日訓練していきます。


そうしているうちに、
自分から発せられていた「自虐的念波」が、ナチュラルな「愛の念波」に変わり、気がついたら、自然にみなさんとつき合うことができ、良き友人や上司に恵まれるようになっていたという、逆転現象が始まります。


また、こんなこともあるかもしれません。


自虐的な思いが消え、
他人に対する愛の感情がナチュラルに芽生えた途端、みんなが自分を嫌っていると思えなくなってくるのです。


私の場合、お酒の席で勇気を出して、
そのことを確認してみたことがあります。


そのときの皆の答はこうでした。



「全然、嫌ってなんかいなかったよ。

 むしろ、いつもきみが不機嫌な顔をしているので、

 僕の方が嫌われているのかと思っていたよ」



私にとって、この言葉は衝撃でした。


「自分は嫌われているに違いない!」


という自虐的念波が、自分の心をがんじがらめにして、
正しく判断できなくさせていたのです。


そして、相手の方に、


「むしろ、いつもきみが不機嫌な顔をしているので、

 僕の方が嫌われているのかと思っていたよ」




という思いを抱かせてしまい、そのことにより、本当に敬遠されてしまったという事実がわかったのです。


まさに「人の心は鏡」です。


「鏡の法則」とは、このことを言うのでしょう。


心の感じ方が変わってからは、
世界は変貌しました。


全ての人が自分を嫌っていると思っていたのに、
多くの人が、愛おしく見えてきたのですから。


それは、まさに 、
チャールズ・ディケンズ 「クリスマス・キャロル」の世界でした。


このように、「
縛りの念」の持つふたつの呪縛から解き放たれるとき、人は生まれかわることができるのです。



合掌…。(_ 人 _)




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